大学ラグビー

連載: プロが語る4years.

早稲田大4年の夏、生粋のリーダーが流した涙の意味 佐々木隆道3

主将として早稲田大を2年連続大学日本一に導いた佐々木隆道さん(撮影・すべて朝日新聞社)

7月からラグビー・トップリーグ(TL)のキヤノンイーグルでコーチに就任した佐々木隆道さん(36)が、現役生活を振り返る5回連載の3回目です。早稲田大学で4年生になる前、2年連続大学日本一と打倒TL勢を目指す新チームのキャプテンに指名されました。啓光学園(現・常翔啓光学園)高時代も主将として高校日本一を経験した生粋のリーダーでしたが、チームをまとめるのに思わず涙したこともありました。

「戻れるなら、あの試合に」早稲田大学4年間で、学生相手に唯一の黒星 佐々木隆道2

オーストラリアへ武者修行

佐々木さんは高校23年生の時、ニュージーランド(NZ)へ行き、「漠然とですが、海外でプレーすることに憧れを持った。世界を広げるチャンスがあるというのを知った」と言う。大学卒業後、プロにこだわって挑戦した原点でもある。「どうせ、海外へ行くんだから、プロとして最短コースを歩みたかった。結局、かなわなかったですけど」

大学3年生の日本選手権でトヨタ自動車ヴェルブリッツに敗れると、間を置かずにオーストラリアへ渡った。新主将に指名されていたが、プロの道への準備でもあった。「最初は自分でNZの知り合いを頼って行こうとした。清宮克幸監督に話したら、『もっといいところに行け』と(前日本代表ヘッドコーチの)エディ・ジョーンズさんにつないでくれた」。ブリスベンでレッズ(現スーパーラグビー)の下部チームに合流させてもらえることになった。

ホームステイして練習施設に通う毎日は、充実していた。トップチームから2ランク下のプロを狙う若手クラスと競ったが、「こんなにトレーニングするんだ」と驚かされた。高校、大学と国内ではFW3列のトップを維持してきた。フィットネスにはそれなりの自信があった。なのに、走力や持久力はスクラムを最前列で支えるプロップを上回る程度の数値しか出せず、巨漢ぞろいのロックには負けることもあった。筋力は言うに及ばず、ついていくのに必死だった。施設では様々なクラスの選手が練習をしていたので、オーストラリア代表選手の技は目で盗んだ。「本当は半年ぐらい行きたかったんですけど。清宮さんが『帰ってこい』と言うので。結果的に2カ月ぐらいでした」

4月下旬の新入生の入部式にはチームに再合流した。関東大学の春シーズンはまだ公式戦ではなかったが、早稲田大は強かった。5月にまず、韓国に遠征して高麗大学を42-33で下した。明治大学は65-14、慶應義塾大学には55-17とライバルを寄せ付けなかった。2強と呼ばれていた関東学院大学にも19-7と競り勝った。

4年生の時は春も秋も早慶戦は快勝した

理想のキャプテン像とは

佐々木さんは各世代のチームほとんどで主将を務めた。引退を機に改めて理想のキャプテン像を聞くと、「チームの目標をリードできる人。決断でき、嫌われることもあるし、厳しいことを言わないといけない。目標を達成するために理解して行動できる。それが大事なのかなと思う」と話した。大学時代に「理解して」という部分の気付きがあった。「キャプテンになっていきなり、『じゃあ』と海外へ行った。チームの始動時にいなかったことも、『そんなのいいでしょう』と軽く考えていた。帰って来て、キャプテンとして受け入れられたかどうかはわからない」

語り草のミーティング

2005年度の4年生は1学年上より10人以上多い35人いた。当然、試合に出られない選手の方が多く、いくつかのグループに分かれていた。

長野・菅平での夏合宿のまっただ中だった。チームの雰囲気に敏感だった九州出身の同級生が言った。「俺らは話し合わんといかん」。今でも同期が集まると語り草になる4年生だけのミーティングが始まった。一人ひとりがそれぞれの立場から発言した。少しお酒も入り、議論は熱くなった。佐々木さんは「そこまでみんなを理解する必要はないと思っていた。勝てばいいとだけ。好き勝手なことを言われ、むかついて泣いた。でも、みんなからすると『こいつ、好き勝手やってんな』だった」と振り返った。

「そうやって、直接、ぶつかったのは初めてだった。そこからお互いが歩み寄って、一つになっていくというストーリーがあった。あのままいくと勝ってなかった」。行動も変わった。それまでは自分のコンディションが一番だったが、下のチームの試合はできる限り見に行くことにした。トップチームが休みの時も、遠征先にも。時間が許せば、いつもメンバー外の選手からやってもらっていることを、逆にやろうと考えた。

優勝を決めた後、佐々木さん(右)は清宮監督(中)らと肩を組み、部歌「荒ぶる」を歌った

仲間と歌い継ぐ「荒ぶる」

秋以降の本番は盤石の強さとなった。慶應大に54-0、明治大に40-3とともにトライを許さなかった。関東大学対抗戦では清宮監督が就任した2001年からすべて全勝での5連覇を達成した。連覇を狙った全国大学選手権の決勝は接戦が予想されたが、関東学院大に41-5で快勝した。試合後、優勝した時だけ歌うことができる部歌「荒ぶる」を清宮監督らと肩を組んで歌った。

「僕はそんな優秀なリーダーではない。周りにいい選手がいて、サポートしてくれた。ちゃんと話し合い、行動にうつせた仲間だったから、今でもつながっていられる」。部歌「荒ぶる」には卒業後も受け継がれる不文律がある。優勝した年の4年生だけが、結婚式など人生の節目で歌うことが許される。試合に出た選手、ケガに泣いた選手、そんなことは関係ない。その1年を引っ張ったすべての最上級生がたたえられる。あの夏、侃々諤々(かんかんがくがく)と議論した仲間たちと「荒ぶる」を歌い続ける。

通算13度目の優勝は明治大を抜き、単独最多記録となった

2年連続大学日本一は早稲田大としては31年ぶりの快挙だった。低迷期があり明治大に抜かれていた選手権の優勝回数も、再び抜き返して単独最多の13度目とした。数々の記録を打ち立てたチームは、シーズン最後、記憶に残る試合で締めくくることになる。

快挙支えた努力と仲間、日本選手権でトップリーグ勢に初勝利 佐々木隆道4

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