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連載: プロが語る4years.

日本代表への挑戦やトップリーグ昇格、プロで学んだ経験を生かす 佐々木隆道5

2012年度、トップリーグと日本選手権の二冠に貢献した佐々木さん(撮影・すべて朝日新聞社)

ラグビー・トップリーグ(TL)のキヤノンイーグルでコーチとなった佐々木隆道さん(36)が、現役生活を振り返る5回連載の最終回は、早稲田大学を卒業後、プロ選手として歩んだ14年間です。サントリーサンゴリアスでは日本代表でも活躍し、TLや日本選手権優勝を経験、日野レッドドルフィンズではチームのTL昇格に貢献しました。

快挙支えた努力と仲間、日本選手権でトップリーグ勢に初勝利 佐々木隆道4

2007年ワールドカップ出場「夢のよう」

2006年2月下旬、サントリーサンゴリアスは早稲田大の監督だった清宮克幸新監督と新入部員8人を発表したが、佐々木さんの名前はなかった。将来の海外挑戦を視野にいろいろ悩んでいたが、最後は「たくさんいい同級生が入り、清宮さんも行く。必ず強くなるチームに、自分がいなかったら後悔する」とサントリー入りを決断した。1年目から活躍すると、翌07年春には日本代表に選ばれ、そのまま秋のワールドカップ(W杯)フランス大会に出場した。大学2年生の時、チームの遠征で前回(03年)のオーストラリア大会を現地で観戦した。「そこで日本代表の戦う姿をみて、初めて僕も目指したいと思った。4年後にその場に自分が立つなんて凄い話だなと。夢の中にいるような感じでした」

W杯フランス大会でチーム主将を務めた佐々木さん(右)と小野澤宏時さん

初戦のオーストラリア戦にフランカーで先発した。この時の日本代表は過密日程対策で、二つのチームを作って臨んだ。箕内拓郎主将(当時NEC)がもう一つのチームに出るため、ゲーム主将も任せられた。23歳は代表史上最年少だった。しかし、左ひざを痛めて後半、交代した。試合は3-91と完敗し、じん帯が切れている疑いがあり、無念の帰国となった。

そのシーズンは、サントリーのTL初優勝に貢献した。09年度は、高校、大学に続きTLのチームでキャプテンを務めた。さらに成長したと感じたのは、その後だった。「よりきめ細やかにやらないと、大人の集団のリーダーにはなれないとわかった」。10年に就任したエディ・ジョーンズ監督に「もっと仲間をリスペクトしなさい」と言われた。

オープンな雰囲気だった啓光学園(現・常翔啓光学園)高校の時から、先輩たちと仲良くしてきたこともあり、1、2年の年齢差をさほど意識したことはなかった。なれなれしく肩をポンとたたくような気軽なあいさつをよくしていた。理詰めで合理的なジョーンズ監督にそんなことを指摘されるのは意外な感じもしたが、「多分、変な日本人に見えたのでしょう」。単純なことだが、あいさつを「おはようございます」などときっちりするようにした。

試合では、交代でグラウンドを退く際は代わる選手とがっちり握手を交わし励ました。劇的な変化が起こったわけではないが、「どこか行動が甘い部分を、エディには見抜かれていた」と感じている。チームを支える立場で、10年度からの日本選手権3連覇などに貢献した。

2010年1月、三洋電機(現パナソニック)の堀江翔太にタックルする佐々木主将

日本代表への再挑戦

12年にジョーンズ監督が日本代表ヘッドコーチ(HC)に就任すると、再び日本代表に招集された。「うれしかったが、自分の実力が足りなかった」。さらに伸びていかないと、15年のW杯イングランド大会には呼べないと言われた。13年に股関節の亜脱臼をしたこともあり、結局、届かなかった。12年春までに積み上げた日本代表のキャップ(代表戦出場数)は13だった。「今の僕が当時の僕にアドバイスするなら、『もっとちゃんとプランを立てて、もっとリスクを背負わないと到達できない』と言います」

海外の強豪と渡り合うため、体を大きくしなければならなかった。その状態で走力は維持し続ける。走ろうとすると、そんなに大きくはなれない。両方求めていると、自分の中で限界がきた。「無策でした。やり方はあったはず」。だからこそ、ジョーンズHCの求めをクリアし、15年W杯日本代表に選ばれて南アフリカなどを破ったメンバーを尊敬できる。

日野での4年間も貴重な体験になった

強いチームでプレーしてきた佐々木さんにとって、日野に移籍した最後の4年間は新鮮だった。18年1月のTLとの入れ替え戦。ゲーム主将としてNTTドコモレッドハリケーンズに20-17で競り勝って、2シーズンTLで戦うことができた。

また、昨秋には子供からシニアまでをラグビー(スポーツ)でつなぎ、社会問題解決、社会の中でのスポーツの価値向上を目指して一般社団法人「DAEN」を立ち上げ、代表理事についた。ラグビーの動きや文化を取り入れた「ラグッパ体操」を考案し、高齢者の運動機能改善やコミュニケーション機会の創出、モチベーションアップなどの一助になるよう普及に努めている。

コーチのプロで新たな道

7月1日付けでキヤノンのアシスタント(FW)コーチになった。「多くの失敗や日野で上がってきた経験をしたから、見えたこともある」。沢木敬介新監督とは、サントリー時代からのつき合いだ。沢木さんがサントリーの防御担当のコーチの時、佐々木さんらFW第3列への要求は厳しく、試合中にペナルティーが多いとよく怒られたという。佐々木さんが日野へ移籍したタイミングで、沢木さんはサントリーの監督になり16、17年度はTLと日本選手権連覇を達成した。

「自分の道をしっかり進めるよう、沢木さんからしっかり学び、自分のコーチングスタイルを確立したい」。プロの道を歩み続ける佐々木さんが、新しいチームで新たな挑戦に向かう。

プロが語る4years.

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