ラグビー

特集:第57回全国大学ラグビー選手権

早稲田大学のWTB古賀由教、乾坤一擲の決勝で記憶に残るトライを

早稲田大学のWTB古賀由教は決勝での記憶に残るトライを誓った(撮影・全て斉藤健仁)

1月11日、東京・国立競技場で第57回全国大学ラグビー選手権の決勝が行われる。連覇を狙う早稲田大学(関東対抗戦2位)と、初優勝に挑む関西王者の天理大学(関西1位)の対戦となった。

2季連続17度目の優勝をうかがう早大の中で、「昨季は試合の途中(後半21分)で脳しんとうを起こして(交代して)、あまり覚えていない。今季こそ自分の仕事であるトライを取りたい」と意気込むのが1年からアカクロのジャージーに袖を通してトライを量産してきた4年生WTB(ウィング)古賀由教(よしゆき、東福岡)だ。実は前回決勝でも交代前にトライを挙げているが、最後の舞台で記憶に残るトライを誓った。

急成長の槇瑛人と両翼担う

昨季の関東対抗戦では8トライだったが、今季は同じポジションの槇瑛人(2年、國學院久我山)の成長もあり5トライに終わった。「槇は早稲田らしいWTBになってきました。刺激を受けています」と笑顔を見せたが、内心はライバル心を燃やしている。古賀は、準決勝の帝京大戦では後半7分、左サイドライン際で40mを走りきってトライを決めて存在感を示した。決勝に向けて、「チームとして、ディフェンスで体を張り続けること。そしてみんないいボールを出してくれるので、最後に仕留められたらいい」と腕を撫している。

サイドライン際を走る姿も大学では見納めに

3人兄弟の末っ子だった古賀は、同じ幼稚園に通っていた 東京大学のNo.8原虎之介(4年、灘)に誘われて芦屋ラグビースクールで楕(だ)円球に出会った。兄2人は古賀の影響でラグビーを始めたという。

ダイエット目指し父と走り込み

ほとんどアウトサイドバックスだったという古賀は、小学生の時は兵庫県でなかなか勝つことができなかった中で「太陽生命カップ」では優勝を経験した。今の姿からは考えられないが4年生の時は「かなり太っていた」ため、レギュラーから外されてしまった。ダイエットのために父親と1年間走り込んだことで「本数も走れるようになりましたし、足が速くなりました」と懐かしそうに振り返った。

啓明学院中に進学した際、「将来もラグビーを続けていこう」と心に決めた古賀は、週3回の芦屋ラグビースクールだけでなく、藤田塾や故・平尾誠二氏が創設したSCIXラグビークラブでも練習するなど貪欲に汗を流した。なお、アメリカンフットボールで大学日本一に輝いた関西学院大学の鶴留輝斗主将(4年、啓明学院)とは中学時代に同学年で、学校で盛んだった「タッチフットボールを一緒にしないか」と誘われたが断ったという。

東福岡高で日本一に

高校は関西圏のラグビー強豪校への進学も考えたが、当時は現在と違い人工芝を持つ学校はそれほど多くなかった。そこで「練習の雰囲気も良かったし、人工芝のグラウンドがあって環境が良かった」と全国有数の強豪校である東福岡へ進学する。3年間、寮生活を送り、隣の部屋は明治大学で主将を務めた箸本龍雅だった。

古賀といえども、さすがに東福岡では1年生から先発として出場することはかなわなかった。1年間、ずっとBチームでAチームと対戦することで肩を当て続けた。2年生からはFBやWTBなどで活躍、U17日本代表にも選ばれ頭角を現し、全国大会でベスト4、3年生では7人制大会でのMVPや全国大会優勝など高校三冠に貢献した。

東福岡高3年生の時はチームの高校三冠に貢献した(撮影・朝日新聞社)

大学に進む際は、「小さい頃から強かったので憧れていました。FB五郎丸(歩、ヤマハ発動機)さんも好きでしたね」と後藤翔太、権丈太郎コーチらも選手として活躍していた早大への進学を決めた。早大には寮の敷地内にウェートルームがあり、栄養面を考えられた食事をしっかり取ることができるため、77kgだった体重は最大84kgほどまで大きくなった。

筋力、走力とも数字が向上

重りをつけた懸垂も入学時は10kgほどしかできなかったのが、現在は75kgも問題なくこなす。「1年の時は(大学選手権3回戦で敗れ)正月を越せなかったですが、2年の時から4年の時までクリスマスでもお正月でも、朝、昼、晩、毎日食事を提供していただいて本当にありがたいです。高校時代はやせっぽちでしたが、筋力もすごく増えてタックルも強くなりましたね」(古賀)

また高校時代に測定した50m走は5秒9だったが、体重、筋力が増えても「もっとスピードが速くなっている実感ある」と語気を強めた。実際にGPS(衛星測位システム)での測定でも、1年時は秒速9m代を出すのがやっとだったが、現在では最速で秒速10.1mを出すことができるようになり、実際に準決勝の帝京大戦で最も速かったのが秒速9.7mだったという。

後輩からも大いに学んでいる

また、「僕は特別、プライドみたいなものがないので」と笑う古賀は、先輩でも後輩でも「自分よりうまい」と思ったら積極的に教えを請うた。1年の時に4年生だったWTB中野厳(早大学院)からはバックスリーとして、どうしたらタックルを受けづらくなるかというランコースを学んだ。後輩のラグビーIQが高いCTB長田(おさだ)智希(3年、東海大仰星)からはラグビーについてあれこれ、FB河瀬諒介(3年、東海大仰星)からはハイボールキャッチのスキルなどを聞くなどして研鑽に努めてきた。

短期ラグビー留学での気づき

また古賀は昨年2月、「ラグビー人生で一番幸せだった。楽しかった」と話す出来事があった。コロナ禍の影響で1カ月ほどに短縮されてしまったが、ニュージーランドのウェリントンへラグビー留学を敢行した。スーパーラグビーの選手や「オールブラックス」ことニュージーランド代表の選手とアタック&ディフェンスの練習をする機会を得て、ステップやタックルの間合いなどを、ラグビー王国の選手から直接、学んだ。

またオールブラックスの選手の方から日本の大学生にあいさつにきたことに感銘を受け、行動変容にもつながった。「スーパースターたちが自分から声をかけてくれて本当に衝撃でした。自分は早稲田の中では試合に出ているから、1、2年生はあまり話しにくい存在なのかなと思い、戻ってきてからは下のチームの選手にも積極的に声を掛けるようになり、皆とコミュニケーションが取れるようになってきました」(古賀)

今季、ピッチ内でも、古賀は大外から身振り手振りも使いつつ、内側の選手とコミュニケーションを取っている姿が目立っている。チームのためを思い、普段から多くの選手とコミュニケーションを取っているからこそ、自然と声もジェスチャーも大きくなっているのだろう。「(コロナ禍で)お客さんが少なくなったので、声が通るようになったのかもしれません」と本人ははにかんだが、大外からチームにとって、勝利に近づくメッセージを送り続けている。

大きな身ぶりで積極的にコミュニケーションをとる

天理大戦に向けて、チームとしては「反則するとタッチに蹴り出されてモールだったり、スクラムだったり、僕らの得意ではないエリアでもっていかれるのでペナルティー、規律の部分をみんなで意識してやっています」と言う。古賀個人としては「取り切れるところで(トライを)取る」とフィニッシャーらしく、気合を入れた。

決勝は大学最後の試合になる。「僕らが小さい頃に(現在コーチを務める後藤)翔太さん、権丈(太郎)さんに憧れて早稲田に入ったみたいに、また、小さい子たちが早稲田を目指したいと思うようなプレーをしたい」と破顔した。

マウスピースには座右の銘「乾坤一擲」

スポーツ科学部の大学生らしく、もう書き終えたという卒業論文は「オフロードパスについて」だった。好きな言葉は、高校時代の副担任に教えてもらった「乾坤一擲(けんこんいってき)」だ。「運命を賭けて、いちかばちかの大勝負をすること」と説明してくれた副担任の先生は、大学受験に向けて勉強する生徒に向けて使ったが、古賀は「ラグビーでもやらなきゃいけないときがある。すごくいい言葉だ」と思った。この四字熟語をマウスピースに刻んでプレーしている。

勝つ文化の継承へ

昨季、11シーズンぶりに早大が頂点に立ち、「『早稲田大は負けたらいけないチーム』とずっと口にはしていましたが、改めて、『使命』みたいなものを経験させてもらって、チーム全員で共有できたことが大きかった」と振り返る。アカクロのエースとして、のるかそるかの大一番で「仕事」と言い切るトライを挙げて勝利の味を噛みしめたい。そして、後輩たちに勝つ文化を継承する。

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