バレー

連載:監督として生きる

初めて学生に見せた涙 福山平成大バレー・松井弘志監督(下)

「勝ちたい」という思いは松井監督も同じ。それでも、学生自身が主体的になれる環境づくりを心がけている

2000年に福山平成大の監督に就任した松井弘志氏(44)は02年、学生への“行き過ぎた指導”を問題視され、その後に決心した喉(のど)の手術で出血多量となり生死の境をさまよいました。指導に復帰したのは半年後。松井監督は指導方針を抜本的に改めました。連載「監督として生きる」第6弾の後編です。

嫌われ役なんてバカらしい

松井監督はまず、FIVB(国際バレーボール連盟)の公認コーチコースを受講するために中東まで足を運び、国内の指導者資格も取得。名将カール・マクガウンのセミナーを受けたアメリカでは、データバレー(ゲーム分析ソフトウェア)の基礎に触れた。

学生を指導するにあたって、松井監督は嫌われ役を引き受けているつもりだった。しかし、命を落としかけた時に思ったのは「学生に嫌われて、嫌な思いをされたまま死ぬのってバカらしいな」ということだった。もう指導者はやめよう。そう思って家族にも相談したが、父親には反対された。「逃げてやめるのなら、うちの会社にも来なくていい。ただ、お前が好き放題やって、納得してやめるのならとってやる」。この言葉は大きかった。

それ以降の松井監督の頭にあったのは、自分の考えを学生に押しつけて怒るのではなく、一歩引いて「こうした方がいい」と諭す指導だった。さらに、東海大時代に経験した指導スタイルをモデルにした。

当時の東海大では積山和明監督(現部長、広島県出身)の下、自分たちで考え、練習を進める学生主体のやり方が成り立っていた。その裏では学生コーチや主務が日々、昼休みに積山監督と打ち合わせをしていた。監督は練習で雰囲気を見て、必要なことを指摘する。場合によっては個別に指導することもあった。「本来、学生スポーツとはこうであるべきだ」と再認識した松井監督は、新たなチームづくりを進めていった。

そして学生コーチを福山平成大にも導入した。当然「同じ学生のくせに偉そうに言うな」といった反発もあったが、コーチを支えて励ましつつ、選手には学生コーチの意義や苦労を説き続けた。時間をかけていくと、熱い思いを持って優れたチーム運営をする学年もあったことで、徐々に新たなスタイルが確立されていった。

学生が主体「やるのは彼ら」

学生コーチには選手から転向するケースと、元々コーチを希望して入学してくるケースがある。現在チームを指導する桑野コーチは後者である。まだ知識も影響力もないうちは、ただボールを打つだけだった。

「2年生の後半くらいからは、(松井)先生に『こうやってほしい』と言われて考え、自分で練習メニューを決めるようになりました。ここでは学んできたことをすぐに実践させてもらえます。好きにやらせてもらって、本当にありがたいです」と桑野コーチ。監督とのやりとりは選手たちよりずっと多いが、意見や提案を否定されることはほとんどないという。

学生主体に切り替えたことで、選手たちにも変化が現れた

福山平成大は立地や設備といった面で優れ、監督の協力・調整のかいもあり、西日本の大学男子選抜メンバーが集まる強化合宿(毎春開催)の会場となった。また、強豪校が練習試合や合宿に訪れる機会も多い。そういった縁で様々な指導者から直に学びを得て、チームへ還元できるチャンスがある。松井監督や学生コーチにとっても大きなプラスなのは間違いない。

一連の指導方針転換による手応えを、松井監督自身もはっきりと感じている。教え子たちは就職先に定着し、教員になる者も出てきた上に、出世して後輩たちに寄付をするなど、有形無形の援助をしてくれる卒業生が増えた。

「僕の意地で勝ちたい」ではなく「やるのは彼らだから」。スタンスや接し方が変わっても、このチームで負けたくない、という思いは変わらない。練習でも試合でも、松井監督は手を抜いたプレーを非常に嫌うため、いまでもごくたまに怒鳴ることはある。そんな日は「あぁ、また悪い癖が出たな。部屋に呼んで話せばよかった」と、自省の時間を過ごす。

母校を倒して決勝進出

18年12月1日、インカレ準決勝の舞台は目標としていたセンターコートだった。相手は母校の後輩の小澤翔監督が率いる東海大である。試合前の円陣で、松井監督は珍しく声を張り上げた。

「俺の母校、倒すぞ!!」「ウォ~!!」

持ち味を存分に発揮した素晴らしいバレーで勝利。決勝を控えてなお、迫田主将への指示は「明日へ備えろ」程度だったが、松井監督の喜ぶさまは、これまでで一番だった。東海大の卒業生からも祝福のメッセージが多数届いた。「試合後すれ違ってしまった(東海大時代の監督だった)積山先生とは、まだ話ができてません。こちらから連絡するのもずうずうしいので、またどこかでお会いしたときに、ごあいさつします」

昨年のインカレ準決勝で東海大を下し、歓喜する福山平成大の選手たち

翌2日、決勝では王者の早稲田大から1セットを奪う健闘を見せたが、勝利には届かず、濃密な1週間のインカレは幕を閉じた。学年や役職に関係なく、チームに貢献するための方法をそれぞれが考えて実践していたため、松井監督は大会期間中、チームに対してほとんどストレスを感じなかったという。

閉会式のあと4年生全員と監督で食事に行った夜の意外な光景を、前主将の迫田郭志(現・FC東京)が振り返った。「みんなで話し、その場で松井先生にも一人ひとりにいろんな話をしてもらって。最後は初めて見ました。涙を流しているところを。びっくりしました」(日本バレーボール協会 豊野堯)

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