王貞治さんにあこがれ「新運動原理」と出会い スポーツトレーナー・木村匡宏1
連載「4years.のつづき」から、「IWA ACADEMY」チーフトレーナーの木村匡宏(まさひろ)さん(41)です。木村さんは慶應義塾大学体育会野球部を経て就職した後、岩隈久志(現・読売ジャイアンツ)が監修するIWA ACADEMYの設立メンバーとして活躍されています。4回の連載の初回は、空手少年が野球に出会った話です。
答えがないのがスポーツ、だから一人ひとりに寄り添って
昨夏、米大リーグのロサンゼルス・ドジャースで一時不振に陥っていたクライアント本人から、木村さんの元に動画付きのメッセージが送られてきた。差し出し人は前田健太(現・ミネソタ・ツインズ)である。添付された映像は、自身が登板した試合の投球フォーム。映像を見た瞬間、木村さんは好調時との違いにすぐに気がついた。体の軸が前田本来の位置から少しズレていたのだ。それにより、リリースポイントが変わり、投球に影響を及ぼしている。木村さんは時間をさほどおかずに、気になる修正ポイントを返信。昨季、前田が71日ぶりに価値あるシーズン8勝目を挙げたのは、その直後だった。
「僕がやることは個々の感覚に根ざしていて、一人ひとりの深いところに入っていきます。僕自身、トレーナーと言われますけど、その言葉がしっくりきていません。トレーニングは処方しますけど、コーチングのコミュニケーションも多いんです。選手とのやり取りが大事だと思ってます」
木村さんが主に指導するのは、競技のパフォーマンスを上げるための体の使い方や作り方。担当しているのはトッププロだけではない。夢に向かってバットを振る小学生から草野球を楽しむ70代の人まで、年齢層は幅広い。競技種目もサッカー、ラグビー、バドミントンなど多岐にわたる。プロと子どもではアプローチの仕方は異なるが、根本は変わらない。
「スポーツには答えがありません。こういうことをすればこうなる、という経験を蓄積することが大切。その積み重ねで、勘所がよくなっていきます。プロ選手に教えてもらったことを子どもに教えることもありますし、子どもに教えてもらったことをプロに伝えることもあります」
空手大会で完膚なき敗北、それがある助言で一変
選手はコーチングひとつで変わる。木村さんがそのことを実感したのは30年ほど前だ。地元の福島県で小学校2年生から近所の空手道場に真面目に通い、めきめきと力をつけた。6年生のころには東北大会に初出場。そのときのことは忘れもしない。宮城県仙台市の選手に完膚なきまでに負かされ、ぼう然とした。「あんな経験は初めてでした。『なぜなんだ』と思いましたね」
その後、福島国体の強化選手に選ばれて合宿に参加。全国レベルの高校生から助言を受けて、東北大会の敗因がはっきりとする。組み手の距離の取り方を教えてもらい、目からうろこが落ちた。先輩のアドバイスを忠実に守ると、次の東北大会では見事に優勝を飾り、全国大会でもベスト8進出を果たしたのだ。「知っているのと知らないとでは、相当違います。どのスポーツでも勉強でもそう。問題を解決する方法は何かしらあるんだなって」
「王さんのようなホームランを打ちたい」
中学生からは高校野球にあこがれて、真剣に白球を追うようになった。打ち込む競技は変わっても、疑問をそのままにしない姿勢は変わらなかった。2年生のときにテレビで巨人のユニホームを着た王貞治さん(現・ソフトバンク球団会長)のホームランを見て、衝撃を受けた。「このスイング、すごいわって。何かの回想シーンだったんですけど、放物線を描くように飛んでいく打球を見て、僕もこんなホームランが打ちたいと思ったんです」
ただ、当時の指導者から教わっていた打ち方では、どれだけ振り込んでも飛ぶ打球はゴロばかり。バットの芯で捉えたとしても、左中間を抜くのが精いっぱい。アーチをかける一発は夢のまた夢。父親に「王さんのようなホームランを打ちたい」と相談すると、忘れかけたころに、机の上に一冊の本がそっと置かれていた。技術指導系の野球専門誌だった。手に取ってページをめくる。目がとまったのは、プロ野球の日本ハム、ダイエー(現・ソフトバンク)などでコンディショニングコーチを務めた手塚一志さんの「新運動原理」という記事。後に師と仰ぎ、人生を大きく変えた人となるが、木村少年はただただ感銘を受けた。
「水銀体温計を冷ますときに、必ず手で振ってから使いますよね。これは誰もが選択する動きです。何事においても、それぞれに備わった運動の原理がある、と。体の使い方も同じ。このとき僕の中で、テレビで見た王さんのホームランと重なりました。『これはもっと知りたいな』と思ったんです。突き詰めて追求していくのが好きなんでしょうね。両親が僕をその気にさせてくれましたし、火を消さないようにしてくれました」
中学2年生限りで空手との掛け持ちを止め、野球にのめり込んでいく。勉学も疎かにすることはなかった。部活であこがれた先輩は文武両道を貫く人気者。背中を追いかける人の影響は計り知れなかったという。両親が提示した卒業後の進路の選択肢は2つ。野球を続けるのであれば、県下一の進学校である福島高校(福島)へ。もう一方は学法福島高校で空手に励むこと。野球にどっぷり浸かっていた木村さんにとって、前者を選ぶのは必然だった。
受験勉強の末、福島高校に進むと、気持ちよく頭を丸めて、野球部の門を叩く。そこでは、人生を変える運命の出会いが待っていた。