アメフト

京都府立大学の谷桃衣コーチ オフェンスコーディネーターとして堂々のプレーコール

京都府立大は谷桃衣OC(白い上着)が次のプレーを決めると、3桁の数字で伝達(撮影・全て篠原大輔)

2020年は関西外国語大学アメフト部で沢木由衣さんが国内初の女性監督となって注目を集めました。その年の暮れ、関西で女性コーチがオフェンスコーディネーター(OC)を務めました。関西学生リーグ4部に所属する京都府立大学ワイバーンズの谷桃衣(たに・ももえ)コーチ(24)。OCは戦術に精通し、瞬時にあらゆる状況判断をしてオフェンスのプレーをコールする、極めて専門的な役割です。女性のコーディネーターがまだ非常に珍しい中、高校までアメフトを知らなかった谷さんがOCを任せられるようになるまでの物語です。

主務から国内初のアメフト女性監督 関西外国語大・沢木由衣監督

シーズン最後の試合、急きょOCに

20年秋から冬にかけ、関西学生リーグの3部以下は、試合のできる環境の整ったチーム同士で交流戦を組んだ。京都府立大は10月31日、初戦の佛教大学(4部)戦に0-13と敗れた。2戦目となった12月27日の阪南大学(3部Bブロック)戦が、早くもシーズン最終戦。京都府立大はこの試合に本来のOCが参加できず、谷コーチがプレーコールを出すことになった。勝って4年生を送り出したい試合で初の大役に。「試合前はめちゃくちゃ緊張しました」と谷さん。

両チームとも選手が20人に満たず、規定により1クオーター(Q)8分と試合時間が短縮された。京都府立大のスターター表を見ると、11人中10人が攻守兼任。いわゆる「両面(りゃんめん)」だ。京都府立大はまずオフェンス。自陣23ydから谷さんが最初に指示したプレーは、ツーバック(2人のRBを置く隊形)から、後方のTB(テールバック)が中央付近を突くランだった。「ウチのOLが相手のDLに当たれるのかどうか見たかったから、基本的なプレーで入りました」。2ydのゲインだった。

谷さんのOCとしてのファーストプレー。56番のOLがプルアウトで右へ出ている

サイドラインに立つ谷さんは、手元の紙の資料に目をやり、すばやく次のプレーを決定。すぐ左にいる女子の学生スタッフ1人と控え選手2人が、数字の書かれた紙を掲げる。この3桁の数字を見たQB橋本尚貴(3年、京都教育大附)が、左腕につけたリストバンドに入れたプレーリストと照合。ハドルでほかの10人に次のプレーを伝える。この繰り返しだ。

続いては、右のオフタックルを突くランのフェイクからのパス。縦に走ったTEがフリーだったが、パスが短くて失敗。第3ダウン8ydはアウトサイドゾーンと呼ばれるラン。広い左サイドに3人のレシーバーを置き、ショットガン隊形からRB久留須樹(4年、草津東)に左オープンを突かせた。外から3人目のレシーバーのブロックがよく、久留須も一発のタックルに倒れず22ydの前進。しかし直後のパスを相手に奪われた。「その左のレシーバーが空いてたんですよねー」。谷さんは悔しそうな表情で振り返った。

一喜一憂していられない

阪南大にミスがあり、京都府立大の2度目のオフェンスはゴール前25ydから。絶好の先制機だ。しかしいきなりOLが反則。ランは不発。第2ダウン16ydで谷さんはランの動きからのパスをコール。左サイドで縦に走ったレシーバーが完全にフリー。投げたボールも悪くなく、捕ればタッチダウン(TD)だったが、ドロップ。TDを確信した谷さんは思いっきり両腕を突き上げたが、すぐにしゃがみ込んだ。オフェンスコーディネーターたるもの、一喜一憂してはいられない。続けてパスをコールしたが実らず、パント。先制のチャンスを逃した。

すると次の阪南大のオフェンスで先制を許す。スナップを落球したパンターが走り出すと、京都府立大はタックルできない。エンドゾーンまで独走されてしまった。第1Q終了間際に0-7となった。

5度目のオフェンスで待望のTD

第2Qに入って膠着(こうちゃく)状態となったが、京都府立大がこの日5度目のオフェンスを実らせる。自陣15ydからの第2ダウン10yd。右でQB橋本からハンドオフを受けたRB久留須が斜め左へ駆け出し、味方のブロックもよくて大きくゲイン。相手の中途半端な高さのタックルをはねのけ、85ydを走りきるTD。前半残り1分28秒で7-7と追いつき、そのまま試合を折り返した。

第2クオーター、RB久留須の独走タッチダウン

後半も京都府立大は先に失点する。第3Q4分5秒にTDを奪われ、7-14と勝ち越された。次のオフェンスでは、パント隊形からOL兼DLで体重110kgの二社谷伸弥(3年、大谷)が突進するトリックプレーも繰り出して前進。第4Qに入ってゴール前13yd付近から残り1yd未満でギャンブルに出て失敗した。

実は谷さんが4年生だった18年シーズンは2部で全敗。入れ替え戦にも負けて3部に転落。19年シーズンは3部で全敗して4部に落ちた。この一戦には3年ぶりの公式戦勝利がかかっていた。暗雲がたれこめる中、相手のパントを受けたRB久留須がビッグリターン。ゴール前22ydという絶好のフィールドポジションからのオフェンスが始まった。

逆転狙う2点コンバージョンは……

QB橋本のランでゴール前2ydに迫り、試合残り2分26秒でRB久留須がTD。13-14とし、京都府立大は一気に逆転を狙って2点コンバージョンに出た。谷さんの授けたプレーは、右オフタックルランのフェイクからのパス。縦に出たTEと斜め右に出たFB(フルバック)の二人が右サイドでフリーに。プレーコールは完勝だ。橋本は手前のFBに捕らせてエンドゾーンに走り込ませようとした。しかし、このパスをFBがヘルメットに当てて落球。やはり、パスは手で捕らないといけない。砂ぼこりの舞う中、谷さんは思わず座り込んだ。1点差のまま試合は終了。京都府立大は3年連続の全敗で異例のシーズンを終えた。

逆転を狙った2点コンバージョンに失敗し、谷さんはしゃがみこんだ

「最初の方にいろいろ試せたのと、けが人が出たときに落ち着いてできたのは、よかったと思います。でも、もっと奥のパスを決められるはずだったのに通らなかったのは反省ですね」。谷さんは心底悔しそうな顔になって言った。

彼女はどのようにしてアメフトにはまったのか。小学校と中学校のころはバレーボールをやっていた。京都成章高では「帰宅部」。京都府立大に合格して、アメフト部に誘われた。ラグビーとの違いもよく分からないまま、説明を聞いた。「何かやらないと自分はダメになる。大学では何かを頑張りたかった」と谷さん。「今年(15年)からAS(アナライジングスタッフ)という分析担当の部門をつくります」と言われても何のことか分からなかったが、マネージャーかASでアメフト部に入ってみようと思った。新歓イベントではすごくふざけている人たちが、練習の見学に行くと真剣にフットボールに取り組んでいた。かっこいい。そう思った。ASでやってみることにした。

アナライジンングスタッフとして入部

ASとして、谷さんを含む新入生が5人入った。対戦相手を分析するための資料づくりが主な仕事だった。だけど、何も分からない。プレーも専門用語も分からない。ましてや映像を見て「相手ディフェンスの動きがブリッツなのかリアクションなのか」なんて言われても分かるはずがない。基本的なプレーでも、各チームによって少しずつアサイメント(各選手の役割分担)は違うから判断がつきにくい。最初は毎晩のように徹夜して集計していた。5人中2人は、早々にやめていった。残った3人は男子1人、女子2人。ワイバーンズの初代ASの3人はみな、いまもチームに関わり続けている。「3人とも『しんどいからやめる』っていう人じゃなかったんです」。谷さんの言葉から、お互いへの信頼の厚さが伝わってくる。

谷さんは1年生のときにオフェンス、2年生でディフェンスについて勉強した。両方やってみて初めて、アメフトが分かり始めた気がした。面白くなってきた。練習で対戦相手の仮想敵となる「ダミーチーム」のプレーコールを任されるようになった。「3回生からはチームの役に立てたと思います」。谷さんにディフェンスの面白さについて尋ねると「アライ(メント)でオフェンスを操作できるとこです」と即答した。アライメントとは選手の配置のこと。ディフェンスの選手がどんな守り方をしているかで、オフェンスはプレーを限定される。だから、アライメントによってオフェンスを罠(わな)にかけることもできる。「今日の相手の阪南大さんだと、ずっとウィーク(サイド)のAギャップに突っ込んでくる人がいました。あれで潰れる(やれなくなる)プレーもあるんで。面白いですよね」。本当に楽しそうに、谷さんが笑う。

阪南大戦後のハドルで、選手たちに語りかけた

チームとして久々に2部で戦い、オフェンスを担当した4年生のときは、めちゃくちゃ楽しかったそうだ。しかしリーグ戦で7戦全敗。入れ替え戦で大阪教育大学に0-52で負け、3部に転落した。「絶望っていう感じでした。4年間がこれで終わりで、どう頑張っても勝てへん。2部のレベルは3部とはぜんぜん違ったんですけど、自分らの代で1勝もできずに終わったのはつらかった」

4部のチームを「何とかしてあげたい」

一昨年の春から社会人として働き始めると、週末も勤務がある職場だったので、その秋のシーズンは後輩たちのサポートができなかった。昨年になって週末に休めるようになったが、コロナ禍で春のシーズンはなくなった。秋のシーズンを前に、後輩たちがOB戦をやることになった。軽い気持ちで観戦に行ったら、久々に触れたアメフトが面白かった。「関わりたい!」と思った。しかも後輩たちはめちゃくちゃに弱くなっていた。谷さんが4年生のときに試合に出ていたメンバーもかなりいて、「何とかしてあげたい」という気持ちになった。オフェンスのアシスタントコーチとして名を連ね、週末ごとに練習に参加した。試合形式の練習でコールを出したり、練習のビデオを一緒に見て選手たちと話し合ったりした。

前述のように交流戦の初戦の佛教大戦に負け、残すは阪南大戦だけになった。この試合で初めてOCを任されることになった谷さんは、勉強のために実況、解説つきの国内の試合中継を3試合分振り返った。参考になったのは昨年12月の甲子園ボウル。序盤で進まなかったランプレーに対し、解説者が「この状況でこれだけ出て(進んで)れば大丈夫」と言った。試合が進んでいって相手が的を絞れなくなったときには、もっと進むはずだという見方だ。「開き直るというか、『これはこれでいい』という考え方を知りました。どうしてもフレッシュ(攻撃権更新)をとらなきゃ、とらなきゃとなりがちなんですけど、結局はプレーを組み立てて3回で10ydをどうとるか、なんですよね。関学はショベルパスを2回続けてやってたり、勉強になりました」

比叡山をバックに2020年のチームで

「私、プルアウトが好きなんです」。谷さんがボソッと言った。アメフト経験者の私は、驚きすぎて、ほんの短い間だったが絶句してしまった。華麗なパスでもランでもなく、プルアウトが好き。OLが相手をブロックにいく際、すぐ前に出ていくのではなく、一歩下がって左右へ動きながらブロックへ向かう。これがプルアウトだ。谷さんが1年生のころ、4年生の先輩でプルアウトが得意なOLがいた。仲間が相手をブロックしてできた壁の際をキュッと上がって、相手をしとめる。「最初に見たとき感動しました。めっちゃきれい、って」

そういえば阪南大戦の最初のオフェンスプレーもプルアウトのブロックが含まれていた。後半に何度か繰り出したQBのランでは、OL5人の真ん中にいる主将の吉田慧(4年、茨木)のプルアウトがキーブロックになっていた。吉田は左腕が痛いようで思い切って当たりにはいけていなかったが、ブロックのタイミングがよくてQB橋本を走らせるのに成功していた。よく練習してきたのがうかがえた。

京都府立大学のグラウンドで。目立つことのほとんどないオフェンスラインにひかれるという

ラグビーとの違いもよく分からないところから始まったアメフト人生。6年目で後輩たちにプレーコールをするまでになった。「勉強したら、男女関係なくできる。次のシーズンもやれたらいいなと思います」。OCとしてのデビュー戦は1点差の負け。その瞬間を目にしたからこそ、後輩たちと勝って笑う谷さんを見たいと思った。

in Additionあわせて読みたい