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連載:4years.のつづき

日々全力、でも「人のために」が欠けていた 川崎ブレイブサンダース勝久ジェフリー4

4years.のつづき
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勝久さん(中央)は17年、18年10月まで、サンロッカーズ渋谷でHCを務めていた(写真提供・B.LEAGUE)

連載「4years.のつづき」から、2019-20シーズン、男子プロバスケットボールのBリーグ「川崎ブレイブサンダース」のアシスタントコーチ(AC)を務めた勝久ジェフリーさん(38)です。5回の連載の4回目は、千葉ジェッツと岩手ビッグブルズ、サンロッカーズ渋谷で過ごした日々についてです。

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経験のなさに悩むも、すべてをバスケに注ぎ込んだ

千葉ジェッツでプロコーチとしてのキャリアを始めた当時を、勝久さんは「すごく難しかった」と振り返る。千葉は当時、創設1年目。関わる人それぞれがクラブの土台作りに奮闘する中、勝久さんはアシスタントコーチと通訳においてそれを担わなければならなかった。

「コーチとして生きるうれしさや感謝はありました」と前置いた上で、勝久さんは当時の苦労を明かす。「ここまでいろんな準備をする必要があって、ここまでいろんなことを考えなければいけないのか、と……。好きなことを仕事にしていたので、『やりたくない』と思ったことはありませんが、当初はつらい経験の方が多かった記憶があります」

何より痛感したのが、コーチとしての引き出しのなさだった。小さなころからバスケを愛し、たくさんの映像や本から学んできた自負はあったが、それをトッププレーヤーたちに落とし込めるかというと話は別だった。

「経験がないからやっぱり無理なのか」。そんな思いが頭をよぎったこともあったが、勝久さんは立ち止まらなかった。「僕には、他の人が持っているようなキャリアはありませんが、バスケットが好きで、人のために何かしたいということへの情熱は絶対的なものだった。だから、迷いはなかったです。誰よりハードワークして、絶対に成功させるという気持ちでした」。ハイスクール時代の恩師の「努力をしたら絶対に先のことは心配しなくていい。結果はついてくる。自信を持ってやれ」という言葉が灯(ともしび)となった。

そして勝久さんは、できることから一つひとつ足がかりを作っていった。任された業務をしっかり遂行すること。クラブのルールを守ること。仲間たちをリスペクトし、協力し合うこと……。一人の人間としての振る舞いから、自分が信頼に足る存在であることを理解してもらおうとした。選手たちの成長を助けるためなら、彼らの話を聞いたり、長時間の自主練習に付き合ったりすることも厭(いと)わない。映像や書籍にあたる量も増やし、自由に使えるすべての時間をすべてバスケに注ぎ込んだ。

勝久さんは千葉で4シーズンを過ごした後、ついに岩手ビッグブルズでヘッドコーチ(HC)に就任した。「ジェッツさんが自分の『コーチをしたい』という気持ちを受け止めてくださったことに、とても感謝しています。様々な経験と出会いがあり、自分のキャリアの中でかけがえのない4年間を送ることができました」

HC解任、原点を見失っていたことに気づいた

和やかに進むインタビューの中で、なかなか切り出せずにいた話題があった。勝久さんは17年と18年にはサンロッカーズ渋谷でHCを務め、18年の10月末、その職を解任されている。理由は成績不振。シーズン開幕から約1カ月のことだった。

勝久さんはサンロッカーズ渋谷で初めて契約解除を経験した(写真提供・B.LEAGUE)

「コーチをやっていて一番つらかったのは、いつですか?」。インタビューの終盤にそう尋ねると、勝久さんは「そうですねぇ……」とつぶやき、しばし遠くを見やってから、前述の、人生初めての契約解除だったと答えた。

「やっぱり大好きなことをやっているので……。自分のすべてを仕事に注ぎ込んで、自分を投影してコーチングをしていたので、それをバッサリと絶たれたときには、どうしても自分自身を否定されたような気持ちになりました」

穏やかな口調だった。しかし、勝久さんは小さく息を吐きながら、ゆっくり、ゆっくりと言葉を口に出した。

そのシーズン、勝久さんはどの団体にも属することなく、浪人生活を送った。家族との時間を増やす、ブンデスリーガ(ドイツリーグ)の強豪クラブを視察するなど有意義に過ごす中で、改めて渋谷にいたころの自分と向き合った。そして、「人のためになりたい」というコーチとしての原点を見失っていたことに気づいた。

「プロですから勝ち負けはもちろん大事です。ただ、当時の僕はそれにとらわれ過ぎて、選手やいろんな人との対話や振る舞いが、『その人のために』という思いに基づいていなかったように感じました。それまで大切にしてきた、選手を成長させることや、チームに一体感を持たせることへのフォーカスを忘れ、勝った・負けたですべてが180度変わっていた。言い方を変えれば、チームに対する愛情レベルが、チームの一員としてあるまじきものだった。そうやって考えてみると、自分の契約解除は妥当な判断だったのかなと思えました。この振り返りに至るまでは、痛かったし、つらかったです。でも答えにたどり着けたことで、この経験を次に生かそうと、前向きにとらえられるようになりました」

契約解除は妥当な判断だったと、勝久さんは受け止めている(写真提供・川崎ブレイブサンダース)

このような経験をしている勝久さんだからこそ、若い世代に言えることがある。

「何か目指すものがあるのならば、『なぜそれをやりたいのか』『自分は人として何を大切にしているのか』という問いへの答えを、少しずつ整理して、大事にしていってほしい。その答えは、困難に直面したときに、それでも前に進むための原動力になってくれるはずです」

あまり思い出したくないだろう記憶を掘り起こさせたことに、申し訳なさは否めなかった。口ごもりながらそのことを伝えると、勝久さんは「たぶん、学生たちもつらい経験や失敗をしているでしょうから」と言い、「僕の経験から大いに学んでほしいです」と朗らかに笑った。

“恥の虜”にならないでほしい 川崎ブレイブサンダース勝久ジェフリー5完

4years.のつづき

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