サッカー

筑波大蹴球部・林田息吹 夢は「主務として日本一に貢献」、1年目に見た天皇杯の風景

小学生の時からサッカーをしてきた林田は現在、スタッフとしてチームを支えている(写真提供・全て筑波大学蹴球部)

筑波大学蹴球部は2020年シーズン、天皇杯で唯一の学生チームとして5回戦まで進みました。相手はHonda FC。その試合にスタッフとしてチームに同行した林田息吹(1年、修道)の夢は、主務という形でチームの日本一に貢献すること。蹴球部マネージャーの坪田藍(2年)が林田の思いを4years.につづってくれました。

プレー面以外でもチームに貢献できる

広島出身の林田は5歳の時にサッカーと出会い、小学3年生でシーガル広島に加入した。当時はただ楽しくサッカーをしていたが、周りは向上心が強く、気づいたら試合に出ない人になっていたという。それでも日々の練習やプレー以外の面での真面目な姿勢が評価され、副将を任せられた。

中学校ではそのままジュニアユースに上がってプレーを続けたが、2年生の時にけがで一時離脱。けがが治るまでに8カ月かかり、久しぶりにプレーすると、仲間とのレベルの違いを痛感した。「ずっと向上心がある人だったら人一倍努力して実力を取り戻そうとしたと思うんですけど、自分はそもそもプロになりたいというのがなかったので、諦めを感じてしまいました。でもプレーで勝てないなら他に何か自分のスペシャリティを見つけ、その分野で勝ちたいと思いました」

林田はピッチで活躍する選手ではなかったが、3年生の時にはチームの主将に選ばれた。試合になればキャプテンマークを試合に出る仲間の腕に巻き、背中をたたいてピッチに送り出す。全員で円陣をする時は、自分が声を出して盛り上げ、試合中はベンチから応援する。練習の時も、誰よりも声を出してチームを引っ張った。試合に出られなかったとしても、「サッカーのプレー以外のところでチームに貢献するのは楽しかったです」と自分が果たすべき役割を全うした。

修道高校(広島)では学内のサッカー部でプレーを続けた。監督ともめることもあったが、3年生の時にはやはり主将に選ばれ、まとめ役としてチームを支えた。

芽生えたサッカービジネスへの夢

引退試合後、林田はサッカーを続けるどころか、サッカーに関わることすら全く気持ちが湧かなかった。そんな時、Twitterでサッカービジネスについての講演会があると知り、興味本位で参加。一気にサッカーへの気持ちが高まった。講演会後、主催者にサッカービジネスで働くには日本のどの大学にいけばいいかを尋ねたところ、筑波大学と日本体育大学を勧められた。それから自分で筑波大を調べると、蹴球部は200人規模の組織で、学生主体で部を運営し、自分たちでスポンサー獲得活動もしていることが分かった。「こんなぴったり自分に当てはまるところがあるんだ」と驚いた。

更に調べると、2017年に筑波大が天皇杯でJ1チームも破ってラウンド16に進む大躍進を果たした時、チームを主務として支えていた堀田雄一郎さんの記事にたどり着いた。この時、林田の中にひとつのイメージが見えた。「筑波大学蹴球部に入ってサッカービジネスに関わることをたくさんする。ピッチ外で色々貢献して、最終的には主務としてトップチームを支えて日本一に貢献する」。その一心で勉強に励み、筑波大学国際総合学類に合格。迷うことなく、蹴球部の門をたたいた。

思ってもいなかった天皇杯同行

蹴球部に入部する際、「スタッフ活動だけをやりたい」と先輩に伝えたところ、「絶対選手はした方がいい」と強く言われ、まずは選手活動を続けることにした。それでも早い内から部内の様々な活動に首を突っ込み、“蹴球部について知り尽くした人間”になりたかった。「アナライズ班として活動したり動画作成を素人ながらやってみたり、ファンクラブの活動も少しかじったりもしていました。将来、主務になりたいことも色々なところでねちねち話していました」と笑いながら明かす。

天皇杯3回戦東京武蔵野ユナイテッド戦では映像撮影を担った(試合後にトップチームの1年生と、左から4人目が林田)

昨年12月20日、天皇杯5回戦Honda FC戦はエコパスタジアム(静岡)開催だったため、マネージャーとして誰かひとり、チームに同行しなければいけなかった。しかし上級生の主務・副務は全員、Bチーム以下の試合と重なっており、誰を同行させるか決めかねていた。林田は映像撮影の関係でトップチームと面識があり、また、1年生をまとめる立場にあった。そうした縁もあり、「あ、息吹でいいんじゃない?」という言葉が話し合いの場であがった。改めて小井土正亮監督とも話し合い、林田を帯同させることに決まった。「本当にめぐり合わせがよくて。まさかこんなことを1年生で経験するなんて思ってもいなかった」と林田は言う。

ホテルの手配などはマネージャーが担い、林田は主に現場対応を任された。持ち物をリスト化し、換気などの新型コロナウイルス対策、選手へのスケジュール連絡、試合会場についてからの段取り確認や当日の試合会場の下見まで行った。また、選手やスタッフ、外部の方に何を質問されても答えられるように資料を作った。「堀田さんが遠征時に主務のやることをまとめた資料が球研(部室)に残っていて、これはめちゃくちゃ参考になりました」

試合は1-2で敗れ、悔しい思いで静岡を後にした。その一方で林田個人としては、この試合に同行することで、自分の中で描いていた主務が試合会場でどんなことをするのか、試合前にどんな準備をしているのかを身をもって学ぶことができた。

主務としてチームの勝利に貢献したい

これからの目標を林田に尋ねた。

「蹴球部が勝つために、日本一になるために、自分がやれることを最大限やる過程で、周りから主務を任せてもらえるような人になりたい。そのためにやれることをなんでもやりたいです。大学サッカーはその先にプロを見すえている人もいれば、僕も含め高校でなにかしらサッカーに踏ん切りをつけられなかった人もいて、それぞれに諦めきれない理由があり、もがいているんです。その姿に誰かが心動かされて、応援したいと思ってもらえたらうれしいです」

林田は元々、高校でサッカーを終えるつもりだった。しかしサッカービジネスに興味を持ち、そのための過程として筑波大学蹴球部に進んだ。今は将来への思いよりも、目の前の一勝に情熱を注いでいる。

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