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ラグビーアナリスト木下倖一「世界に挑む」 学生時代から追い続けた夢

サンウルブズの木下倖一ヘッドアナリスト(撮影・斉藤健仁)

24歳ながら世界の舞台へ出て、ラグビーのアナリストとして戦っているのが木下倖一である。慶應義塾大3年生の時からトップリーグ(TL)のチームの現場に関わり始めた。新卒で日本を本拠としたスーパーラグビーのサンウルブズ(SW)をプロとして支え、途中で打ち切りとなった2020年シーズンはヘッドアナリストとして活躍した。学生時代から未開の分野に挑んできた木下の気概や姿勢に迫りたい。

サンウルブズで世界に挑戦する大学生たち 

アナリストって? 現代スポーツに欠かせない役割

アナリスト(分析)とは、試合前には相手を分析し、試合後も自チームのデータを数値で測り、チームをサポートし勝利に貢献するのが主な役割。ラグビーだけでなくサッカー、バスケットボール、バレーボールなど団体球技では欠かせないスタッフのひとりだ。

木下は昨年、日本人としては16年ぶりにニュージーランド・国内プロリーグのベイ・オブ・プレンティのヘッドアナリストに起用された。2003年からノースハーバーで務めた濵村裕之さん(現・東芝アナリスト兼コーチングダイレクター)以来と言われる。そして20年は、最後のシーズンとなったSWのヘッドアナリストとして貢献した。日本代表の強化にもつながったSWについてもっとも嬉しかった瞬間を聞くと、木下は「やはりチームが勝利することですね。今年、開幕戦でレベルズ(オーストラリア)に勝った試合は嬉しかったですね!」と声を弾ませた。チームスタッフとしては17年にブルーズ(ニュージーランド)に勝利した試合も思い出深いという。チームの一員として勝利に貢献できることは何事にも代え難い経験である。

サンウルブズは今年の開幕戦を勝利で飾った(撮影・斉藤健仁)

慶應ではJSKSに、もっとラグビーと関わりを

それではどうして木下はラグビーのアナリストになったのか。そもそもラグビーとの出会いは慶應義塾志木高校(埼玉)時代だった。当初はアメフトをやろうとしたが部活自体がなかったことと、1年時にクラスの横と前に座っていた友人が系列の中学でラグビーをしていたこともあり、英国発祥のスポーツの門を叩いた。すぐに虜(とりこ)となった木下は、CTBとしてだ円球を追った。

ただ、「高校でプレーヤーとして限界を感じた」こともあり、慶應義塾大では体育会のラグビー部で学生トレーナーやろうと思っていたという。だが、埼玉・大宮の実家からの通学が遠かったことと、体育会に入るとなかなかバイトができないこと、3兄弟の長男で金銭的なことなどを理由に入部を断念。準体育会系(体育会所属団体)のJSKSラグビークラブで競技を続けた。

同クラブの先輩や同期が就職への意識が高かったこともあり、大学1年時から「将来はラグビーに関わる仕事がしたい。プレーヤーが無理ならアナリストかレフリーかな」と漠然と思うようになっていたという。そのため、CTBなどでプレーしながら2年時からはレフリーや自チームのアナリストとしての活動を始めた。そして縁あって、大学3年時からTLのNECグリーンロケッツのアナリストのインターンとして働き始めるチャンスを得た。

大学4年でスタッフとしてNECの寮に住み込む

ここから木下のアナリストへの道が始まった。大学は必要最低限の単位のみ取り、朝5時に起きては千葉の我孫子に向かう毎日だった。真摯な姿勢が評価され翌年、大学4年生ながら、スタッフの一人としてNECのラグビー部の寮に住み込みでアナリストとして働くようになった。

さらに木下は動いていた。16年からスーパーラグビーに参入したSWがインターンを募集していた。3年時の後半にそのことを知ると応募、こちらにも採用された。日本で初めてのプロラグビーチームで、アナリストやチームマネージャーのサポートをする仕事に就いた。1年中、ラグビー漬けの毎日となり、一般的な就職活動はまったくしなかったという。

2017年にブルーズを破ったサンウルブズ(撮影・斉藤健仁)

安定を捨てて、プロの道へ

大学を卒業するにあたり、会社員のアナリストとして働く道と、SWのアナリストとしてプロの道を進む選択肢があった。周りはやはり安定した社員になることを進める声が多い中、木下は「世界にチャレンジしたい!」と迷いなく、SWで働く道を選んだ。

アナリストは一般的に試合が日曜日にある場合、土~水曜日あたりは忙しくなる。パソコンを使う分析のスキル自体は数カ月もやれば慣れるという。そこで役にたったのが経済学部での授業だった。アナリストは常に数字やデータと向き合うため、「数学だけは本当にしっかりやっておいた方がいい」と声を大にする。

 「無理だ」 奮い立たせたジョセフHCの一言

木下はSWで働く傍ら、もう一つのチャレンジを試みていた。アナリストとしての海外挑戦である。17年、日本代表を率いるジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)に「ニュージーランドのプロチームでアナリストになりたい」と相談してみると、「今の英語力では無理だな」と一蹴された。そこから英語にも本気になって取り組んだ。

本場のニュージーランドでも活躍した木下倖一アナリスト(左、本人提供)

本場ニュージーランドのチームにも貢献

その努力の甲斐あり、19年にはNECやSWでの経験が買われて、ニュージーランドの国内プロリーグに所属するベイ・オブ・プレンティのヘッドアナリストとして契約を勝ち取ることに成功。日本人アナリストとしては16年ぶりの快挙だった。チームは昨シーズン、見事2部で優勝し、1部に昇格した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、どうなるか分からないが、状況が許せば、今シーズンも同クラブのヘッドアナリストとして働く予定だ。

「大学で英語と数学も勉強しておくべき」

アナリストを志す大学生にアドバイスするとしたら。木下は「僕はたまたま選択が結果につながりましたが、プロチームは未経験の新卒をアナリストとして取ることはしないので、学生の間に履歴書を埋めることが重要」と話してくれた。大学のチームでも、プロチームのインターンでも積極的に現場に関わっていくことが大事というわけだ。また、どのスポーツにも外国人のコーチや選手がいることや、世界に出ていくことを考えると、「アナリストになるためには大学で英語と数学も勉強しておくべき」とエールを送った。

2016年発足のサンウルブズは稲垣啓太(中央)や大野均さん(右)も所属、代表強化に貢献した(撮影・斉藤健仁)

「日本のラグビーが強くなるためには、選手だけでなくスタッフも海外に出るべき」という意見を持つ木下の今の目標は、再びスーパーラグビーのチームや欧州の強豪クラブでアナリストになることだ。「SWの世界への挑戦は今シーズンで終わってしまいましたが、自分が海外で結果を出すことがSWというクラブのレガシーになる」と意気込んでいる。

木下は今後も数学と英語の勉強を続けつつ、若さを武器にアナリストとして世界へのチャレンジを続けていく。

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