バレー

特集:全日本バレー大学選手権2020

筑波大主将・坂下純也「支えてくれた仲間がいたから」 負けて学んだ全てをインカレに

坂下は中学、高校、そして大学でも主将を務めてきた(撮影・ 一般財団法人 関東大学バレーボール連盟)

1年生の時から試合出場を重ね、迎えた最終学年。高校時代、ともに3冠を達成した仲間たちはそれぞれの場所でどんなチームをつくり、どんなバレーを展開してくるのか。中学、高校に続いて筑波大学でも主将となった坂下純也は、4年生になって駿台学園高(東京)の仲間たちと、今度はライバルとして戦う機会を心待ちにしていた。

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駿台学園時代の仲間は「敵になったら本当に嫌」

駿台学園中から全国制覇を成し遂げ、そのまま駿台学園高に進んだチームメートも多かった。「コートでプレーする時は“あうん”の呼吸だった」と振り返るように、坂下が高校3年生の時、インターハイ、国体、春高、全ての大会を駿台学園が制した。

駿台学園高校時代の同期たち(1番が村山、2番が吉田、3番が坂下、4番が藤原、5番が望月、後列右端が土岐、写真は本人提供)

卒業後、主軸メンバーのほとんどが関東1、2部リーグの大学に進み、坂下は筑波大、リベロの土岐大陽(どき・ひかり)が中央大学、アンダーカテゴリー日本代表にも選出されているミドルブロッカーの村山豪が早稲田大学。さらにアウトサイドヒッターの藤原奨太は日本体育大学、吉田裕亮は東京学芸大学、2部から昇格した青山学院大学にはセッターの望月祐(たすく)。高校時代は同じコートに立ち、力任せではなくデータに基づいた“考える”バレーを徹底して極めてきたかつての仲間たちと、大学入学後はネットを挟んで何度も対峙してきた。

コートを離れれば普段から仲が良く、対戦するのも楽しい。だが同じぐらい、互いのクセや長所に短所、やってくることは分かっていて、知り尽くした相手でもある。対戦する時は、これほど厄介な相手はいなかったと坂下は笑う。

「ボールコントロールはもちろんですけど、そのチームに駿台の選手がひとりいるだけで、全体を動かして、絶対何か仕掛けてくる。同じ学年には(新井)雄大(上越総合技術高→東海大)や、(宮浦)健人(鎮西高→早稲田大)、(都築)仁(星城高→中央大)、(中野)竜(創造学園・現松本国際高→中央大)と、すごいアタッカーはたくさんいたけれど、極端に言えばその選手に決めさせなければ勝てると思っていたんです。それくらい、駿台にいた選手のコントロール能力というか、集団としての力、個々の考える力が高かった。同じコートの中にいれば、次はコイツがこういうプレーをしてくれるから自分はこうしよう、と声をかけ合わなくてもできる。だからすごく楽しかったし、でも逆に言えば敵になったら本当に嫌。戦いたいけれど怖い。そういう存在でした」

インカレに出られない大陽と裕亮の分も

怖いと思いながらも楽しみにしていた最後の春季リーグ、東日本インカレ、秋季リーグは軒並み中止。公式戦どころか練習試合や練習すらできない状況に見舞われた。せめて最後に、と望みをつないだ全日本インカレの開催決定に安堵したが、新型コロナウイルス再拡大の影響を受け、組み合わせ抽選会の直前に中央大と東京学芸大の不参加が決まった。直後に中央大で主将を務める土岐から「俺の分も頑張ってや」と連絡がきたが、どう返せばいいか分からなかった。坂下はそう振り返る。

「この3年間、何度もネットを挟んで試合をしてきたけど、最後の年にそれができない。大陽や裕亮が出られないことも受け入れられなかったし、何も言えませんでした。高校時代もキャプテンは僕だったけど、まとめてくれていたのは大陽。そこにいるだけで違うし、安心するんです。当時から大陽は“コート上の監督”と言われていた通り、絶対的に頼れる仲間だったから、2人の分も頑張るしかないけど、でも、やっぱり悔しいです」

大学で道が分かれても、駿台学園高校時代の仲間たちとはつながっている(前列右端が坂下、写真は本人提供)

勝ち続けてきた高校時代には学べなかったこと

高校時代の仲間を思えば、何とも言えないやるせなさばかりが残る。だが、筑波大で主将を務める今の自分が立つ場所を見れば、いつまでもそう言ってはいられない。なぜなら、勝ち続けてきた高校時代には学べなかったこと、気づかなかったことを教えてくれたのは筑波大での4年間だからだ。

高校の頃から、相手のブロックに対してどう打てば決まるか。その時々でどんな選択をするべきか、練習や試合を通して考えながらバレーに取り組んできた。だが今思えば、その頃の「考えた」ことなど、まだまだ浅かったと坂下は言う。

「中学や高校の頃は勝ち続けて、勝てばうれしいけれど、それで終わってしまうことも今思えばあったと思います。でも大学に入って、負けることが増えるうちに『どうしたら勝てるんだろう』と考えるようになる。負けるということには絶対原因があって、やらなきゃいけないことが必ずある。例えば早稲田にどうやったら勝てるんだろう、と思いながら試合の映像を見返すと、サーブもものすごく緻密で細かい戦術でやってきているから勝つんだ、これぐらいやらなきゃダメなんだ、と気づかされるんです。もっと考えてやらなきゃいけないと思ったし、実際もっと考えてプレーしないと勝てない。それは間違いなく、筑波に入って学んだことでした」

今季の公式戦は秋季リーグの代替試合しか行われていないが、スタメンでコートに立つ選手の中で4年生は坂下ひとり。主将ということもあり、「自分のプレーで引っ張らなければダメだ」と思いすぎるがあまり、周りの選手のことが気になって集中できず、本来のプレーが疎かになる。もともと口下手で「キャプテン向きの性格ではない」と言うように、人にうまく伝えるのも得意ではない。自分以外の選手がミスをしてしまったり、うまくプレーできなかったりした時も、「自分がもっとどうにかできたんじゃないか」と気づかぬうちに責任を背負っていた。

信頼できる仲間の支えの中、自分なりのキャプテン像を

そんな坂下を支えたのが、同期の仲間たちだ。自分も含め4人と少なく結束力は深いが、特に「助けられた」と言うのが副将を務める山口裕太郎(4年、高崎)。口下手で伝え下手の自身と異なり、坂下曰く「めちゃくちゃ頭がキレる」という山口は理解力、発する力に長けている。チームをまとめる上で不可欠な周囲への行動や発信は山口が担い、「プレーに集中してくれればいいから」と支えてくれることが何より心強く、そのおかげで自身が取り組むべきことも明確になったと言う。

心強い仲間がいてくれたからこそ、大学でまた大きくなれた(撮影・ 一般財団法人 関東大学バレーボール連盟)

「4年になってキャプテンになって『もっと引っ張らなきゃ』と思っても、先輩の樋口さん(裕希、現・堺ブレイザーズ)や、中根さん(聡太、現・星城高教諭)のように、自分は引っ張れない。でも、秋山(央)先生からも『いろんなタイプのキャプテンがいていい。キャプテンも人それぞれだよ』と言われて、自分に何ができるか、自分なりのキャプテン像を考えたんです。その結果、自分にできるのは行動で見せること、誰よりも練習することだと思ったので、スパイクが1本決まってもOKにするのではなく、もう1本、と続けて取り組む。そうやって後輩たちに見せてきたつもりだし、一緒に練習してきた仲間だから僕も後輩のことを信頼しているし、困った時は助け船を出してくれる同期がいる。中学、高校、大学とキャプテンをやらせてもらったけれど、支えてくれた仲間がいたからやってこられたし、僕は本当に、周りの人たちに恵まれました」

責任と覚悟を胸に最後のインカレへ

泣いても笑っても、これが最後。昨年までは、トーナメントを見て「打倒早稲田」とか、準決勝や準々決勝で対戦するであろう相手に意識を向けてきたが、試合を重ねることができていない今、全ては未知数。「練習でやってきたことをただただ表現して、自分たちのベストを出せるように全力を出し続ければ結果はついてくる」と言うように、1試合1試合、試合の中の1本1本全てに徹すること。11月30日の開幕に向け、抱く思いはシンプルだ。

「自分が本気でやって、本気でぶつかれば周りに伝わると思うし、大事なのはどんな時も一球に対する執着心を燃やして、真摯にバレーボールに取り組むこと。キャプテンの器じゃない自分を支えてくれた仲間と、やってきたことを全部、出し切りたいです」

この場所に立つことすらできなかった仲間の思い、そしてチームを引っ張る責任と覚悟。プレッシャーとして背負うのではなく、その全てを戦う力に変えて。昨年はあと一歩届かなかった頂点。大学での集大成を見せるべく、坂下は学生最後の全日本インカレに挑む。

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