ラグビー

特集:第57回全国大学ラグビー選手権

早稲田大学のFB河瀬諒介 連覇へのキーマンは明治大学の「怪物」を超えられるか

全国大学選手権連覇のカギを握る早稲田大学のFB河瀬諒介(撮影・全て斉藤健仁)

端正な顔立ちのアカクロの15番はノーサイド後、悔しさのあまり目を赤くしていた。

12月6日、東京・秩父宮ラグビー場で、関東大学ラグビー対抗戦、伝統の早明戦が行われた。2019年度の大学王者で開幕から6連勝の早稲田大学は、5勝1敗の明治大学と対戦。22年ぶりの全勝優勝がかかっていたが、早大は明大のFWの圧力に屈し14-34で敗れた。

「早明戦」完敗からの巻き返し

1カ月ほど前の11月7日の筑波大学戦でけがから復帰(この試合はSO=スタンドオフ)した早大FB(フルバック)の河瀬諒介(3年、東海大仰星)は、3年連続の早明戦に挑んだ。「昨年よりも引っ張っていかないといけない自覚はある」。中心選手としてエースとして「自分からアタックでゲインしてチームに勢いを与えられたらいい」と意気込んでいた。

早明戦では思うようなプレーができなかった

しかし、FWがプレッシャーを受けて先手を取られていたこともあり、バックスでなんとかしようと意識するあまり、早大のバックス陣はミスを多発。河瀬は「少しパニックというか、気持ちが焦ってしまい、ボールのもらい方が浅くなってしまった。センターの平井(亮佑、4年・修猷館)さんがいなくてなかなか前に出られない状態だったので、僕がもっと前に出られたらよかった」と悔しさをあらわにした。

19日に慶應義塾大学と再戦

負けた早大は対抗戦2位で、連覇のかかる第57回全国大学選手権に進出した。3回戦はシードとなり、12月19日の準々決勝からの出場となった。

昨シーズンの早大は、同じように対抗戦の早明戦で大敗し、その悔しさをバネに一丸となり40日間でチーム力を向上させた。大学選手権の決勝では明大にリベンジして、22年ぶりの優勝を手にした。

河瀬は「優勝してすごく自信になりました。(大学選手権は)負けたら終わりなので、1試合1試合のプレッシャーが違いますが、そのプレッシャーの中でプレーできるのは楽しみです」と笑顔を見せた。

コンタクトプレーも力強さを増している

準々決勝の相手は、2年前の選手権と同じ慶應義塾大学(対抗戦3位)となった。11月23日の早慶戦ではSO吉村紘(2年、東福岡)がハイパントを多用してペースをつかみ22-11で勝利したが、決して油断できない。

早大としては、昨年度と同じストーリーを描くためにも負けられない相手だ。慶大もキックを多用してくることが予想されるため、FB河瀬を中心としたバックスリーのハイパントキャッチ、そしてカウンターアタックも焦点の一つとなってくるだろう。

父は明大出身の元日本代表No.8

早大の中心選手として成長した河瀬。父の泰治氏は大阪工大高(現・常翔学園)時代に花園で優勝し「怪物」と称された。その後も明大、東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス)のNo.8などFWで活躍、日本代表として第1回ワールドカップ(1987年)にも出場した名選手だった。現在は摂南大学の総監督を務めている。

ただ父は息子にラグビーを強制することはなかったという。小学校の低学年は水泳や野球をやっていたが、野球が「下手くそで楽しくなかった」と振り返る。小学校4年になると母親に「ラグビーをやってみたら」と薦められて、バスケットボールと同時に週1回、阿倍野ラグビースクールで競技を始めた。

地元の勝山中学校でラグビー部に入ると「ラグビーが楽しくなってきたし、高校でも続けたい。将来は日本代表になりたい!」と思うようになっていた。高校進学時は父親の母校・常翔学園ではなく、「(東海大)仰星の環境が良かった」と家から1時間ほどかかるライバル校に進学した。

東海大仰星時代は花園で大活躍

高校時代、足は速かったももの、「タックルもしなかったですしハイボールキャッチも怖かった」という河瀬は1年生の時、Aチームの試合に出たのは練習試合の1試合のみだった。二つ上の代は花園(全国高校大会)で優勝したが、スタンドから声援を送っていた。「考えるラグビー」を徹底する湯浅大智監督の下、大きく成長し、WTB(ウイング)やFBのレギュラーとなり、花園では2年生の時は準優勝、3年生の時は優勝も経験した。

第97回全国高校大会(2018年)決勝でトライを決めた東海大仰星の河瀬(撮影・朝日新聞社)

父が明大出身だったこともあり、高校2年まで早明戦は「明早戦」で、明大を応援していた。ただ、自身がバックスだったこともあり、展開力が武器の早大に進学した。その選択肢は正解だった。1年生の時から15番をつけて、FBのレギュラーとして躍動し、特に昨年度は大学選手権優勝に大きく貢献した。

大学1年の時までは線の細さが目立っていたが、2年生になると力強いランでトライを量産した。「自分でも高校時代の映像を見ると大きくなったなと。昨年、夏を過ぎてから下半身のトレーニングの数値が上がって、強いランができるようになりました」。大学入学時、150kgほどしか上げられなかったスクワットは190kgを上げられるようになり、体重も10kgほど増えて86kgになった。太ももは一回り太くなり、ラグビーパンツのサイズも1サイズ上がった。

キャッチとタックルに磨き

大学入学後、ハイボールキャッチを集中的に練習した。FBだった長井真弥バックスコーチにFBとしてどういうコースでタックルに入るかなどの指導受けたこともあり、タックルも強く入れるようになった。プレーの幅は広がり、河瀬は「以前まではスペースで走ってトライするのが楽しかったですが、最近は相手とコンタクトして前に出ることの楽しさも感じるようになりましたね」と破顔した。

相良南海夫監督も河瀬を「相手にとって、怖いプレイヤーだと思います。人にも強くて、スピードもあるし、ディフェンスもする。勝ち気だし、バックスリーからも発信するようになった。すごく成長した」と高く評価しており、大きな信頼を寄せている。

ただ絶好調に見えた河瀬だが、昨年の秋ころから左足の太ももやお尻にしびれを感じていたという。昨年3月、ジュニア・ジャパンの遠征で腰をさらに悪化させてしまう。帰国後、検査してみると、左足のしびれは、腰の椎間板が少し出ていて神経を圧迫していることが原因だったことが判明する。いわゆる椎間板ヘルニアだった。

手術を乗り越え

コロナ禍の活動自粛期間は、腰の痛みもあり実家に帰ってリハビリに専念していたという。今年6月、「3月に検査した時より椎間板が少し出てきた。もしかしたら、もっとひどくなるかも知れない……。怖かったですけど、先のことを考えたら、今、手術をしておいたほうがいいかな」とトレーナーと相談した結果、内視鏡による手術を受ける決断をした。

そして7月に手術を受けて、リハビリを経て、10月中旬にBチームの試合で復帰したというわけだ。さほど大きな手術ではなく、現在では、左足のしびれはなくなり、河瀬は「大丈夫です」と語気を強める。ただ、以前のようにスクワットを集中的にやることはなくなり、太ももやお尻回りを片足ずつ鍛えている。

小学校時代から憧れている日本代表に「チャレンジしたい」という河瀬は、1次リーグの組み合わせが決まった2023年ワールドカップに関しては、「次の大会にできれば出たいとは思いますが、その前にやらなければならないことがたくさんある」と先を見ることはなかった。

3年生になり、河瀬はリーダーグループには入っていないが、上級生としてピッチ外でもピッチの中でも、積極的にコミュニケーションをとるように心がけている。昨年度はハドルで、SOの岸岡(智樹、クボタ)が話すことがほとんどだったが、「今年は、いろんな人が意見を出し合って、いい方向に持って行くのは、すごくいいところだと思います」とチームの成長も感じている。

「夢中になってひたすらやる」とラグビーを追究する

いよいよ連覇がかかる大学選手権に挑む。ちなみに、父は明大で2度優勝に貢献したが、連覇はできなかった。河瀬は「昨年できたから今年もできるだろうではなく、今年は今年で必死にならないといけない。チームとしては一つひとつのプレーの質を高めることとやりきることが重要。(準々決勝で対戦する)慶應義塾大学はディフェンスがいいチームなので、どれだけバックスで前に出られるかがキーになる」と3年生らしく、冷静に話した。

「努力より夢中」

好きな言葉は「努力より夢中」だ。「僕は努力することがあまり好きじゃない、できないタイプの人間なので、夢中になってひたすらやっている方が合っている」。河瀬はラグビーが好きになり、より楽しむために自ら足りないことを補っているうちに、自分でもあまり自覚していないうちに成長していったというわけだ。

「好きこそものの上手なれ」という言葉を地でいく河瀬は「個人としてはチームが苦しい時に、いかにチームに勢いをつけることができるか」と、大事な大会に向け、より集中力を高めている。

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