早稲田大学のロック下川甲嗣へ 慶應義塾大学卒の兄から最後のエール 第97回早慶戦
97回目を迎える関東大学ラグビー対抗戦の慶應義塾大学-早稲田大学が11月23日、東京・秩父宮ラグビー場で行われます。アスリートの成長を身近に感じてきた方が独自の目線でたどる連載「あなたにエール」。伝統の一戦に4年連続出場する早大のロック下川甲嗣(かんじ、4年、修猷館)へ、慶大のフルバックで活躍した兄・桂嗣(けいじ)さんから、応援するけど負けられない、ちょっぴり複雑な激励です。
父の影響で兄弟とも幼稚園からだ円球追う
僕がラグビーを始めたのは幼稚園の年長なので、5歳ですかね。父が大学でラグビーをやった影響でしょうか、草ケ江ヤングラガーズ(福岡)に入りました。弟とは七つ違い。甲嗣がはじめたのは年中ごろだったので、僕は小学6年か中学1年の時、正直、1回も一緒にラグビーをやったことはないですね。あんまり、ラグビーの難しいプレーの話もしたことはありません。弟が尊敬する選手に、僕の名前が出てこないのは、それが原因だと思います(笑)。
2人の間に妹がいます。高校まではハンドボールをやっていましたが、大学で急にラグビー部のトレーナーをやるという話になり、「えーっ」みたいなこともありました。4年間、ちゃんと頑張りました。
ラグビーどころ福岡の絆
僕らの代の草ケ江は、中学時代に九州大会を連覇しました。仲間がよく家に遊びに来ていました。垣永真之介(東福岡-早大-サントリー)らが同期で、弟は一緒に遊んでもらったというか、いつも可愛がってもらいました。けんかするという年齢差ではなかったです。海外のラグビーや自分たちの試合のビデオを見るのが好きで、弟も一緒に見てました。彼からすると、随分上の僕らのビデオを見ていたことが、何となくよかったと思います。垣永らすごい選手がいて、そのプレーが基準じゃないですけど、参考になったかなと。ずっとビデオを見てましたね。
僕は修猷館高では、オール福岡(選抜チーム)などに入れなかった。その時もフルバックをやっていたんですが、オール福岡のバックス後ろ3人は同期の児玉健太郎(小倉-慶大-神戸製鋼)、一つ下の福岡堅樹(福岡-筑波大-パナソニック)、二つ下の藤田慶和(東福岡-早大-パナソニック)でした。そりゃ、無理だな、と今となっては思います。
大学受験で慶應はダメでしたが、関東の大学に合格しました。そこに行こうと思っていたんですが、ラグビー仲間で遊んだ時、慶應に行く児玉から「後悔するんじゃない」と言われ、「このやろー」と考え直して浪人しました。福岡の河合塾に通い、1年後、慶應で受けられる学部は全て受け、商学部に何とか通りました。
早慶戦は3年生の時、1回だけ出ました。歴史的大敗(7-69)を喫しました。(日本代表になった)藤田(慶和)君のお披露目試合(公式戦デビュー)で、それはすごかった。思い出したくもないくらいやられました。4年になりほとんどの試合に出たんですけど、早慶戦だけ出られなくて、ほんと悔しい思いをしました。試合は引き分けだったんですが、その時のスタンドからの景色は一生忘れられない。応援したいけど、なんか、素直に応援できてなかったな、というのをすごく覚えてます。
一番痛いことを率先してやっている
弟には一応、(慶應へと)声はかけたつもりなんですけど、早稲田から熱心に誘って頂いたようです。第3列(1年生の時はNo.8)から(2年生から)ロックをやるようになり、すごいなと思います。本物のFWという感じがする。バリバリやっているから。僕には弟は中学生までのバックス選手のイメージです。左効きで左足のキックが得意なスタンドオフ。センターでガツガツというタイプでもなかった。僕は(身長)183cmですが、会う度に大きくなってます(甲嗣は身長187cm、体重104kg)。こんなに変わるんだなと思いますね。一番痛いことを率先してやっている。
まさか(4年生になり)副将になるとは思っていなかった。弟はどういう感じなんだろう。物静かなタイプだったので、試合中、声をかけたりしているんだろうか、と思っています。
複雑な応援を(甲嗣が1年で出場した時から)3回やりました。僕自身が1度も早慶戦で勝ったことがないので、やっぱり、慶應を応援しています。ただ、目ではついつい弟を追っちゃいます。(栗原徹)監督や首脳陣には自分が教えてもらった方も多いんですけど、「何で、弟、あっちにいるんだ」「お前がダメだったから、弟はあっちに行ったんじゃないの」と言われます。でも、僕としては、それがうれしかったりします。
幼なじみ対決も実現
慶應のセンターで鬼木(崇=2年、修猷館)君が先発します。草ケ江ヤングラガーズから弟と一緒にやっていた。二浪したので、元々は同級生です。僕は1回しか出られなかった早慶戦で、相手のキャプテンが垣永だった。1試合だけでしたが、一緒に試合できたのはうれしかった。そういうものも弟たちに味わってもらいたい。一生の思い出になるでしょう。
弟には最後の対抗戦の早慶戦、悔いのないよう頑張ってほしい。