サッカー

連載:監督として生きる

母校で出会った「一生ものの仕事」 筑波大蹴球部・小井土正亮監督(上)

小井土さんは2015年、筑波大蹴球部に監督として帰ってきた(写真は本人提供)

筑波大蹴球部は創部123年目という歴史を誇ります。2014年には関東リーグ2部へ降格したが、1年で1部へ復帰し、その後16年度のインカレ、翌年の関東1部をそれぞれ制し、名門復活を印象づけました。連載「監督として生きる」の第7弾は、筑波大蹴球部を15年から率いる小井土正亮さん(41)です。3回の連載の1回目は小井土さんの筑波大学部生、大学院生時代についてです。

筑波大の教員であり蹴球部の監督でもある小井土さんは、20代半ばからサッカーの指導キャリアを積んできた。始まりは筑波大のヘッドコーチ(HC)。その後、Jリーグの清水エスパルスやガンバ大阪でのアシスタントコーチを経て、いまに至る。「指導者という立場でサッカーに関わっていきたいなっていうのは漠然とありましたけど、初めは大学の先生になろうとはまったく思ってなかったです。流れに身を任せてやってきた感じでしたね」。これまでのキャリアは自ら進んで勝ちとったというより、導かれたという印象が強いようだ。

1年でプロ生活を終え、大学院に専念

小井土さん自身も筑波大の蹴球部出身。地元である岐阜の県立各務原(かかみはら)高校サッカー部で指導してくれた恩師が筑波大出身だったため、常々「筑波に行って、先生として岐阜に戻ってきなさい」と言われていたそうだ。わずか五つしかない蹴球部のスポーツ推薦枠で筑波大へ進み、自信満々で蹴球部へ飛び込んではみたものの、周りを見渡すと実力者ぞろい。1年後には羽生直剛(なおたけ、現・FC東京強化部スカウト担当)や平川忠亮(ただあき、現・浦和レッドダイヤモンズトップチームコーチ)ら、のちにプロの第一線で活躍するような後輩たちが入学。小井土さんは当時を振り返り「これが大学サッカーのトップなんだなっていうのを肌で感じました。どっちかと言うとしんどい方が強かったですね、大学4年間は」。そう言って笑った。

「岐阜を出て筑波で活躍する姿を思い描いていたんですけど……」と苦笑い(撮影・松永早弥香)

大学卒業後の01年、小井土さんはJ2の水戸ホーリーホックでプロとしてのキャリアをスタートさせた。しかし芽が出ず、1年で現役を引退。それでも幸いにして、進む道があった。筑波大の大学院である。大学4年生の秋ごろ、進路に迷っていた中で「ちゃんと勉強しないまま4年間終わっちゃうな」と思い、大学院入試を受けて合格。その後、ダメ元で受けた水戸ホーリーホックの入団テストにも受かった。そのため、現役選手でありながら週に1、2度、大学院にも通う日々を送っていたのだ。引退を機に大学院に専念することにした。

大学院では学部生時代も専攻していた体育心理学を学んだ。学部生のころよりも物事を広角的にとらえ、議論する研究室だった。「例えば人がスポーツをする意味。AだからBではなくて、Aなのはなぜなのか、っていうような哲学的なことを考えるんです。物の見方や考え方を広げる時間だったなと思いますね」。サッカーの指導論とはかけ離れてはいたが、当時の小井土さんはもともと興味のあった体育心理学を学ぶことを有意義に感じていた。

指導者としての原点は大学院時代

大学院2年目を迎えた小井土さんは「1年だけ指導者の勉強をさせてもらいたい」と思い、蹴球部の指導を願い出る。するとトップチームのHCを任された。学部生時代に地域の子どもたちを教える機会があったとはいえ、チームを本格的に指導したのは初めてだ。いわば指導者としての原点である。

「当時、大学院に入って2年目だったんですけど、そうなると年齢的に二つ下が4年生です。羽生や平川はすでにいなかったんですけど、自分が4年生のときにそこまで試合に出られなかったのに、彼らは実力があって2年生ながらも試合に出ていた選手たち。だから『小井土さんがヘッドコーチ? やれるの? 』っていう感じだったと思うんです。そういう空気をひしひしと感じてもいたので、毎日必死でやってましたね」

あくまで勉強のために始めたとはいえ、現場では指導者として振る舞わなければならない。これといった実績はなかったが、それまでに培った知識や経験をフルに生かしながら学生たちを指導した。誰に教わった訳でもないが、1枚の紙に手書きでその日の練習メニューを記し、大事なポイントにはとにかくペンを走らせた。

日々の練習中に書き留めたものはすべて保管している(撮影・松永早弥香)

指導者という職業を当初は「しんどいし、難しい」と感じたそうだが、監督の指導次第でチームの行方が左右される奥深さを目の当たりにした。「一生ものの仕事にする価値のあるもの」だと思った。蹴球部のHCとして1年間の修行を積み、それまでぼんやりとしていた将来像が小井土さんの中で少しずつくっきりと浮かび上がってきた。

監督として生きる

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