大学野球

連載:4years.のつづき

理想の指導を知った高校時代、早慶戦で夢膨らみ スポーツトレーナー・木村匡宏2

選手時代に木村さん自身が指導してもらったことが、いまのトレーナー人生で生きている(すべて撮影・松永早弥香)

連載「4years.のつづき」から、「IWA ACADEMY」チーフトレーナーの木村匡宏(まさひろ)さん(41)です。木村さんは慶應義塾大学体育会野球部を経て就職した後、岩隈久志(現・読売ジャイアンツ)が監修するIWA ACADEMYの設立メンバーとして活躍されています。4回の連載の2回目は、福島高校(福島)時代に受けた指導と初めて目にした早慶戦についてです。

王貞治さんにあこがれ「新運動原理」と出会い スポーツトレーナー・木村匡宏1

亀岡さんに教わりたい一心で、チームのために雑務もこなし

木村さんは福島県下一の進学校である福島高校に進むと、両親との約束通り、思う存分野球に打ち込んだ。そして2年生の夏、大きな転機が訪れる。

3年生が引退した夏休みのある日、3日間だけ甲子園出場経験を持つ臨時コーチの指導を受けた。土埃が舞うグラウンドに現れたのは、元巨人の江川卓(すぐる)さんと栃木・作新学院高校時代にバッテリーを組んだ名捕手。現在は文部科学副大臣兼内閣府副大臣を務めている亀岡偉民さん(旧姓・小倉)だ。当時はまだ代議士ではなく、選挙活動に奔走している時期。多忙な日々を送っているとはつゆ知らず、新主将になったばかりの木村さんは亀岡さんの指導に感銘を受けた。毎日が刺激的で、あっという間に3日間が過ぎた。

「直感でこの人に野球を教わったら、俺たち野球部は変われるかもしれないと思ったんです」。木村さんは居ても立っても居られず、すぐにペンを握って手紙を書いた。「引き続き指導してもらいたい」という嘆願である。朝練習のスケジュールなどを記し、熱意を伝えると、高校2年生の思いは届いた。ただし亀岡さんも、その思いが本物かどうか試したのだろう。条件がつけられていた。「主将自らが毎朝6時にグラウンドに来て、バッティングなどの準備をし、チームメートのために雑務もこなすこと」

木村さんはその約束をしっかり守り、秋から半年近く、チーム全員が亀岡さんの指導を受けた。すると、翌年の春季大会は14年ぶりに地区大会で優勝。練習が結果に結びついたこともあり、成長をしみじみと実感した。そして、コーチングに興味を持っていた木村さんは、その教え方にも感心させられた。

「一人ひとりの関わり方が違いました。教えるとはこういうことなんだなって。言葉で指導するだけではないんですよ。決して否定はしない。できたことを認めていく感じです。僕は亀岡さんに投げてもらったボールを打つだけでうまくなっている気がしました」

亀岡さんの一人ひとりに寄り添った指導に触れ、木村さんは選手として強くなれた

早慶戦で“エンジのW”に一目惚れ

人生経験豊富な亀岡さんからは野球の指導を通して、様々な影響を受けることになる。恩師は作新学院高から一般入試で早稲田大に進学。大学の野球部では後に巨人で江川さんの球を受ける山倉和博さんと正捕手の座を争い、卒業後は社会人野球の熊谷組でプレーした。現役引退後は早稲田の助監督も務めた。

高校生だった木村さんは亀岡さんの自宅に招かれたとき、部屋に飾られていた早稲田時代の写真に目を奪われた。その中には、在学中に一緒にプレーした元阪神の岡田彰布さんもいれば、早稲田の助監督時代の教え子である元ロッテの小宮山悟さん(現・早稲田監督)もいた。当時の逸話をいろいろと聞かされると、大学野球にひかれていった。野球部を引退したばかりの3年生の夏だ。「一度見に来い」と新幹線の切符と早慶戦のチケットを手渡された。

一人で福島から上京し、神宮球場のスタンドに腰をかけると、伝統の一戦が醸し出す雰囲気に圧倒された。黒の学生服をびしっと着た野球部がきれいに並び、声を張り上げて応援していた。

「大学にはこんな舞台があるのか。スタンドが真っ二つに分かれて、大応援団の声がこだましていました。ひと目で“エンジのW”にあこがれて、『絶対に早稲田に行きたい!』と思いました。メンバー表を見れば、出身校は野球の名門ばかりではなく、進学校もありました。誰にでも門戸が開かれていると知れたのも大きかったです。『よし、僕もチャレンジしよう』と思ったんです」

早稲田を目指して二浪するも、慶應へ

志望校はすぐに決まった。早稲田1本。神宮球場の売店で購入したエンジ色のペナントを自宅の部屋に飾り、受験勉強に励んだ。ただ、現実は厳しかった。一浪しても“都の西北”は遠かった。覚悟を決めた二浪目。もう失敗はできない。複数の選択肢を視野に入れて、3度目の大学受験。合格通知が唯一届いたのは慶應義塾大だった。

あこがれの早稲田ではなく慶應に進むことになるも「それも縁」と木村さん

木村さんは意中の大学には進めなかったものの、気持ちを切り替えて、新たな一歩を踏み出した。早稲田と同じく東京六大学野球連盟に所属する慶應野球部も、言わずと知れた名門。新入部員の木村さんは、一番下の三軍からスタートする。当然ながら周囲のレベルは高く、簡単に出場機会などめぐってこなかった。

厳しいトレーニングに加えて、多くの雑用もこなさなければいけない。夜遅くまで先輩のユニホームを洗濯し、乾燥機で完全に乾かし、きれいに畳んでバッグの上に置くまでが仕事。神宮の赤土はなかなか落ちずに苦労したのも、いまではいい思い出だ。ときには24時まで雑務をこなし、翌朝は6時からグラウンド整備。下級生のころは「めちゃくちゃしんどかった」と振り返るが、慶應野球部員として高揚感に包まれた日もあった。それが、高校3年生の夏に思いをはせた早慶戦である。

グラウンドから見る早慶戦は景色が全然違った スポーツトレーナー・木村匡宏3

4years.のつづき

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