サッカー

筑波大蹴球部在籍中に起業、AI×教育で未来を切り開く Aruga・木村友輔CEO

Aruga株式会社は現在、5人の仲間で運営している(中央が木村、写真はすべて本人提供)

筑波大学蹴球部に在籍しながら2016年に株式会社シェアトレを起業。現在はAruga(アルガ)株式会社に社名を改め、10月7日、新サービスとして個別育成ツール「Aruga」の本格展開を始めた。休学を挟んで来春に筑波大を卒業するCEOの木村友輔(24)は元々、プロサッカー選手に憧(あこが)れていた選手だった。そこからどのようにキャリアを築いてきたのか、話を聞いた。

プロの夢が砕かれ、生き方に悩んでいた時に

木村は東京都出身。小さい時から様々なスポーツに親しんできたが、小5でサッカー1本に絞り、中学生の時にはサッカーとフットサルのクラブをかけ持ちした。フットサルでは東京都リーグで最優秀選手賞、得点王、ベスト5を受賞。神奈川・藤沢まで通っていたサッカーでは、神奈川大会でベスト8になっている。

将来プロになる。そう思いながら東京都立小石川高校(現・東京都立小石川中等教育学校)進学を機に、サッカークラブのFCトリプレッタへ。しかし股関節にけがを抱えていたこと、何より、鹿島アントラーズユースとの試合でレベルの差を思い知らされた。「自分よりも全然うまいのに、自分よりも努力をしている人、環境がいい人はいる」と、高1の時にプロへの険しさを痛感した。それでも親に「プロを諦めた」とは言い出せなかった。親の前ではクラブに通うふりをして近所のファミレスで時間をつぶし、頃合いを見て家に帰っていた。

そのファミレスの隣には中古本屋があり、何げなく手にした本に衝撃を受けた。その本は、京セラや第二電電(現・KDDI)を創業した稲盛和夫氏の『生き方』。「僕自身、生き方に悩んでいたので、経営者ってかっこいいなと思ったんです」。元々プロサッカー選手になりたかったのも、中村俊輔(横浜FC)が日本代表で活躍していた姿に夢をもらえたから。目標が夢を与えられる人になることなら、プロサッカー選手ではなくてもいいんじゃないか。スポーツと掛け合わせたスポーツビジネスで、自分で事業をやっていける人になろう。そう考え始めてからはすぐに軌道修正。スポーツとスポーツビジネスを網羅的に学べる大学を調べ、それが可能なのが筑波大だと知ると、その日の内に壁へ「筑波大現役合格」の紙を貼った。高1の冬だった。

小学生の時からプロサッカー選手を夢見ていたが、高1の冬に将来の夢をスポーツビジネスにシフトした

プロサッカー選手から目標は変わったが、受験で実績と実技をアピールするためにサッカーを継続。高校最後は関東大会ベスト4だった。その最後の試合はPK戦となり、木村のひとり前のキッカーで決着がついての敗戦。不完全燃焼が拭えず、大学でもサッカーを続けようと決心した。クラブでプレーしていたため塾には通えなかったが、移動中の電車の中で英単語を勉強するなど、人一倍時間管理を徹底。願い通り、一般入試で筑波大に合格した。

改めて知った少年サッカーの現場の課題

筑波大入学後は迷うことなく蹴球部へ。しかし1年生の最初の試合で肋骨を折ってしまい、3カ月プレーができなくなってしまった。チームには学生の自主運営による係活動が確立しており、その中にはつくば市近辺の少年団のコーチ活動もある。プレーできない選手は優先的にコーチ活動を担っており、木村もすぐにそのひとりとなった。

ただ、実際に子どもたちを取り巻く環境を見て愕然(がくぜん)とした。「練習試合では怒号が飛び交い、子どもたちは泣きながらサッカーをしていて、僕が小学生だった時と何も変わっていなかったんです」。また木村自身、コーチとして子どもたちに教えようとしてもうまく伝えられないもどかしさがあった。

こうした課題を解決する方法はないんだろうか。その考えからサッカー指導者のための練習メニュー共有サイト「シェアトレ」を1年生の冬に立ち上げた。シェアトレは誰もが投稿できる共有サイトで、料理レシピサービス「クックパッド」から着想を得たという。シェアトレは立ち上げてから1~2年で月6万人が利用するサイトに成長した。

筑波大蹴球部のひとりとして子どもたちを指導する中で、子どもだった時の木村も感じていた指導現場の課題を知らされた

木村自身、大学卒業後は3年程度就職して知識を蓄え、その後に起業することを考えていた。しかし縁あって大学2年生の時に起業。1年生の時は授業が5割、練習が3割、事業が2割のバランスだったが、起業してからは事業に割かれる負担が大きくなった。名門蹴球部の中でトップチームを目指す気もない自分がチームに果たせるものを見い出せず、小井土正亮監督に「事業に専念します」と退部を願い出た。しかし「でもお前がやっていることはサッカー界の底上げになるし、サッカーと全然関係ないことをやっているわけじゃないから、お前はその道でいい。蹴球部に籍を置きながらビジネスも頑張れ」と励まされたという。木村は2度休学を挟んだが、4年間はそのまま蹴球部としてサッカーを続けた。トップ選手を目指す仲間の存在は木村にとっても刺激になった。

「Aruga」で自分を知り、自分を高める

この10月7日に正式リリースとなったArugaのシステムは、LINEチャットボットが選手の目標設定や振り返り、コンディショニング記入のサポートを自動で行い、指導者は集まったデータを元に、個別フィードバックができるというもの。このArugaの誕生には、小井土監督の存在も大きく関わっている。

小井土監督は元々、選手一人ひとりに目標達成シートを書かせ、それに手書きでフィードバックする方法をとっていた。選手は毎年160人程度いる。「僕自身、小井土さんに見てもらえていることが選手としてもうれしくて、モチベーションにつながっていたんですけど、授業も抱えている監督がひとりでやるには大変だろうなと思っていました。『お前、うまくIT化してくれないか?』って小井土さんに言われて、『じゃ、やってみます』ってやる気になりました」。元々、シェアトレの経験を通じて、もっと一人ひとりに寄り添ったサービスの必要性を感じていたこともあり、これからやりたいことにもイメージが近かったという。

昨年10月にArugaのテスト版を作った際、実験的に筑波大蹴球部の他、立教大学女子ラクロス部にも使ってもらった。立教大女子ラクロス部はその年、創部初となる全日本大学選手権優勝を果たしている。同部の佐藤壮監督もArugaの効果を実感したと言う。

新型コロナウイルスの影響を受けて予定がずれたものの、今年8月からは本格的に営業を開始。大学のみならずプロチームも含め、現在、20チームにArugaが導入されている。今後はさらに、チャットボット内にAIを搭載していくことも視野に入れている。

サッカー選手として、また筑波大蹴球部のひとりとして、感じて学んだことが今につながっている

木村のイメージとしては、小学生などの世代から使ってもらい、そのデータを中学校、高校、大学などとデータを蓄積しながら次の指導者につなげていくことで、より適切な指導体制を整えていくことが目標だ。また今はスポーツの現場のみで活用されているが、一人ひとりをサポートするという意味でも、教育現場などにも展開できるのではと考えている。さらには自分で現在地を理解してどのように目標へと近づけていくか、自分の価値をどう理解するかを促し、自分を高めるきっかけになれば。「あるがままの自分と向き合い、自分を上げていく」。そんな思いがArugaの言葉に込められている。

Arugaの仲間は現在5人。平均年齢は23~24歳と若い会社だ。木村は来春に筑波大を卒業した後もArugaのCEOとして、今目の前にある課題と向き合い、未来を切り開いていく。

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