学生スケーターを育てたシチズンプラザ閉館「大切な場所だった」 町田樹さんは危機感
都内の多くの大学生が利用した東京都新宿区の「シチズンプラザ」が1月31日、静かに48年の歴史に幕を閉じた。高田馬場という都心にあるスケートリンクは、ほぼ24時間営業で授業後の学生たちも通いやすく、フィギュアスケートやアイスホッケー、スピードスケートの練習の場として利用されてきた。どんなリンクだったのか。学生スケーターや國學院大學助教でスポーツ科学者の町田樹さんに思いを聞いた。
「信じられない気持ち」
「本当に終わってしまうんだなと信じられない気持ちでした」。そう話すのは、早稲田大学スケート部フィギュアスケート部門主務の東真子さん(4年、早稲田本庄)。閉館する31日に滑り納めをした。
東さんは大学に入学してからスケートを習い始めた「大学デビュー組」で、ほぼ毎日のように通った。だが、閉館発表後は新型コロナウイルスの感染拡大で学生の練習環境は窮地に追い込まれた。新歓はもちろん、一般滑走での練習も限られ、例年の半分以下になったという。東さんは「入部後に一般滑走から練習してから貸し切り練習をするのですが、それができませんでした。大学で貸し切りを取れるようになったのも夏以降でした」と振り返る。
スケートをやめる後輩も
シチズンプラザは早稲田、慶應義塾、東京、お茶の水、東洋など20大学が利用してきた。閉館後、学生たちはどこで練習するのか。都内に残るリンクは新宿区の明治神宮外苑アイススケート場、西東京市のダイドードリンコアイスアリーナ、東大和市の東大和スケートセンターの3カ所。昨年12月にオープンした千葉県船橋市に「三井不動産アイスパーク船橋」も含めて、近郊で練習場所を新たに確保することになるが、いずれも貸し切り時間がとれなかったり、移動時間がかかったりするため、練習環境は一層厳しくなる。
慶應義塾大学フィギュアスケート部主将・土屋有葵さん(4年、慶應女子)は小学3年のときにシチズンプラザでスケートを始めた。週6日、教室や自主練習のために通い、大学の部活動でも週1回程度利用していた。「新たに練習するリンクが大学や学校、自宅から遠くなってしまい、練習時間が減ってしまう選手が多くいます。また、新しいリンクに通うことが難しいために、シチズン閉館を機にスケートをやめた後輩もおり、とても残念に思います」と明かした。
初心者にも開かれたリンク
東さん、土屋さんの二人が口をそろえるのは、シチズンプラザがスケートの初心者から全国大会に出る選手まで様々なバックグラウンドを持った人たちに開かれたリンクだったことだ。「生涯スポーツとして楽しんでいる層が練習しやすい環境でした。大学で始めた私にとって、あたたかい場所でした。大学と同じくらい通ったリンクがなくなってしまうのはとても寂しいです」と東さん。大学卒業と同時に引退する土屋さんも「素敵な仲間に出会えた大切な場所でした。泣いたり笑ったり、それぞれの成長を応援し喜び合い、とても充実した選手生活を送ることができました」と話す。
市民にも愛された施設で、選手の保護者やスケート愛好家らが「高田馬場スケートリンク存続を願う会」を立ち上げ署名活動を続けてきた。その活動に賛同していた國學院大學助教の町田樹さんは「施設の所有者は一民間企業ですから経営面の判断はシビアにならざるを得ないと思いますが、国内にある貴重なリンクがなくなってしまうのは日本のスケート界にとっては大きな損失と考えています」と危惧する。
町田樹さん「業界全体が連携して」
町田さんは大学の部活動の存続もおもんぱかる。「閉館に加えて新型コロナで、大学から始めるような部員は確実に減っているのではないでしょうか。もし2代続けて部員が入らず、大学4年間で半分の代がいなくなったら、どう部を運営していくのでしょうか。スケートもアイスホッケーも、大学の部活動という文化がいま一番危機に瀕しているのではないかと思います。もしかしたら大学スポーツの火が消えそうな状況かもしれない」
町田さんは「高田馬場で活動していた方々がこれからもスケートを続けられるように、周りのスケートリンクが連携して受け皿になってほしい」と強く願う。「これ以上、スケートリンク環境をなくさないために、日本スケート連盟を筆頭に、業界全体が連携して環境を守っていくというスタンスが本当に大事になってくると思います」
都心のリンクとして、多くの学生たちを育て支えてきた「シチズンプラザ」。閉館とコロナ禍で学生たちの練習環境は厳しくなる一方だが、氷上競技の業界全体で危機感を共有し連携しながら維持・発展していくことを願いたい。