アメフト

大阪産大附高のRB山嵜大央、立命館大学へ持ち越した宿敵打倒の夢

大阪産大附高のRB山嵜大央は大事な試合の前、練習でダッシュを繰り返したが……(撮影・全て北川直樹)

最後のシーズンを負けずに終われる学生アスリートはほんの一握りです。けがのため大事な試合で実力を出せなかった高校生フットボーラーがいました。悔しさを力に次のステージに挑みます。

関西地区決勝で関学に敗れる

2020年12月12日、アメリカンフットボールのクリスマスボウル(全国高校選手権決勝)をかけた関西地区決勝は、9年ぶりの出場を目指す大阪産大附と4年ぶりの出場を狙う関西学院(兵庫)が対戦した。大阪産大附は8-20で敗れた。

出場した山嵜(左)はボールを持つことはなかった

ファイティングエンジェルスがニックネームの大阪産大附は、これまで8度の全国優勝を誇る。しかし近年は、関大一や箕面自由学園の台頭もあり、大阪大会でも苦戦続き。関西地区の決勝まで勝ち上がったのも、全国優勝(早大学院と両校優勝)を果たした2011年以来だった。

私は約10年ぶりとなる大産大附属の躍進を支える選手に注目した。山嵜大央(やまざき・だいち、3年)。スピードとパワーを兼ね備えるRBとして、大阪産大附の中核を担ってきた。秋季大阪府大会で第1代表になると、関西地区では箕面自由学園(20-16)、立命館宇治(24-6)を下して、勝ち上がってきた。

試合開始後すぐ、サイドラインへ

関西地区決勝の試合前練習から、背番号18番山嵜の動きを追った。防具は着ているが、心なしか動きに切れがないように感じた。試合がはじまると、それが確信に変わった。山嵜は、序盤の数プレーだけフィールドに入ると、すぐにサイドラインに下がった。ヘルメットを脱いだ。そしてその後、フィールドに入ることはなかった。エースを欠いた大阪産大附は、見せ場を作ることができず、試合終了の笛が鳴った。

サイドラインから仲間を鼓舞した

2年生のときは大阪府大会で敗退し、関西地区に進めなかった。最終学年。山嵜は、ことあるたびに、SNSで決意を表してきた。「俺が産大高校を変える」。その発言に見合う試合結果を出してきた。しかし、前の試合の立命館宇治戦でけがをした。「第3クオーターに足を踏まれて、骨折してしまいました」

歩けないわけではなく、無理をすれば走ることもできたという。しかし、父のいとこに当たる山嵜隆夫監督は、「次のステージ(大学)があるから」と、山嵜を試合の主力メンバーから外した。「サイドラインからずっと試合を見ているのは、はじめてでした」。なぜこのタイミングで。フットボール生活9年目にして、はじめて体験する悔しさ、無力さだった。「大舞台を前にして、しょうもないけがで。最後に出れなかったことを、ほんまに、すごく悔しいと思ってます」。山嵜は絞り出すように話した。

試合に出られないことは、一週間前に決まったという。山嵜のポジションは、WRの橋本龍人(2年)が代わりに務めた。「あと一回勝てばクリスマスボウルや」。最後の大一番は2週間後、ここを乗り切れば自分も試合に出られるかもしれない。今できることをしよう。練習から声を掛け、橋本に託してきた。「(橋本のほかにも)みんな俺のためにやるでっていうのは話してくれてて。ようやってくれたと思います」。山嵜の目は真っ赤だった。

山嵜の代役として奮闘した橋本龍人

父と同じランニングバックに

小学3年生のときに大阪ベンガルズでアメフトをはじめた。父の健一さんが、大阪産大附、日本大学でRBとして活躍した選手だったから、山嵜自身も同じポジションを選んだ。「フットボールをはじめた時から産大高でフットボールをするというのを決めていて、『おじさんの山嵜先生を日本一にさす』。それだけを目標にやってきました」。下級生の頃から、RBとDBの攻守兼任で奮闘してきた。

負けて、やりきれなかった悔しさで、涙が止まらなかった

この春から山嵜は、立命館大学に進む。大阪産大附高は、毎年、春合宿を立命で行っている。同高OBで立命大で活躍した先輩も多く、西村七斗(ななと)さんや2020年度主将の立川玄明(ひろあき)さんらが毎日のように練習に来てくれて教えてくれたという。立命大でプレーしたい気持ちは、自然と生まれた。「立川さんは卒業されるんで、自分が立命を引っ張っていけるような選手になりたいと思っています」

宿敵・関学を倒す目標は、大学ではたす。そして山嵜はこう続けた。「今日で僕の高校アメフトは終わりました。明日から新しいシーズンが始まります」。彼の目に宿る強い決意に立ち止まり、志を成し遂げる姿を見たいと思った。

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