快挙支えた努力と仲間、日本選手権でトップリーグ勢に初勝利 佐々木隆道4
7月からラグビー・トップリーグ(TL)のキヤノンイーグルでコーチとなった佐々木隆道さん(36)が、現役生活を振り返る5回連載の4回目です。2006年が明け、早稲田大学は2年連続大学日本一を達成しました。2月、佐々木主将を中心にもう一つの目標だった打倒TL勢をかけて、第43回日本選手権に臨みます。
初戦でタマリバクラブを下した早大は、2回戦(準々決勝相当)でTL4位のトヨタ自動車ヴェルブリッツに2年連続で挑むことになった。2月12日、東京・秩父宮ラグビー場は、神宮球場側から伊藤忠商事ビルの方向へ冷たい強風が吹き抜けた。「風上から攻め、勢いをつけたい」と思っていた佐々木さんは、攻撃権を決める試合前のトスで負けた。主将の役目の一つだが、ここでの勝負弱さは部内でも定評があった。
ところが、トヨタは前半、風下を選んだ。その時、相手の意図はわからなかったが、佐々木さんは「かなり警戒してくれているのでは」とプラスに感じた。控室に戻り、清宮克幸監督に伝えると、そうか、とうなずいた。試合後、トヨタのゲーム主将は「前半耐えて、後半勝負だった」と振り返った。
ファーストスクラム「いけるかも」
試合が始まって4分ごろ、最初のスクラムになった。一度、崩れて、足場が悪く場所をずらして組み直した。次は、トヨタの3番(右プロップ)の選手がスクラムを故意に落とす反則をとられた。佐々木さんは「スクラムを組んで、『あっ、いけるかも』と思った。前年に感じた圧力とは違っていた」。FW8人の平均体重は早大の99.6kgに対し、トヨタは2人の外国出身選手も含め105.5kg。6kgほど軽かったが互角以上に渡り合えた。
話は半年ほど前の長野・菅平高原にさかのぼる。夏合宿の練習試合でライバルの関東学院大学を38-19で下した後、佐々木さんは清宮監督に呼ばれた。「このままいけば、多分、優勝する。でも、トヨタには勝てないかもしれない。どうする、決めていいよ」。例年のように大学日本一を目指し、秋のシーズンを調整しながら進むのか。TL勢に体力などで負けないよう秋も強度の高い練習を続けるのか。二者択一を迫られたが、迷いはなかった。「やります」と即答した。
合宿後も、フルコンタクトが多い練習が続いた。強度の高い練習はケガをするリスクも高くなるが、能力を伸ばすだけ伸ばすような練習だった。選手層が厚く、1人、2人ケガで欠けてもチーム力は変わらない自信もあった。より負荷をかけるウエイトトレーニングも継続した。
主将自ら初トライ
トヨタのロックにトロイ・フラベルという選手がいた。ニュージーランド代表経験もある身長197cm、体重120kgの巨漢。もちろん大学チームにこんなパワフルな選手はいない。身長181cm、体重94kgだった佐々木さんは、前年の対戦でボールを持って当たりにいくと、抱え上げられ5mほど後退した。1年後、そんな場面はなかった。2本のPGで早大が6-0と先行した。前年の対戦も同じ展開で6点をリードしたが、28分にトライ(ゴール)を許して逆転された。後半さらに突き放され、9-28で敗れた。
同じ轍は踏まない。23分、相手ゴール前のラインアウトからトヨタの弱点だったモールを組んで押し込み、主将自ら初トライを挙げた。佐々木さんは「僕はただ置いただけ」と謙遜するが、「今年はいくでしょう、みたいな雰囲気を感じた」。ほぼ満員の観客は判官びいきで圧倒的に早大を応援していたが、さらに熱気を帯びた。
地力があるトヨタはそのフラベル選手が28分にトライを返した。その後は、互いにトライを奪い、早大が21-14と7点リードで折り返した。
ラインアウトは研究の成果
スクラムとともにラインアウトの成否が明暗を分けた。早大が自分たちの投げ入れるボールをほぼ獲得したのに対し、トヨタが成功したのは半分ほどだった。風の影響もあったが、実は早大側はトヨタのラインアウトの動きがほぼわかっていた。早大FWに身長190cm代はいなかったが、トヨタは3人そろえていた。有利なはずだったのに、ジャンプを合わされて苦労した。
ラインアウトのサインは、例えば選手が呼び上げるいくつかの数字の何番目かが鍵となり、誰が飛ぶのかや投げ入れるタイミングを関係する選手に伝えている。早大に、相手のサインを解読するのが得意な部員がいた。よく対戦した大学のサインは何となくわかっていた。トヨタの主力選手がたまたまその大学のOBで、サインの傾向を当てはめてみると似ていた。トヨタの試合映像をできるだけ取り寄せると、音量を最大に上げ、ラインアウトの時、かすかに聞こえるサインのコールに耳を傾け研究したという。
後半、早大は風下だったが、不思議なもので次第に強風はおさまりだした。互いにインターセプトからトライを取り合った後、トヨタにPGを決められ4点差に迫られた。ここから残り15分ほどを守り切った。最終盤は防戦一方だったが、ゴールラインは割らせなかった。「体力的に追いついたのは選手の努力。でも、部員みんなの勝利でした」
日本選手権で大学生のチームがTL(2003年開始)のチームを破ったのは初めてだった。社会人の上位チームに勝つのは、清宮監督が早大2年の時に東芝府中(現・東芝ブレーブルーパス)に勝った第25回大会(1988年)以来、18大会ぶりだった。当時は社会人王者と学生王者が一発勝負で対戦していたが、その後は力量差が開き大会形式が変更された。TLには世界一流の選手もおり、学生が勝つのは無理ではと言われていた。
東芝府中に完敗、さらなる高み知る
翌週の準決勝は東芝府中に0-43と完敗した。TL優勝チームはさらに上だった。「最後まで自分たちのやってきたことを出し続けたが、ことごとくはね返された。あれだけやられたら、気持ちいい。前年にトヨタに感じたものと同じような壁を感じた。でも、また1年あれば、この壁も乗り越えられるだろうとも思った」。実際には翌年、メンバーが変わり、早大は大学日本一を逃したが、学生スポーツ界に強烈な印象を残した。
日本選手権で大学チームがTL勢を破ったのは2度だけ。9年後の第52回大会で日本代表SHの流大(サントリーサンゴリアス)が主将を務めた帝京大学がNEC(TL10位)に31-25で勝った。大会形式が変わり、今は対戦もない。
快挙を置き土産に、佐々木さんは清宮監督らとサントリーサンゴリアスで次の飛躍を目指すことになる。