苦楽をともにした仲間の言葉がオリンピックのメダルにつながった 寺川綾2
連載「4years.のつづき」から、近畿大卒業後、2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ/4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得し、現在も50m/100m背泳ぎの日本記録をもつ寺川綾さん(35)です。現役引退後はスポーツキャスターをはじめ、多方面で活躍しています。4回の連載の2回目は自身2度目となるオリンピックについてです。
部活も勉強も学園祭の売り子も一生懸命
04年のアテネオリンピックが終わってからも、大学生活は続く。大きな大会があったとしても、大学の授業もテストも待ってくれない。「とにかくすべてに全力でした。アテネオリンピックが終わっても次のオリンピックを目指してスタートして。でも当然、大学に行けばテストがあって『やばい!』みたいな。勉強して、また練習して。ほかのことを考える時間なんてありませんでした」
ある年の学園祭では、水上競技部で揚げパン屋をやることになった。「そのときの先輩から、おいちょっとお前売り子やってこい、って言われて。全力でお客を呼び込みましたよ。『あれ、水泳の?』って言われることもあって。『うん、そうそう、だからちょっとおいで』みたいな感じで連れてくることも。教授にも売りに行きましたよ」
もちろん、このときも朝練習が終わってから。しっかり練習をしたあとで揚げパンの準備をして、また夜は練習する。そんな多忙な大学生活は、たくさんの思い出に満ちあふれた楽しい時間だった。
同世代の何気ない言葉に救われた
寺川が大学を卒業したのは07年3月。当時の競泳の世界では、大学を卒業すると同時に引退する選手が多かった時代。寺川は競技を続けることを決める。「引退するという考えはゼロでした。まだここで終わりじゃないな、というか、終わりたくない、というのがありました。それが一つと、もちろんオリンピックをもう一度目指したいというのも理由の一つでした」
アテネオリンピック以降、実は寺川は代表落ちを経験していた。それでも、自分はもっとできると信じていた。頑張れば、自分はもっと上に行けると信じていた。しかし、現実は厳しかった。大学卒業後も目指していた08年の北京オリンピックの選考会を兼ねた日本選手権で、寺川は100m背泳ぎで4位、200m背泳ぎでは3位という結果に終わり、もう一度オリンピックで戦うという夢は潰(つい)えてしまう。
「大学を卒業するときはもっとできると思っていたんですけど、さすがにこれ以上はできないのかな、伸びないのかなって思った瞬間もありました」
苦しみながらも、その都度気持ちを切り替え、自分を信じて前を向いてきたが、さすがに心が折れた。「でも同世代で同じように頑張ってきた友人たちが、もっとできるんじゃない、ここで終わったらもったいないんじゃない、ここで諦めたら後悔するんじゃない、って言ってくれたんです」
もったいないという言葉は、アスリートにとって見れば失礼な言葉である。自分がどれだけ頑張ってきたか。どれだけのものを犠牲にしてオリンピックに向けて心血を注いできたか。その努力を、もったいない、という言葉だけで片付けてほしくないと思うところだ。寺川は、このときのことをこう振り返る。
「赤の他人からそう言われていたら、きっと簡単に言うなってなっていたと思います。でもずっと一緒に頑張ってきて、いいことも悪いことも一緒に経験して成長してきた同世代の仲間でしたから。そういう仲間に言われたから、そうかもしれないな、と純粋に受け入れられたというか、心にすとんと落ち着いたんですよね。だから『もう一回やってみよう』って思えました」
吹っ切ったら、前しか見ない。そんな寺川はここからアクセル全開で駆け抜けていく。
09年の日本選手権では、100m背泳ぎで自身初となる1分を切る59秒67で優勝すると、50m背泳ぎでは日本新記録を樹立(27秒78)、200m背泳ぎも制して3冠を達成し、イタリア・ローマでのFINA世界選手権への出場権を手にする。10年の日本選手権も2年連続で3冠。11年は200mで惜しくも2位となるが、50m、100mでは強さを見せつけて優勝。中国・上海で行われたFINA世界選手権では、50m背泳ぎで銀メダルを獲得。世界選手権初のメダルに、苦しみ抜いた6年分の笑顔が表彰台ではじけた。
行けなかったオリンピックがあったから
そして、運命の12年。寺川にとって3度目のオリンピック挑戦の年がやってきた。
「アテネオリンピックのときは何も知らなかったですから、ただただオリンピックに出たいという思いでかなったオリンピック出場でした。次の北京オリンピックまでは思い通りにいかないことの方が多くて、いろんな難しさを痛感した4年間でしたね。その先、ロンドンオリンピックまでの4年間は、それまでの時間を含めて、本当に充実した時間でした」
寺川に迷いはなかった。それは12年の日本選手権に100m背泳ぎにしか出場しなかったことからもよく分かる。
節目という節目で、アクセルを強く踏みしめてきた寺川は、その日本選手権の100m背泳ぎで59秒10の日本新記録で優勝。そして、ロンドンオリンピック本番ではその記録をさらに更新し、58秒83で銅メダルを獲得する。競泳最終日の4×100mメドレーリレーでも、同じチームでトレーニングする加藤ゆか、上田春佳らと一緒に銅メダルを獲得。夢にまで見た、オリンピックでの表彰台。そこから見る景色は格別だった。
「いま思うとですけど、北京オリンピックは行けなくてよかったな、と思います。北京オリンピックに行っていたら、メダルがとれなくて『ああ、やっぱりダメだったんだ』で終わって引退、というのが想像できちゃうというか。正直に言えば、北京オリンピックのときは代表に選ばれるのに必死でしたから、オリンピックでどう戦うか、なんてビジョンはありませんでした。代表をつかみにいくことに必死になっているようじゃ、オリンピックでメダルなんてとれませんから。代表に入るのは当たり前。そうならないと、世界と戦うなんてできませんから」
メダルをとったいまだから分かること。大学で引退していたら、オリンピックでメダルをとれない世界しか知ることはできなかった。でも、悔しさを胸に頑張り続けたから、心が折れたときに仲間が励ましてくれたから、オリンピックでメダルをとる世界を知ることができたのである。