水泳

連載:4years.のつづき

あこがれのアテネオリンピックで8位、まだ見ぬ世界を知りたい 寺川綾1

スポーツキャスターとして様々なスポーツに触れるいま、寺川さんはやりがいと楽しさを感じている(撮影・齋藤大輔)

連載「4years.のつづき」から、近畿大卒業後、2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ/4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得し、現在も50m/100m背泳ぎの日本記録をもつ寺川綾さん(35)です。現役引退後はスポーツキャスターをはじめ、多方面で活躍しています。4回の連載の初回は初めて日本代表に選ばれ、アテネオリンピックに挑んだときの話です。

スポーツキャスターとしてのいま「楽しまないともったいない」

高校2年生で初めて日本代表になり、同年代の伊藤華英とともに世間の注目を集めた寺川綾。12年のロンドンオリンピックで銅メダル、13年にはFINA世界選手権(スペイン・バルセロナ)の50mと100m背泳ぎで銅メダルを獲得したことを最後に、「卒業」と第一線を退いた。

いまは報道ステーションのスポーツキャスターを務めながら、寺川自身も「生涯スポーツである」と話す水泳の普及やアスリートのサポートに尽力している。いまの仕事について寺川に問うと、「こんな仕事をすると思っていなかった」という言葉が返ってきた。「だって水泳しかやってこなかったのに、こんなにいろんなスポーツに携わらせてもらえるなんて、自分でもビックリですよ」

同時に、新しいことが分かる楽しさも引退後の仕事から教えてもらった。「新しいことが分かるというのは、いままでにない発見も多いですし、楽しいです。やることがたくさんあって大変な面もありますけどね。ジムに1時間行くのも大変ですから。でも、そんな新しいことをさせてもらえたり勉強させてもらえたりするチャンスなんて、なかなかないと思うんですよ。どうせやるなら、楽しまないともったいないですからね」。屈託のない笑顔を見せて、あっけらかんと寺川は言う。

自分の知らない世界に飛び込むことは、学ばなければならないこと、知らなければならないことも多く、精神的にも疲れてしまう。でも、マイナスにばかり考えていても仕方がない。せっかく自分が知らないことを知ることができるチャンスだと捉え、積極的に自分から歩みを進めていく。このポジティブさを持って、寺川は幾度となく訪れた試練を乗り越えてきたのである。

理不尽に注目されるつらさを乗り越えて

当時はまだ高校生だった寺川が世間から最初に認知されたのは、競泳の成績ではなく、その容姿だった。「私よりもっとすごい選手がいるのに、なんで自分が取り上げられるの? という気持ちはずっとありました。なんでテレビはそんなことを言っちゃうんだろうって思ったこともあります」

高3だった2002年のパンパシフィック水泳では200m背泳ぎで銀メダルを獲得した(撮影・朝日新聞社)

当時、国内での世界大会に39人もの代表選手が選ばれた。その中には、00年のシドニーオリンピックメダリストである中村真衣や田中雅美、源純夏、大西順子もいれば、クラブの先輩でもある山本貴司に北島康介など、スター選手はいくらでもいたはずだった。それなのに、なぜ初代表で何の実績もない私がこんなに注目されるのか。「日本選手権が終わって代表が決まった後は、いろんなことを言われた」と当時を振り返る。

近畿大学附属高(大阪)に進学したとき、あこがれの先輩たちと同じジャージ、同じ水着を身にまとうことに誇りを感じ、身が引き締まる思いだった。そんな先輩たちと同じ舞台に立ちたいという一心で目指していた日本代表に入ることができてうれしいはずなのに、なぜこんなに嫌な思いをしなければならないのか。テレビに顔が出ることによって、街で声をかけられることも増えた。「何も悪いことをしていないのに、なんで逃げたり隠れたりしなきゃいけないんだろう」と思い悩むこともあったという。

しかし、ふとした瞬間に気持ちが吹っ切れた。「それだけ応援してくれる人が増えた、って思おう! って思えた瞬間があったんです」。加えて「速くなって注目を集める選手は、みんなそういうもんだよ」と、明るく言った恩師の言葉も大きかった。「そうなのかもな、って。たぶん、それが人よりも早くきちゃっただけなんだ、って思えるようになりました」

五輪でメダルを取らないと知り得ないことがある

寺川の強さは、気持ちの切り替えがうまかったからなのかもしれない。そして、切り替えたら、後ろは決して振り向かない。「後ろばっかり見てもしょうがないし、楽しくないですから。精一杯思い悩めばいい。苦しんだっていい。でも、そればかりじゃなくて、思いっきり悩んで考えて苦しんだら、あとはもう次に向かって進めばいい。一歩を踏み出せば、後ろを見ないで一所懸命に突き進めばいい」。そう思えた自分がいた。

03年、近畿大に進学した寺川は、毎日ががむしゃらだった。「朝練習をしてから学校に行って、帰ってきたら午後の練習に行っての繰り返し。結構多忙でしたよね。いま振り返れば、大学で過ごした4年間は一瞬でした」。高校時代にはやっていなかったウエイトトレーニングも始め、それに伴って水泳の成績もついてきた。

初めて挑んだオリンピックで寺川さんは200m背泳ぎで8位となった(撮影・中田徹)

大学2回生の04年には、200m背泳ぎであこがれていたオリンピック(アテネオリンピック)への出場を果たす。2歳年上の中村礼子が銅メダルを獲得する中、寺川は同種目で8位入賞。夢にまで見たオリンピックの舞台だったが、見ると聞くとは大違いとはよく言ったもので、華やかさの裏に、競技としてのシビアな面がよく見えた。

「メダルを持って帰ってこられなかったら、何をしに行ったの? と言われる世界。特にアテネオリンピックは、競泳チームがたくさんメダルを獲得したときでしたから。本当に、うん、怖かったですね」

初めてのオリンピックで寺川が感じたのは、メダルをとったチームメートのようになりたいと思ったポジティブな面と、メダルをとらなければ意味がない、というネガティブな面の両方だった。それでも、寺川は次のオリンピックを目指した。

あこがれの舞台、アテネオリンピックでの経験は競技者として多くの気付きを寺川さんにもたらした(撮影・齋藤大輔)

「そういうオリンピックの厳しさを知って終わることもできたと思います。でもやっぱり、オリンピックでメダルをとったらどうなるんだろうって。自分でメダルをとらないと、それは知り得ないことじゃないですか。周りを見て知ることはできます。でも、その渦中にいないと本当のことは見えてこない。ただ厳しい世界というだけなのか、それとももっとほかの世界があるのか。それを知りたかったということも、次のオリンピックを目指した理由の一つでした」

苦楽をともにした仲間の言葉がオリンピックのメダルにつながった 寺川綾2

4years.のつづき

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