ラグビー

19歳の古瀬健樹レフリーがトップチャレンジリーグで笛、早大入学後初の公式戦

トップチャレンジリーグで笛を吹いた早稲田大学の古瀬健樹レフリー(撮影・高校時代を除き朝日新聞社)

早稲田大学ラグビー部の古瀬健樹(ふるせ・かつき)レフリー(1年、東福岡)がトップチャレンジリーグで初めて笛を吹いた。2月28日に東京・秩父宮であった近鉄52-11栗田工業戦。トップリーグ(TL)のプレーオフトーナメント進出がかかる大事な一戦だったが、ピッチ上で最年少の19歳は最後まで冷静にさばき切った。

英語でコミュニケーションも

TLの一つ下のカテゴリーとはいえ、近鉄にはSHウィル・ゲニア(33)とSOクウェイド・クーパー(32)の元オーストラリア代表ハーフ団など海外の一流選手もいた。「自分の中ではそこまで意識はしていなくて。キーになる(スクラム)ハーフとスタンドオフなので、うまくコミュニケーションとって、フラストレーションためずにやりあえればいいかなとは思いました」

オーストラリア出身の近鉄・ストーバーク主将に説明する

この試合の担当が決まり、両チームの映像をチェック。キープレーヤーが誰で、どういうところにフォーカスしてほしい、という情報をアシスタントレフリーに事前に送り、共有して試合に臨んだという。古瀬は「セットプレーなど安定しなかった部分もあるが、ゲームとして成り立ったかな」と自らにまずまずの合格点を与えた。身長178cmの古瀬レフリーは身長204cmの近鉄のマイケル・ストーバーク主将と英語でやりとりする場面もあった。小学生の時から高校1年生ぐらいまで英会話教室に通っていたそうで、「伝わっているかはわかりませんが。理解は示してくれてたので、そういう意味ではよかったと思います」。1月に19歳になったが、若さに似合わず所作が堂々としており、「生意気なんじゃないですか。どちらかというと」と笑った。

東福岡高で部に入らずレフリーへ

高校生の時からレフリーとして嘱望された異色の存在だ。福岡県大野城市出身。小学生までは特にスポーツをやっていなかったが、東福岡自彊館(じきょうかん)中学に進んでラグビー部に入った。フッカーやSOなど色んなポジションを経験した。3年生の夏に部を引退し、後輩の面倒をみながらレフリーをやる機会があった。ラグビーを見ることも好きで、選手の目線とは違う角度のレフリー目線から試合を楽しむことに興味が沸いた。

中高一貫教育で進んだ東福岡高はラグビーの強豪だが、進学に力を入れる自彊館コースは朝から夕方まで授業がびっしり入っていた。ラグビー部に入ることは断念したが、藤田雄一郎監督からレフリーとして携わってみてはと誘われた。週2回ほどと試合がある日にチームに加わった。姿勢の良さや物おじしない態度がうわさになった。2年生の時に、若手レフリーの発掘や育成を行う日本協会のプログラムに高校生として初めて参加、原則として高校生では取得できないレフリー資格を特別に与えられた。

3年生になり、早大商学部への推薦入学が決まった。「評定は平均5、それ以外とってないです」。ラグビーとは関係なかった。進学先も決まり、2020年の新春、ラグビー部員ではない17歳が高校ラガーマンの聖地・花園ラグビー場のピッチに立った。全国高校ラグビー大会決勝の前座で行われたU18合同チーム東西対抗戦でレフリーを任された。

高校3年の1月に花園ラグビー場でレフリーを務めた(撮影・斉藤健仁)

練習試合をのぞき、トップチャレンジリーグでの笛が、その時以来、1年余り経っての正式なレフリーだった。高校時代のように早大でもラグビー部に所属せず活動する道もあったが、早大の相良南海夫監督らと話し合い入部することにした。

「コロナもあり、ずっとラグビーのそばにいられたのはすごくメリットだった。日頃から練習を見られるし、ルールのアドバイスなどもできた」

新型コロナウイルス感染拡大の影響で試合が次々と中止になっていった。その中でより身近にラグビーに触れられたのは大きかった。ラグビー部では全カテゴリーの練習に参加するため、選手以上に東京・上井草のグラウンドにいる時間は長い。苦労も多いが、先輩の池田韻(ひびき)レフリー(3年、福岡)らと技術を磨いた。他大学のレフリーともオンライン会議システムでつながり1年目を過ごせた。

レフリーとして生きる 早大ラグビー・池田韻

W杯へのはるかな道のり

「大きな目標としてはワールドカップ(W杯)に出られたらいいなと思っています。その前に今回経験させて頂き出た反省を次に生かし、トップチャレンジやトップリーグなどで、小さいステップを踏んでいければ」。レフリーとしてW杯の舞台に立つには、海外で経験を積むなどはるかに長い道のりが必要なことはわかっている。

近鉄のSOクーパーのゴールキックを見守る

早大近くで自炊生活をしている。この1年、実際に大学に行けたのは「健康診断のみでした」。前日の2月27日にはこちらも初めてのトップリーグのアシスタントレフリーを任された。会場の秩父宮ラグビー場へは2日連続でスーツ姿の正装でやってきた。コロナで中止になった入学式にも着ていくはずだった。大学生になってようやく公式戦で笛を吹き、世界への挑戦が再び動きはじめた。

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