ラグビー

筑波大学のルーキー谷山隼大、「受かると思っていた」早稲田大学に挑む大型CTB

高校日本代表にはFW第3列で選ばれた筑波大学CTBの谷山隼大(撮影・斉藤健仁)

10月に入り関東大学ラグビーが始まり、ルーキーたちが活躍する中、筑波大学のサックスブルーのジャージーをまとった13番が開幕戦からいきなり躍動した。それはCTB谷山隼大(はやた、1年、福岡)だ。

FWも経験、将来性豊かな逸材

高校2年生までFWだったこともありタックルも強く、ジャッカルを決めたと思えば、陸上経験者の本人が「自信を持っている」というキックのハイボールを華麗にキャッチ。そして「たまたまです」と謙遜するものの、オフロードパスでトライのアシストも決めた。身長184cm、体重92kgと体格にも恵まれており、将来、大きく花開くことは間違いない逸材だ。

コロナ禍で、谷山が福岡の実家から筑波にやってきたのは7月に入ってからだった。それでもこの3カ月は充実したラグビー生活を送れており、パフォーマンスにも大きく影響したと実感している。

「4年生のバックスの選手がラグビー理解度も高く、色々本当に優しく教えてくれているのでありがたいですし、スキルも上手になった。(まだ転向して3年目のため)バックスの動きが正直あまりわかっていなかったのですが、どこを攻めるとか、どうやってつなぐのか、またディフェンスの横のつながりとかも知ることができました。筑波大に来て本当に良かったです!」と声を弾ませた。

ハイボールキャッチも持ち味の一つ(撮影・朝日新聞社)

関東大学ラグビー対抗戦では4戦中、勝利した開幕の慶應義塾大学戦(10月4日)に続き、敗れたものの明治大学戦(10月18日)にも13番で先発出場した。

対抗戦2戦を通して谷山は「フィットネスは問題なかったし、ハイボールキャッチが通用することは自信になりました。足りない部分はディフェンスとのコミュニケーションや、自分の詰めの甘さというか、タックルでは当たり自体はいけると思ってもバインドがあんまりできてなくて倒し切れなかったり、アタックでもいいキャリーができないことがあったりした。まだまだ足りないことばかり。先輩に頼っている部分があるので、これからは自分がバックスを引っ張っていけるような選手になりたい」と前を向いた。

日本代表の福岡堅樹出身の玄海Jr.へ

谷山は福岡県福津市出身の4人兄弟の長男。現在は福岡県警に勤めるという父・信隆氏は八幡高、福岡大学で楕円球を追ったラガーマンで、母・由紀子さんも福岡大まで陸上のやり投げ選手だった。伯父さんや従兄弟もラグビーをしていた影響もあり、小学校1年の頃、自然な流れで、玄海ジュニアラグビースクールで競技を始めた。

小学校時代は高校、大学の先輩にあたる日本代表WTB福岡堅樹(パナソニック)のお下がりを着てプレーしたいたこともあったという。谷山は「福岡選手はやっぱり憧れの選手でした。小さい頃から知っている選手が日本代表になるのはかっこいいと思っていました」と懐かしそうに振り返った。

小学生の頃は、日本代表WTB福岡堅樹先輩のお下がりで練習した(撮影・斉藤健仁)

ラグビーだけでなく、小学校時代は友人に誘われて、地元の宮地嶽神社の相撲クラブにも入っており、小学校5年時には福岡県で優勝したという。相撲では足腰を鍛えられただけでなく、現在では、相手選手がボールを奪うジャッカルに来るときに、その選手を剥がすオーバーで腕の使い方で役に立っている。「脇を締めるように意識していますし、相手の腕を返したり、相手の脇を取ったりしたら押しやすくなります。手の使い方を(相撲で)知れたのは大きかったですね!」(谷山)

福間東中学時代はラグビーをスクールで続けて、福岡県選抜では現在は早稲田大学でプレーするSO/CTB伊藤大祐(1年、桐蔭学園)、明大でプレーするCTB廣瀬雄也(1年、東福岡)らと一緒にプレーし、京都選抜に決勝で負けたが準優勝という好成績も残した。一方、中学校では陸上部にも所属。ジャベリックスロー(やり投げ)で福岡県3位、走り幅跳びでは8位と身体能力の高さを発揮していた。

小学校時代から福岡県のタレント発掘事業でさまざまなスポーツを経験し、中学校時代はラグビーだけでなく陸上と野球のトライアウトを受けたという。

谷山は「(タレント発掘事業で)どの競技をしようかと試すプログラムがあり、最終的にラグビーと陸上、野球のトライアウトを受けて、ラグビーと陸上の評価が同じだった。ラグビーはずっとやっていたし、何より楽しかった。体をぶつけて声を出して、熱くなることができますし仲間もいる。やりがいとか達成感を感じることができるスポーツなので、高校ではラグビーをやろうかなと思いました」と振り返る。二刀流の生活は中学校時代で終わりとなった。

伝統の福岡高校へ

憧れの福岡選手だけでなく、同学年で一緒に花園に出場した従兄弟のWTB谷山俊平さん(青山学院大学出身)も福岡高校でプレーしていたこもあり、中学の選抜チームの同級生が私立の強豪校に進む中でも、谷山は「福高に行きたいのは中学時代から固まっていましたね」と、自然な流れで福岡高校に進学した。

泥臭いプレーは名門の福岡高で磨かれた(撮影・斉藤健仁)

福岡高校時代、県内での最高成績はベスト4、セブンズ(7人制)では2位に入ったが全国大会の舞台に立つことはできなかった。ただ国体では東福岡の選手が主力の中でメンバー入りし全国優勝も経験。さらに、高校2年生までNo.8でプレーしていたこともあり、ウェールズ遠征こそ中止になったが、フランカー(FL)で高校日本代表にも選出されラグビー関係者の注目を浴びていた。

「チーム事情もあり、キックも蹴れましたし、自分をちょっと発掘したいなと思いもあり、高校2年の途中からCTBに転向しました。セットプレーの技術はずっとやっていた人にはかなわないですが、フィールドプレーになれば(FWもバックスも)あまり変わらないので、高校日本代表はFLで選ばれても問題なかったです」(谷山)

筑波大の受験で生きた二刀流

高校1年の頃は福岡選手の影響などもあり筑波大に行きたいと思っていたが、高校2年になると福岡高のOBから早大を勧められて進学を考えたという。しかし早大には推薦入試、一般入試でも合格することができず、結局、一般入試で筑波大の体育学群に合格した。

高校日本代表合宿に行きながらも大学受験をしていた谷山は、「正直、早稲田大の推薦の方が受かると思っていたのですが……。一般入試で受けるときは、浪人は勘弁という気持ちでしたね。(筑波の2次試験の)実技は第1種目がラグビーで、第2種目が陸上を取りました。両方やっていた競技なのでラッキーでしたね」と話した。ここで、中学まで二刀流だったことが生きたというわけだ。

コロナ禍で7月まで筑波大に行くことはできなかったが、実家でオンライン授業を受けつつ、大学側から提示されたメニューや、実家から3kmほどの海まで走ってトレーニングをしていたという。谷山は、50m走は6秒3、立ち幅跳びの記録は290cmと、日本代表のバックス陣にもひけをとらない数字を誇る。CTBだけでなく、近い将来、高校、大学の先輩である福岡選手と同じWTB、FBとしてプレーすることもあるかもしれない。

実際に筑波での生活が始まると、本人は「まだまだ自分は瞬間的なスピードが足りない。色々なポジションもできた方がいいですし、色々なポジションができた方が色々な能力を身につけることができるので」と、コーチからスピードトレーニングのメニューをもらい、バックスとしてさらなる進化を目指している。

オンライン取材に応じる谷山

谷山からは、将来は「福岡選手のように日本代表になりたい」「2023年ワールドカップに出たい」という言葉が聞かれると想像していた。しかし、大学に入学したばかりの谷山は「将来はまだ全然、わかりません。今はトップリーグに行きたいとも特別思っていないですし、日本代表になれたら嬉しいですが、そもそも自分がそういったレベルになれるかわからない」と口にする。筑波大の体育学群ではトレーニングの授業を受けて、能力の高い先輩選手やコーチの下、バックスとして充実した生活を送っており、「大学時代に日本代表候補くらいになったら、将来はラグビーで生活する道を選ぶかもしれないですね」と話すにとどめた。

ただ、「今年の4年生たちとも優勝したいですが、自分たちの代で大学日本一になることができるように、今は目の前のことをしっかり集中していきたい」と、谷山は遠い先を見ず、筑波大でのラグビー生活を完全燃焼することを誓った。

慶大、明大戦に続き、11月7日の早大戦に13番で先発することが発表されている。

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