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京都大学硬式野球部の近田怜王助監督 「お兄ちゃんのような立場で」天職の指導

近田怜王さんは指導していた京都大学硬式野球部で9月から助監督になった(撮影・沢井史)

「野球を指導するようになって、やりがいというより楽しさしか感じていないんです。今の立場は天職ではないかと思っています」。

12年前の夏。第90回全国高校選手権で報徳学園のエースとしてチームをベスト8に導いた左腕の近田怜王(れお)さん(30)は、こう言って笑顔をこぼした。穏やかな語り口調、そして温和さがにじみ出た顔つきは、当時からほとんど変わっていない。

報徳学園では第90回全国高校野球選手権で準々決勝まで進んだ(撮影・朝日新聞社)

プロ野球のソフトバンクからその年のドラフト3位で指名され入団、4年間在籍したが一軍でマウンドに立つことはなかった。12年秋に戦力外通告を受け、一時は野球から離れることも考えたが、13年にJR西日本に入社。野球部に在籍し3年間プレーしたのち、現役を引退した。16年1月からは三ノ宮駅で駅員として業務にあたってきた。

ソフトバンクからドラフト3位指名された(撮影・朝日新聞社)

そんな中、出向で京都大学硬式野球部監督を務めていた上司と酒席で一緒になった際に、一度母校の野球部を見に来て指導をしてほしいと声を掛けられた。

2017年1月から京大の臨時コーチに

「『近田君はプロの経験があるから、あまりにもレベルの差がありすぎて引き受けられなかったら遠慮なく言っていいよ』って言われたんですけれど、実際に見ると純粋にうまい子が多かった。生き生きとした表情の選手を見て、断る理由なんてなかったです。自分がどうこうではなく、一緒に楽しく野球がやれればいいと思い、(臨時コーチを)引き受けました」

17年の1月から本格的に指導に当たることになったが、まず投手陣に伝えたのは、武器になる変化球を一つ持つことだ。

「自信を持って投げられる変化球があれば、何とかなります。ただ、頭のいい子たちばかりなので、あっちとこっちに曲がる変化球があったら便利やねって、そちらに意識が傾きがちになるんですけれど、精度がないと使えない。困った時に使えるボールを持つことで、ピッチングの幅は広がります。あとは四球を嫌がりすぎることはダメ。四球は出したくて出していないのは分かるけれど、それを恐れていたら先には進まない。それはまず伝えました」

練習では、キャッチャーミットで投手陣のボールをブルペンで受け、捕手目線でボールを見ながら何が良くて何が悪いのかを見極めた。

「ボールカウントを設定して投げてもらって、どんな意識で投げているのかを確かめました。そこでコミュニケーションを取りながら各投手の傾向を見て、彼らの思いを肌身で感じるんです」

練習時間は夕方からがほとんどで、学部によって授業の終了時間が異なるため、終わった部員からグラウンドに出てアップを開始し、遅い部員は夜の9時過ぎまで練習に打ち込むこともある。

19年秋は初の4位に躍進

指導に携わって3年目の2019年には、新たな歴史を刻んだ。秋季リーグで、1982年に現行の関西学生野球連盟が発足して以来初の4位になった。最下位を19年ぶりに脱出した上に、1シーズン5勝、年間7勝はともに京大の新記録となった。

2019年秋季リーグの京大の躍進にも貢献した近田助監督(撮影・朝日新聞社)

今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響でグラウンドに出る人数も制限され、全員がそろうことは一度もなかった。春のリーグ戦も中止になるなど異例づくしだったが、9月からはコーチから助監督にポストが変わった。「去年くらいから実質ヘッドコーチのようなことはやってきたので、助監督は名目だけです。正式に出向になったのが今年の9月だったので、それを機に『監督』がつく役職に就いた方がいいのでは、ということで助監督という立場に就かせてもらいました」

抑えるためには速い球、とどうしても力を込めて投げがちだが、カーブの有効性を細かく伝えた。この秋のリーグ戦の近畿大学戦で、佐藤輝明(阪神1位指名)を打席に迎え、強打者は緩い球を嫌がることを肌で感じることはできた。

5節目の同志社大学戦で5-2と白星を挙げたが、1勝9敗で最下位に終わった。だが、近田助監督は下を向いていない。

最下位にも手応え

「去年までのリーグ戦を経験したのは、今年のチームではエースの原(健登・4年)だけでした。リーグ戦を通して大量失点で序盤から大きくリードされる試合もありましたが、実はこの展開もうまく使うようにしました。捨て試合というわけではないのですが、点差が離れた中で、あえて色んな投手をどんどん経験させました。経験さえすれば、力を発揮できる子は多い。その中でさらに失点することもありましたが、失敗しながら成長はできていたと思います」

近田助監督は自分の立場を、青木孝守監督と選手の間に立つ「お兄ちゃんのような立場」だと言う。良き相談相手として選手の本音に耳を傾けつつ、今も勉強の毎日だ。

「京大生は体のメカニズムを熟知していて、この部位をこう使えばここに効果的だ、など知識が豊富。むしろこちらが勉強になります。自分はプロにはなれたけれど、一軍で投げられませんでしたし、二軍でも投げられなかった時期もあって大成はしていません。もがき苦しみ、質問をしてくる学生に何かを言ってあげられるとは思っていますが、頭脳のエリートの集まる京大で、全員に言葉を掛ければいいというわけでもありません。ただ、大学時代は鼻高々で過ごしてきても、社会ではそうはいかない。ゴミ一つ落ちていることに気づけない時点で社会では通用しません。大学野球でも人間教育は必要なので、そのあたりは進言していきたいです」

「勝てたらいい」が「勝つんだ」に

助監督となり、今後、役割をどう担っていこうと考えているのか。
「正直、どこまでチームに貢献できるのか分かりません。京大は練習メニューも含めて選手たちで考えるスタンスの中、自分がちょっとしたきっかけとなることを言っているだけ。結果が出れば、自分が関わってきたから強くなったと世間的には見えるかも知れませんが、それは違います。強いて言うとしたら、勝てるという気持ちを徐々に植えつけられているかもしれません。今までは『勝てたらいいな』という感覚でしたが、『勝つんだ』という意識にはなってきている。一つひとつのプレーの質も上がってきていると思います」

近田助監督はオフにアマ野球の現場を巡り、さらに勉強したいという(撮影・沢井史)

指導の質を上げていくのは前提だが、彼らに合った指導をしていく必要があるとみている。「自分は(学生野球は)京大のことしか分かりません。外の血も感じないと京大野球部は成長していけないので、この冬はあちこち周囲を見ながら勉強して、選手に還元していきたい」と、時間があればアマチュア野球界の現場を巡りたいという。近田助監督の目は、今この上なく輝いている。

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