「素朴な策士」女子バレー松蔭大・白井監督(上)
神奈川県厚木市にある松蔭大の女子バレーボール部は、昨年11月から12月にかけて開かれたインカレで、過去最高の3位に輝いた。女子バレーのほかには女子バスケ部が全国レベルの強豪ではあるが、スポーツで名がとどろく大学ではない。
白井大史(だいし)監督(53)は1998年から女子バレー部を指揮してきた。同大助教として教鞭を執りながら、大学の事務局長や総務部長も兼務する。多忙なのにコーチも置かず、地元神奈川出身の選手たちを中心に集めたメンバーでコツコツとチームをつくり上げ、今回の快挙に結びつけた。
シード校に粘り勝って全国3位
インカレの女子バレー6人制では過去56回中51回、関東の大学が優勝している。そんな強豪ぞろいの関東大学女子1部リーグで、松蔭大は昨年の春は12チーム中9位。6月の東日本インカレでは2回戦敗退。その後、単独チームとして初の国体出場を決めたあたりから調子を上げ、秋のリーグ戦は1部で6位。ベスト4を目標にノーシードで挑んだインカレでは、初戦以外すべてシード校との対戦だったが、粘り強く勝ち上がった。準決勝では優勝した筑波大に敗れたが、この大会で初めて筑波からセットを奪う健闘が光った。
インカレ最終日、3位決定戦で松蔭大が戦ったのは白井監督の日体大での後輩、根本研監督(47)率いる日本体育大だった。目標の「ベスト4」を実現して勢いのある松蔭大は、準決勝で日本一の夢が破れた日体大に3-1と快勝。「キャプテンとして松蔭大を背負って戦い切った、エースの古谷(ふるや)選手を止められませんでした。ほかの選手たちも躍動してました。負けたことは悔しいですけど、あっぱれというべきか……。非常にまとまりがありました」。日体大の根本監督は、こう松蔭大をたたえた。
たたき上げのエース
今年2月現在、VリーグNECレッドロケッツの内定選手としてチームに帯同する古谷ちなみ(4年、伊勢原)は、昨シーズンの主要な大学の大会でのきなみベストスコアラー賞に輝いた大学ナンバーワンスパイカーで、躍進の立役者である。しかし伊勢原高時代は、3年生のときの春高バレーが唯一の全国大会で、それも1回戦負けだった。その伊勢原高や実家から近く、練習試合などでお世話になっていたからという理由で、松蔭大への進学を決めたという。
白井監督の指導を受け始めてから、古谷にはたくさんの発見があった。例えば白井監督はコート上のターゲットまでの距離を実際に算出し、違いを具体的に示した。そのことでサーブの考え方や対戦相手とのマッチアップなど、一つひとつに気づきが生まれた。「自分たちが意識していたより先のことについて、常にしっかり考えられるようになりました」と、古谷は振り返る。
日体大の根本監督は、白井監督のバレーを「マニアック」と表現する。「フェイントの置き方やスパイクコースなんかも細かく指導されてます。派手ではありませんけど、ひたむきに自分の役割を認識して遂行する。白井先生自身が素朴な方で、教育的なチームづくりをされてますけど、実はターゲットを研究して対策を練ったりする策士で、ひとことで言えばそう、素朴な策士です」
教員採用の口なく、女子バレー指導者の道へ
白井監督は65年、横浜に生まれて東京で育ち、中学でバレーを始めた。体育教諭を目指して日体大に入学すると、当時約150人もの部員がいたバレー部の門を叩いた。体育館で6人制の練習ができるのは、約30人のトップ選手のみ。白井青年を含めた残りのメンバーは屋外コートで、「気合と根性」の9人制の練習に明け暮れる毎日だった。4年生になったが、教員採用の口は決まらない。するとちょうどそこへ、企業チームの東芝(岡山シーガルズの前身)がコーチを探しているという話が舞い込んだ。88年、これが白井青年と女子バレーとの出会いだった。
東芝に加わって2年目の89年、縁あって全日本女子のコーチも経験した。当時は廣紀江(ひろ・のりえ、現学習院大教授)や中田久美(なかだ、現全日本女子監督)といった自分と同学年の選手や、ソウルオリンピックを経験したメンバーも複数そろっていた。
バレーを体系的に学んだ経験がないがゆえに、東芝時代に石川春樹監督の下、初めて触れた「バレーの指導」に白井青年は衝撃を受けた。選手に石川監督の意図を尋ねられても、白井青年には答えようがなかった。「だから、石川監督が選手に言ってることをよく聞いて、どうしてそう言ってるのか、ということを自分で本当によく考えました」。それが指導者としての第一歩だった。(日本バレーボール協会 豊野堯)