新しい世界に飛び込むみんなへ、毎日を全力で楽しんで 寺川綾4完
連載「4years.のつづき」から、近畿大卒業後、2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎ/4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得し、現在も50m/100m背泳ぎの日本記録をもつ寺川綾さん(35)です。現役引退後はスポーツキャスターをはじめ、多方面で活躍しています。4回の連載の最終回は自身の学生時代や現役時代を振り返り、いまの学生やアスリートへのメッセージです。
取材される側から取材する側になって分かったこと
現在、寺川はアスリートをサポートする活動をしながら、スポーツキャスターとしても活躍している。取材される立場から、取材する立場へ。立ち位置が変わることで、見えてくることもあった。
「昔は取材が嫌だなって思うこともありましたし、それが顔とか、言動に出ていたと思うんです。逆にいま取材に行かせていただいていて、一度も経験していませんけど、もし選手からの返答が『そうですね』の一言だけだったら、え、どうしよう、って思いますよね。多分、自分自身も少なからずそういう態度をとってしまっていたこともあったと思います。だから、もうちょっと考えて取材に対応できていたらよかったなとか、いろいろ周りからの目も変わっていたかな、と思うことはあります」
競技から離れ、立場が変わったことで初めて知ることができた世界だった。
新しい世界を経験できる毎日を全力で過ごしてほしい
改めて競技を引退し、一人の人間として社会生活を送っている寺川がいま、大学生に伝えたいことが二つある。一つは、今後の人生にも続いていく人間関係を構築できる時間である、ということ。
「大学時代っていうのは、自分の狭い世界だけじゃなくて、新しい世界の人たちとの交流が増えたり、上下関係や礼儀を学んだりできる時間なんじゃないかな、と思っています。社会人としての基盤を蓄積できるチャンスというか。もちろん、いま自分がやっている競技を通してでもいいと思います。高校生までって、自分の家族だったり友達だったり、交友範囲って結構狭いと思うんですよ。でも、大学生になったら教務課の先生方だったり、先輩だったり、OBやOGだったり、本当にいろんな人たちと交流する時間ができます。自分の知らなかった、新しい世界が広がっているんです。自分がやっている競技の世界以外の世界にいる人達の、考え方なんかに触れることもできる。そういう意味で、自分の世界が一気に広がるのが、大学生の4年間なのだと思います」
さらに「そんな幸せなことに気づけないんですよね」と付け加え、「でもそれが大学生のいいところだったりするのかもしれませんね」と寺川は笑う。
もう一つは、いま取り組んでいることに対して一所懸命、全力で取り組んでほしいということ。
「水泳界で言えば、いまの選手たちの選択肢はとても多いと思うんですよ。例えば競技を続けたいと思ったら受け入れてくれる体制が整っていますし、引退しても進める世界がたくさんある。私が大学4年生のときよりも選べる世界が多いんじゃないかな。昔に比べていろんなチョイスができるいまだから、私は学生選手たちの一つの道しるべでありたいと思っています」
学生で引退するにしてもしないにしても、いまは昔に比べると自分が納得いくまで水泳をやれる環境がある。だから、いまはその環境に感謝しながら、一所懸命競技に取り組めばいい。一所懸命、頑張ればいい。
「引退した後の世界はいくらでも選べる。何でもできるんですよ。新しい、自分が知らない世界に飛び込むのは不安が大きいと思います。でも、やりたいことは水泳をやめてからでも見つかるし、何でも挑戦できる。私もそうでした。やめた後のことは何も考えていませんでした。でもいろんなチャンスをいただけて、それに一所懸命取り組んでいくことで、また次のチャンスをいただけて。だから私は、競技をやめた後のあなたたちにはいろんな道があるんだよ、たくさん道があってどれでも自分でチョイスできるんだよ、って伝えたいです。私が進んでいる道は、その内の一つにしか過ぎない。こういう道もあるよ、という道しるべなんです」
だから、そんな小難しいことは考えなくてもいい。自分が大学4年間で経験していることを忘れないでほしい。そして、1日1日を全力で、一所懸命過ごしてほしいと願う。「私も毎日全力でした。だから、後になって大学生活での大切なことに気づけたり、周りの人が助けてくれたりしたんだと思います」
どうせやるなら楽しんだ方がプラスに働く
いま新型コロナウイルスの世界的流行により、スポーツ界の時間は止まっている。それでも、少しずつ未来のゴールは見え始めた。延期が決まった東京オリンピックは、21年の7月23日に開幕が決定した。水泳界では、今年中止になった日本選手権は12月ごろに、オリンピック選考会は21年4月に予定されている日本選手権で調整すると発表された。
しかし、日本学生選手権はまだ未確定。今年度に卒業を控える学生にとっては、今後の競技生活や就職活動もどうすればいいか、見通しは立っていない。それでも、毎日を全力で過ごしてもらいたい。特に、オリンピックを目指す大学生アスリートたちには、少しでもこの期間を前向きに捉えてほしいと寺川はメッセージを送る。
「いままで、おそらく恐ろしいくらいの練習をしてきたと思うんですね、東京オリンピックに向けて。そうやって積み重ねてきたものは、絶対に裏切らない。オリンピックを含めて、いろんなものが延期や中止になる中で、そこで思考をストップするのではなくて、この時間をどう使うのかを考えてほしい。競技者としてのマイナス面を補うこともできるし、長(た)けているところをさらに伸ばすこともできる。プラスに考えて、という言葉は軽々しく聞こえてしまうかもしれません。でも、オリンピックはなくなったわけじゃない。ゴールがないのは、選手ってすごくきついと思う。でもゴールは決まったので、そこに向けて計画を練り直して進むしかない。日本は練習できている競技もまだあるでしょうけど、世界を見渡せばそうもいかない国もある。こういう風にいままで見えていなかったところが見えることで、自分の人として、アスリートとしての視野を広げるきっかけにもできるんじゃないかとも思うんです。まず自分にできること、やるべきことを自分で見極めて、プラスに進んでほしいな、と思っています」
そして、今年度で競技を終えて、一社会人として羽ばたこうとしている大学生には、こんなメッセージをくれた。
「これからすべてが始まっていくんですよね。見るもの、やること、すべてが新しい。そんな世界が広がっている。うらやましいなって思います。もう、そのすべてを吸収できる人になってほしいですね。きっといろんなことを経験すると思います。楽しいこともあるし、会社の先輩や上司からは、学生のときは思ってもみなかったことを言われるかもしれません。自分の考えや信念は持っていてもいいと思うんですけど、意固地になるのではなくて、いろんな人の意見を吸収して、生かせる人になってほしいなって思います」
さらに笑顔で「私も、いまでも新しいことを経験させてもらっていて。スタートダッシュばっかり。大変ですけど、ありがたいことですよ、楽しいですし」と続ける。「何をどうしても、やらなければならないことなんです。だったら、イヤイヤやるよりも、楽しんだ方が発見も多くて自分のためになるんですから」
新しいことを知ることができる。知らなかったことを知ることができる世界が、そこに広がっている。それは可能性でしかない。ときには思い悩んだっていい。つらくなったら、友人を頼ればいい。昔からの仲間、ともに同じ会社で働く仲間。自分の気持ちを分かってくれる人は、必ずそばにいる。そういう人たちを頼りながら、気持ちを切り替えて前を向く。
寺川は、そうやってオリンピックのメダルにまでたどり着いた。そして、いまは新しい世界で次の新しい自分を発見し、楽しんでいる。「何でも楽しんだ方がプラスになる」。そんな生き方を学べたのも、寺川の4years.なのである。