大学バレー

連載:監督として生きる

「学生に何か返したい」女子バレー松蔭大・白井監督(下)

白井監督(右端)は指導にあたって、勝負より教育の側面を大事にしている

女子バレーのインカレで昨年、松蔭大(神奈川県厚木市)は次々とシード校を倒し、3位に輝いた。前年はベスト16どまりだったチームが躍進した。エースの古谷ちなみ(ふるや、4年、伊勢原)は高校時代は無名だったが、白井大史(だいし)監督(53)の指導のもとで大きく花開いた。その白井監督は昨年、指導者になって30年目を迎えた。この30年を振り返ると、白井監督にはふたりの恩師がいるという。

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土日のなくなっちゃったお父さん

ひとりは白井青年が日本体育大学を卒業後、1988年にコーチとして出向いた企業チームの東芝(岡山シーガルズの前身)で出会った石川春樹監督だ。石川監督が選手に言っていることをよく聞き、その意図を考え、自分の中で体系化した。もう1人は東芝2年目の89年、全日本女子のコーチを経験した際に師事した日体大の宗内徳行監督である。その後、宗内監督に声をかけられて90年から母校の女子を指導することになった。宗内監督の下で、コーチングやチームづくりを見てきた。

大学までのバレー選手時代を終えても真っ白だった白井監督の「バレーノート」に、石川監督と宗内監督の2人の指導は、色濃くそのままの形で刻まれていった。

日体大で3年間指導した後は縁あって松蔭大へ。女子バレー部には前任の監督がいたため、5年間は現場を離れ、「土日の休みがあるお父さん」としてすごせた。長女は現在、東レアローズで活躍する白井美沙紀選手だ。

そして98年に監督就任。チームは関東大学女子2部リーグの8位(当時は1、2部とも8チーム制)だった。平日は仕事の途中であろうが、必ず少しでも練習には顔を出した。体調不良の選手の帰宅や、大会期間中に治療へでかける選手の移動など、車で送り届ける労力をいとわなかった。そこから「土日のなくなっちゃったお父さん」として21年目の昨年、チームは初めてインカレのセンターコートへと勝ち上がったのである。

白井青年が日体大で宗内監督の薫陶を受けていたころ、日体大の根本研監督(47)は日体大の学生だった。のちに指導者として2人は松蔭大と日体大に分かれるが、「私も宗内先生の下でコーチをやってましたので、白井先生は私の苦労話というか愚痴を聞いていただく先輩です」と根本監督は言う。

白井監督、根本監督が現在の立場となってから数年後の2003年には、日体大を卒業した大学指導者たちのチームによる春休みの強化合宿「さくらキャンプ」が始まった。ふたりが中心的な役割を果たし、さらに門戸を広げ、今年も3月末にある。数カ所に分かれる会場は、ほとんどが松蔭大のお膝元である。

地元の子を中学から面倒見て強くする

今春、松蔭大には18年度の全国大会でベスト8以上に名を連ねたような強豪高校からの入部予定者はいない。ジュニア世代の日本代表などの有力選手もいない。スカウトで競合した選手は、すべて別の大学へ行ってしまったからだ。

「我々の大学は合宿ができるので、高校生の出入りも多いです。だから先生方と信頼関係を作ったり、活動を見てもらったりする中で、面倒見がいいとか上下関係がないとか、そういうところを理解して入ってもらうしかないです」

地元の選手を中心に全国3位のチームをつくる白井監督の手法に、根本監督は「それこそ中学時代くらいからずっと面倒を見て、地元のチームを呼んできて合同練習や試合なんかで強化し、いわゆる体育系ではないような選手を集めて、松蔭ならではの方針で指導されてます」と、驚きを隠さない。

「今年もキツい」と話す白井監督。それでもやるからにはトップを目指す。その秘めた思いは変わらない。「手っ取り早いのは、去年のチームを超えること。古谷が抜けて、同じだけの得点はできないので、失点を減らしていくのが必要になります」

学生が頑張れる環境をつくるのが監督

大学での指導において、白井監督は教育という側面を大事にしている。きちんとプレーや生活面において必要なことを説明し、「何が大事なのか」ということを理解させながら進める。監督が怒るのはどちらかというと、コート外で支えるメンバーへの配慮が足りないなど、プレー以外での面が多いそうだ。教え子と娘の年齢が近くなった最近は、「こういうことが許せない」と理由を説明するようになったという。そうすることなく、ただボールを一生懸命追いかけるだけでは、実績のある選手たちが集まるチームに勝つのは難しい。

「卒業後はバレーをやめる学生も多いです。プレーヤーとしてより、人として生きていく時間の方が長くなります。それぞれの目標を決めるのは学生。じゃあその目標のために、どうやったら頑張れる環境をつくれるのか。それが監督の仕事ではないでしょうか」。白井監督は、こう考えている。

昨年のインカレでチーム最高の3位になり、喜ぶ松蔭大の面々

すべてを出し尽くしたインカレの3位決定戦で学生バレーを終えた古谷は、試合後のインタビューで「バレーがもっと大好きになった4年間でした」と答えた。いまでこそ「恥ずかしいですね」と振り返るが、あのときの正直な思いに違いなかった。「ぶつかったことがない壁にぶつかったり、考えたことがないようなことを考えたり。大学って結局は自分の意志による部分が強いです。そういう面でも成長できたな、というのが分かりました」。松蔭大に育った偉大なエースはNECレッドロケッツで挑戦を続ける。

古谷に限らず、また人数の多寡に関わらず、それぞれに達成感を味わって卒業してもらいたい。そのために、白井監督は4年生の最後までしっかり見届ける。「学生はダメなときは憎たらしいですけど、冷静に考えると、よく松蔭大に、僕のもとに、来てくれたなあと。だから、何か返さなきゃ」。そんな思いで、学生たち自身の目標に向けて、白井監督は丁寧に指導を紡いでいく。(日本バレーボール協会 豊野堯)

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