次のステージに進むときだと気付いたから、私は引退を決意した 寺川綾3
連載「4years.のつづき」から、近畿大卒業後、2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ/4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得し、現在も50m/100m背泳ぎの日本記録をもつ寺川綾さん(35)です。現役引退後はスポーツキャスターをはじめ、多方面で活躍しています。4回の連載の3回目はロンドンオリンピック後、引退を決意するまでの話です。
“ご褒美”の1年、「神ってる」状態が続いた
夢にまで見たオリンピックのメダルを獲得した寺川は、13年まで現役を続行する。「このとき、オリンピックでメダルを獲得した選手には、世界選手権への内定をいただけていましたから」。この1年を寺川は“ご褒美”だったと話す。
「13年の世界選手権の場所は私の大好きなバルセロナ。こんなご褒美、ありませんよ。それだけじゃなくて、ロンドンオリンピックのあとは、何をしても調子があまり崩れなかったんです。すごく水泳が安定している、というか。いままで必死になって微調整を頑張ってきたのに、そんな必死にならなくても、全然タイムも感覚も、もちろん泳ぎもぶれないんです」
スポーツ選手なら、どこかで感じたことがあるかもしれない。ここをこうすれば、こうなる。だからこうすれば解決する、など、なぜか答えが見えていて、それに対して自分が何をすればいいのかが明確に分かる世界。これも、試合前のそれとは違うかもしれないが、一種の“ゾーン”なのかもしれない。そんなゾーンに、寺川はたどり着いた。「不調なんて、ないんですよ。何の不安もありませんから。何をしても平気、何をしても大丈夫って思える。いまで言えば、まさに『神ってる』状態でした」
国内の大会で負ける気など一切起きなかった。ちょっと調子が悪いな、疲れがあるな、と思っていたとしても、大会に出たら絶対に負けない、大丈夫、という自信に満ちあふれていた。
自分が目指していたのは何なのか
ここで一つ、疑問が浮かぶ。寺川はこの13年の世界選手権を最後に第一線から退いた。そんな「神ってる」状態でありながら、なぜ次のオリンピックを目指さなかったのだろうか。
「このままあと4年いけるんじゃないか、と思いました。このまま普通に、オリンピックでまたメダルはとれるかもって。でも、次のオリンピックに向けて、どこを目指して、どういうことに取り組んでいくのかを細かく考えていったときに、初めて悩んだんですよ」
いままでオリンピックという大きな目標に対して、迷うことなどなかった。04年のアテネオリンピックはとにかく出たかったし、08年の北京オリンピックも必死に代表権をとりにいった。それでも代表になれなかった悔しさを胸に、12年のロンドンオリンピックでのメダル獲得を目標に頑張り続けた。しかし、初めて迷いが出た。迷いというよりも、目標が見つからなかったのだ。
「こうやっていきたい、というのが、いままではちゃんとありました。でも、それが見つけられない。自分の目標さえ自分で見つけられないようじゃ、選手としてはダメ。そんな状態で、オリンピックで勝てるわけがない。水泳はそんな簡単なものじゃない。それを自分でも分かっていたので、『あ、やめるときかもしれない』って初めて思ったんです」
だから、バルセロナでの世界選手権で50mと100mの背泳ぎで2つの銅メダルをとっても、不思議と「何もうれしくなかった」という。このまま競技を続けても、きっとオリンピックでメダルをとることはできるだろう。でも、果たして自分が本当にロンドンオリンピックよりも上の成績を残したいと思っているのか。金メダルをとりたいと心から思っているのか。それがイメージできなかったのだ。
「オリンピックが終わっても、同じようにトレーニングはやっていました。このままこの練習をすれば、世界選手権でもメダルはとれるなって感じていた部分があって。で、実際にメダルがとれて。そのときに、『うーん、自分が目指していたのはこれなのかな』って」
世界という舞台でメダルを獲得することは、幼いころからの夢だった。しかし、当たり前のようにメダルをとり続けることが夢だったのだろうか。メダルをとれるという確信のもとで練習を続け、そしてメダルを手にすることが、自分がやりたかったことなのだろうか。
「(世界選手権の)100mの表彰式の前、控え場所でライバルだったオーストラリアのエミリー・シーボームという選手が言ったんです。『去年と同じメンバーね』って。それが私にとってはうれしいことではなくて、なんだろうって。すごく違和感があったんです」
オリンピック出場やメダルはあくまで“目標”であって、“目的”ではない。寺川が真に求めていたのは、それではなかったのだ。寺川がシーボームの言葉に感じた違和感は、自分がアスリートとしてではなく、人間として次のステップに進むときであることを教えてくれたのである。
幸せな競技生活とその幕引き
もう一つ、寺川が引退を決意した理由があった。
「私の次にくる二番手の選手がいなかったんですよ。例えば次のオリンピックで金メダルをとりたいという気持ちがあれば、たぶん絶対に何があっても国内トップの座は譲らないって決めていたと思うんです。でもそうじゃなくて、私が現役を退くことで、代表の枠が一つ空くから、若い子にもっと世界を経験してほしいなっていう気持ちが出てきたんです」
自分が座っている代表というイスを将来有望な若い選手に譲ることで、かつて自分が経験してきたようなきっかけを与えられるんじゃないか。「そうやって、結果はともかく、若い子たちが世界を経験して、また私と同じようにオリンピックに向かっていってくれたらいいなって。そういう気持ちが自然と自分の中に生まれたんですよ。だから、競技を引退するときって、こういう気持ちなんだなって思いました」
そして寺川は、こう言葉を続けた。「現役でやりたいのに無理やりやめたわけじゃないし、やめざるを得なかったわけじゃない。自分で引退するタイミングに気づけて、自分で引退することができた。もっとやりたかったとか、これっぽっちもなかったので。だから、すごい幸せでした」
こうして寺川は26年にも及ぶ水泳人生の幕を閉じ、社会人としての第一歩を踏み出したのである。