大学ラグビー

明治大学フランカー繁松哲大、無印から駆け上がったハードタックラー

タックルやジャッカルに体を張る明治大学の繁松哲大(撮影・すべて斉藤健仁)

素質豊かな選手が揃う明治大学ラグビー部の中で、高校時代は全くの無名選手だったが、この2年間、紫紺の7番を背負い続けている選手がいる。それがフランカー(FL)繁松哲大(てった、4年、札幌山の手)だ。

身長178cm、体重95kgとFWとしては決して大きい方ではないが、コーチ陣やチームメートが繁松のことを「激しいプレーが持ち味で、タックルが強い」と評価する。誰よりもはやくタックルに行き、倒れてもまた立ってタックルを繰り返す。接点で体を張るプレーを信条としている。

10月4日に開幕した関東大学ラグビー対抗戦も残り2試合となった。対抗戦の連覇はもちろんのこと、全国大学選手権での王座奪還を狙う明大は11月22日に帝京大学戦を控え、12月6日にはライバルの早稲田大学との対戦を迎える。

「前へ」大学王座奪還へチームを引っ張る

反骨心で鍛え上げ、3年生から先発へ

繁松は「(昨年度の大学選手権の決勝で負けた)早稲田大には負けたくないですが、どこと対戦しても勝ちたい。特に意識している選手はいないですね。ただ目の前の選手にタックルして、ボールを奪う。やるしかないですね」と静かに腕を撫(ぶ)した。

繁松は、下級生の時は同じポジションに前田剛、井上遼(ともに神戸製鋼)といった先輩がいたため、対抗戦には1試合も出場することはかなわなかった。また同期が26人いる中で、キャプテンの箸本龍雅(4年、東福岡)を筆頭にFLやNo.8の総称であるバックローには8人ほどいた。

しかも高校時代に、高校日本代表の候補選手にも選ばれていなかったのは繁松を含め、付属高出身の選手ら3、4人ほどしかいなかった。「最初は友達もいなかったですしすごい人ばっかりで不安でしたが、タックルは通用しないことはなかった。ライバルには負けたくなかった」という反骨心を胸に、練習で体を当て続けて3年生から先発の座を得た。ここまで1試合を除き7番で出場が続く。

サッカー少年が何も知らぬだ円球の道

福岡県出身の繁松は、小学校の低学年時代は福島県郡山市で育ち、親の仕事の関係で小学校3年生から札幌市に移った。1年からサッカーを始めていた。「バク宙やバク転もできる」という身体能力の高さを武器に、FWとしてレギュラーで活躍していたという。手稲東中に進学する。4つ上の代が全国大会に出場していたことから「自分たちの代でも……」とサッカーに精を出したが、市内の大会を勝ち上がることができなかった。

高校もサッカーで進学しようとしたが「強豪校には声を掛けられることはなかった」という。すると、サッカー部のコーチと札幌山の手高ラグビー部の伊藤允晴コーチが同じ国士舘大学出身で仲が良かったという縁で、「札幌山の手でラグビーをしないか。全国大会に行けるから」と誘われた。

親や親戚を見渡してもラグビーをしている人は一人もいなければ、ラグビーボールに触ったこともなかった。当時の繁松は、札幌山の手高出身の日本代表キャプテンFLリーチ マイケル(東芝)の名すら知らなかった。「本当に1mmもラグビーについて知らなかった」という繁松だが、「全国大会の舞台で活躍したい」という動機で、高校ではラグビーをやる決心をする。

札幌山の手高で身長順にFWへ

「キックも蹴れるしFBなどのポジションが向いているのでは?」と言われていたが、高校に入学すると、身長順に並べられて、同期の中では大きい方だったためFWとなる。最初に出た試合はロック(LO)だった。その後はNo.8としてプレーしたが、後輩に、現在、東海大学で活躍するノア・トビオ(3年)が入学してくると、トビオがNo.8となり、繁松はFLとしてプレーするようになった。

高校1年生の時はさすがに公式戦でベンチ入りすることはできなかったが、2年生の時からはコンスタントに試合に出場できるようになり、春の選抜大会にも出場した。しかし、この冬は南北海道予選で函館ラ・サールに敗れてしまい、自身が望んでいた全国の舞台である「花園」に立つことはかなわなかった。3年生になり花園に出場できたが、1回戦で長崎北陽台に31-10で敗れた。

高校途中から繁松は「バチッとタックルを決めたり、ボールを持っていなくてもちょっとした起点でトライに結びついたりといった細かいことが楽しかった。大学でもラグビーを続けたい!」と思うようになっていた。「どうせやるなら本当に強いところで」と同級生数人で明大のスプリングキャンプに参加。1日しかアピールする場がない中で、繁松だけが高い評価をもらった。

「どんなことでも全力でやり切る」

大学入学後、Dチームからのスタートだった繁松は「アタックでもタックルでも0か100でしたね」と苦笑する。思いっきりタックルにいって、相手を倒す時もあれば、全く触れずに抜かれる時もあった。アタックでもゲインできる時とノックオンする時とハッキリしていた。

85kgくらいだった体重は現在95kgほどに増えた。ウェートトレーニングも重ねて、ベンチプレスは100kg上がらなかったが140kgとなり、スクワットも150kgも上がらなかったのが、現在は220kgを上げる。体も大きくなり、スキルの正確性や安定したプレーを心がけるようになると、徐々にAチームの練習に参加することができるようになっていった。

明大はAチームとBチーム主体の「ペガサス」でも、「ルビコン」とよばれるCチーム以下の練習でも同じメニューだった。繁松は「明治大では、高校名とかは関係なくてプレーで評価してくれるので、ありがたかった。下のチームでもしっかりパフォーマンスすれば上のチームに上がるチャンスがある。努力が大事です」と自らに問いかけるように言った。

3年の時は、どちらからというと目の前の自分のプレーに集中していたが、4年になると、試合ではディフェンスラインのズレを指摘するなど、コミュニケーションをとってより積極的に声を出すようになった。またラインアウトでは副キャプテンLO片倉康瑛(4年、明大中野)の良き相談相手にもなっているという。また、繁松はかつて、先輩たちがそうしてくれたように、同じポジションの選手たちを集めての自主練習もしている。

トップリーグへ、「リーチさんと対戦を」

すっかりだ円球の虜(とりこ)となり「大学卒業後もラグビーを続けたい」と意志を固めた繁松は、内定をもらい、来年からはトップリーグでラグビーを続けることになった。「タックルは日本の中でもトップクラスなので、リーチさんに憧れています。リーチさんには一度しか会ったことがありませんが、試合で対戦したい!」と偉大な先輩とのマッチアップを心待ちにしている。

そんな繁松が「チームだけでなく自分も進化しないといけない」と今年になって集中的に取り組んできたのが、タックル後に相手ボールを奪う「ジャッカル」だ。まだ1試合に1回くらいしか決められていないという。田中澄憲監督にも「もっとジャッカルしてほしい」と言われていることもあり、繁松は「1試合2、3本は決めたい」と語気を強めた。

座右の銘は「どんなことでも全力を出してやり切る」という意味を込めて「完全燃焼」である。練習でも試合でも常に100%で取り組んで、練習場と寮のある八幡山で大きく花開いた努力の人。11月から来年の1月まで続くビッグマッチでも紫紺の7番を身にまとって、武器とするタックルと、磨きをかけているジャッカルで明大に勝利を呼び込みたい。

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