慶應義塾大学のCTB三木亮弥、2季ぶりの全国の舞台は兄弟対決から
今季の大学ラグビー王者を決める第57回全国大学選手権が本格的に始まる。13日、大阪・花園ラグビー場で行われるベスト8の残り3校を決める3回戦、京都産業大学(関西3位)と対戦するのが2季ぶりに出場する「ルーツ校」慶應義塾大学(関東対抗戦3位)だ。
タックルで鼓舞する副将
副将のCTB三木亮弥(4年、京都成章)は、2年生の時からタイガージャージーの13番を背負ってきた。身長171cm、体重81kgと決して大きくはないが、中盤のディフェンスの要として、タックルで仲間を鼓舞し続けてきた。
例年より1カ月ほど遅れて始まった関東大学対抗戦の開幕戦で慶大は筑波大学に19-30で敗れた。「ディフェンスで勝つ」ということをテーマにしながら「アタックも含めていろんなところに手を出し過ぎた」という反省が出たという。
開幕戦の敗戦から、SO中楠一期(いちご、2年、國學院久我山)の右足と、FB山田響(1年、報徳学園)の左足のキックで相手陣に入り、伝統のディフェンスを軸に戦うという意思統一ができた。そしてゴール前まで進んだらFWのモールでトライを取り切るというスタイルに注力した。すると、その後は「試合を追うごとによくなった」と三木が感じたように復調する。
対抗戦で優勝した明治大学を13-12で下す。早慶戦は、ライバルと11-22の接戦を演じた。そして、最終戦の帝京大学戦では、バックスの選手もモールに加わるなど相手ゴール前で取り切る練習を重ねた成果が出て、ロスタイムに逆転トライを挙げて30-27で勝利を収めた。三木は「自分たちのスタイルをやり抜くことができた」と胸を張った。
慶大は昨季から、元日本代表FBでOBの栗原徹氏を監督に招き、コーチに早大出身の三井大祐氏が就いた。主にアタックは栗原監督が、三井コーチがディフェンスを担当しているという。昨季は全国大学選手権出場を逃したが、三木は「今季、組織ディフェンスはより良くなっている」と手応えを感じている。基本的にゾーンディフェンスを採用し、相手の時間と距離を奪うために積極的に前に出る。昨季よりFWもしっかり前に出てプレッシャーをかけるようになり、さらに「スペーシング」が良くなったという。
ディフェンスラインに個々の選手が立つ時、どのくらい距離を取るのかが「スペーシング」だ。プロップの選手ならレンジが狭いが、フランカーならやや広くなり、外側のバックス選手になるにつれて広くなっていく。選手同士の距離感がしっかりと共有できるようになったというわけだ。
三木は高校時代、防御についてどちらかというと前に行くことだけだったという。大学に入ってからフィジカルを強化し、タックルスキルを高めた。それだけでなく、「いろんな人のアドバイスを聞いて試合で試しながら、自分が詰められる間合いを図ったり、どういう状況だと詰めていいディフェンスができたりするのか」などを突き詰めていったと言う。
父の影響で3歳から楕円球に親しむ
三木の父、康司さんは、京産大から三菱自工京都(現・三菱自動車京都)で活躍したFWだった。その影響で3歳くらいから神奈川・田園ラグビースクール(RS)で競技を始め、5歳となって京都に戻ると洛西RS、西陵中でもラグビーを続け、京都府中学選抜に選ばれた。
中学の選抜チームで一緒だったCTB尾﨑泰雅、WTB木村朋也、FB奥村翔(かける、いずれも帝京大4年)らほとんどの選手が伏見工高(現・京都工学院)に進学する中、「伏見工業にも誘われましたが、格好良かったし自分のプレースタイルに合っている」と京都成章高を選んだ。
京都成章は「ピラニアタックル」と称される激しく前に出るディフェンスが特長でもある。「中学くらいから自分はアタックよりディフェンスの選手」と感じていたことも入学の後押しを押した。高校3年では主将を務めた。最後の全国大会では準々決勝で優勝した東福岡に敗れた(22-28)が、7-7で折り返すなど花園での健闘が光った。
大学進学する際も「早稲田大と悩みましたが、視野が広がると思いましたし、高校進学する時と同じ理由で」と慶大を選び、AO入試を突破し総合政策学部に入った。タックルの選手と自負する三木は、自分の勘を信じて高校も大学もディフェンスを軸に戦うチームを選び、そこで中心選手として躍動しているわけだ。
負ければ終わりの大学選手権
三木は悩んだ末、大学卒業後はラグビーには一区切りをつけることを決めた。大学選手権で負ければ、20年間のラグビー生活にピリオドを打つことになる。
くしくも選手権の3回戦、準々決勝のカードは2年前と同じになった。3回戦が京産大で、勝てば、三木たち4年生が入学して以来勝利したことのないライバルの早大が待っている。
さらに京産大戦は、三木にとって特別な意味を持つ試合となる。父の母校ということや京都成章高出身者が多いということだけでなく、弟のフランカー皓正(1年、京都成章)が6番で先発出場することになった。
弟とは3学年違うこともあり、今まで一度も試合で対戦したことはない。三木は「正直、京都産業大学が来るとは思っていなかったですが、大学最後に弟とやれてよかった。弟とはポジションは違いますが、持ち味は同じ。負けたくないですね」。
京産大に勝てば、再び、早大と激突する。2年前の大学選手権の準々決勝ではロスタイムに逆転トライを許し、19-20で敗れた。三木は「2年前の屈辱もありますし、今年も(早慶戦で)負けた。チームとしても早稲田大と対戦したかったので、ポジティブな感じです」と前を向いている。
コロナ禍でも個々にフィジカルとフィットネスを高めた。夏は菅平も山中湖にも行くことができず、「暑くて地獄を見た」という横浜・日吉で鍛え上げてきた。三木は「この1年はチームの基盤を作るために、4年生が中心となって規律の部分を一番、厳しく言い合ってきました。全グレード、競争力を持って必死にやっていることがいい雰囲気につながっている」と実感している通り、チーム力は上がっている。
「やるか、やらないか」
負けたら終わりの戦いで大事なことを聞くと、三木は「個人としてはタックルです。慶應は愚直に、泥臭くやることでしか勝てない。自分たちを信じること。何もぶらさずに、ディフェンスでしっかり敵陣に入り、得点を重ねるという自分たちのラグビーをやり切ることだけ」と語気を強めた。
中学時代から座右の銘として、三木が心にいつもとどめている言葉がある。「できるか、できないかじゃない。やるか、やらないか」だ。黒黄ジャージーの13番が率先してタックルし続ける先にこそ、日本一という栄光が待っている。