バスケ

連載:監督として生きる

組織で勝つ 東海大バスケ・陸川章HC(中)

陸川氏は40歳でNKKを退社して東海大のHCになった(写真は本人提供)

東海大男子バスケ部の陸川章ヘッドコーチ(57、HC)は昨年末のインカレで、シーガルスを5度目の全国制覇へと導きました。指導者としての高い力量はもちろん、根っからのエンターテイナーぷりに魅せられた業界関係者は数知れず。そんな陸川HCの半生は、武勇伝だらけです。

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サラリーマン時代に得た成功プロセス

バスケプレーヤーとして日本体育大からNKK(日本鋼管)に進んだが、チームの休部をきっかけに社業に専念。37歳で突然、課長になった。しかし、工場で働く現場の人たちはすんなり受け入れてくれない。持っていった書類は目の前で捨てられた。「お前、現場を分かってるのか? 」「バスケしか知らないくせに……」。そんな逆境に、陸川HCは燃えた。朝、夕、深夜にある工場の会議にすべて出席。過酷な現場にも必ず足を運んだ。すると「お前はしつこいな。飲みに行くか」と声をかけられるようになった。「飲みに行ったら勝ちですよ。どんどん仕事がうまくいくようになりました」。陸川HCは当時を振り返って笑った。

大きなプロジェクトの責任者も務めた。日本初となる一大プロジェクトを成功させ、それが専門紙の一面で掲載された。ホワイトカラーもブルーカラーも一緒になって、「陸さんが作ったんだ」とその功績をたたえる大宴会が開かれた。「私の成功プロセスはバスケから得たものではなく、サラリーマン時代のものなんです」。陸川HCは断言する。

「自分が一人で何かをなしとげるなんて、絶対に無理です。それぞれの作業過程にプロフェッショナルがいて、それがピタッとはまったことでプロジェクトが成功しました。このときの経験があるから、私はバスケの指導者になってからも、分からないときは知恵を持ってる人に聞けばいいし、失敗してもそこから学べばいいと思えるようになったんです。組織で勝つのが大切だということを、NKKで学びました」

東海大バスケ部は80人という大所帯なのになぜか結束力が強く、なぜか卒業して指導者やスタッフになる人材が異様に多く、進学を決めた要因として、なぜか陸川HCの人柄を挙げる選手が多い。これまで東海大に関して持っていたさまざまな「なぜ?」が、陸川HCの生きざまを聞くうち、するするとほどけていった。

40歳で退社、バスケの道へ

一大プロジェクトを成功させたのち、陸川HCは40歳で会社をやめた。活躍ぶりが認められ、本社勤務のオファーも聞こえてきたタイミングだった。

「自分の本心がささやくんですよ。『バスケはもういいのか? 』って、毎晩眠れないくらいに。孔子の『四十にして惑わず』という言葉がずっと頭の中にあって、40歳になったら自分の好きなことはできないんだという思いがあったので、やめるならここしかないなと。周りには『バカじゃないか』と言われましたけどね」

「多感な時期の学生たちにいい影響を与えて、いっぱしの男として送り出したい」。現役を引退したころから、いつかは大学生を教えてみたいという思いがあった。そんな折に、東海大が指導者を募集しているという話を聞いた。手を挙げると、選考を経て採用が決まった。退職後にコーチングを学ぶために留学していたアメリカから帰国し、2001年3月11日から東海大の指導に入った。折しも、陸川HCの誕生日だった。

当時の東海大は関東リーグの2部と3部を行き来しているチームだったが、能力の高い選手が多くて、高いポテンシャルを感じた。着任初日、陸川HCは茶髪にピアスの部員たちに向かって宣言する。「目標は1部リーグ、インカレ優勝だ」。それを聞いた選手たちのほとんどが、ポカンとした表情になったという。

2部の東海大に超高校級が5人も進学

潮目が大きく変わったのが、2年後の03年。188cmの長身ガード、石崎巧(現琉球ゴールデンキングス)や2m超ながら走れる竹内譲次(現アルバルク東京)、クレバーなシューター内海慎吾(現京都ハンナリーズ)など、U-18日本代表で活躍した選手が一挙に5人入ってくると、チームは大きく躍進した。これまでの実績が皆無の2部のチームに、これだけの超高校級プレーヤーがそろうのは異例のことだった。陸川HCは、ほほえみながらいきさつを話す。

2部と3部を行き来していたチームを、陸川HCがインカレで5度優勝する集団にした(写真は本人提供)

「世代のトップ選手を預かりたいという思いはありましたけど、どこかで『2部のチームには来てくれないだろうな』というあきらめもありました。ところが、インターハイの視察に行ったときに、筑波大を指導されていた日高哲朗先生(現千葉大教授)がこう言ったんです。『陸ちゃん、リクルートっていうのは自分がほしいと思った選手をとるものだよ』と。私は単純ですからすぐ感化されて、『ダメ元で譲次や石崎たちに声をかけよう』と考え、行動に移したんです」

陸川HCは「彼らがなぜ誘いに応じてくれたのかは、いまでもよく分からない」と話し、「驚いたし、よく来てくれたもんだ」と振り返る。ただ「低迷気味の日本の男子バスケを強くしたい。そのためにできることを一緒にやろう」という気持ちを、真摯(しんし)に伝えられたという手ごたえはあった。

私は石崎が大学1年生のときにインタビューしたことがある。そのとき彼は、東海大進学の理由について「陸川先生が自分を必要としてくれたから」と話していた。石崎の言い方では、5人はお互いに示し合わせて東海大に進学したわけではなさそうだった。陸川HCの熱い気持ちは一人ひとりに確かに伝わり、いまも続く東海大の“黄金時代”の基礎が築かれた。

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