ラグビー

連載:監督として生きる

明治を復活させた男 田中澄憲の考え(中)「チームが強くなる文化を」

大学選手権決勝の試合前、選手たちを見つめる田中監督 (撮影・斉藤健仁)

1月12日、ラグビーの大学選手権決勝。明治大(関東対抗戦Aグループ3位=4位扱い)が、天理大(関西Aリーグ1位)を22-17で下し、22シーズンぶり13度目の栄冠に輝いた。
明治を久々の優勝に導いたのは、前回優勝した1996年度のSH(スクラムハーフ)で、キャプテンも務めた田中澄憲監督(きよのり、43)。ヘッドコーチから昇格し、監督就任1シーズン目で母校を大学日本一に導いた舞台裏に迫るストーリーの2回目は、昨春からの大学日本一までの試行錯誤について。

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絶好調の春、波のあった秋冬

18年、田中新監督が率いる明治は快進撃を続ける。4月、東日本大学セブンズで優勝すると、春季大会でいきなり帝京を破り、全勝で初優勝した。春と夏の合宿で天理には負けたが、8月には帝京との再戦で再び白星を挙げ、秋の関東大学ラグビー対抗戦に突入した。

最初の強敵との対戦となった11月4日の慶應戦には24-28で敗れたが、11月18日には帝京に23-15で勝ち、春、夏、秋と帝京戦は3戦3勝。波に乗って迎えた12月2日の「早明戦」だったが、早稲田に27-31と敗戦。対抗戦では6勝1敗の帝京、早稲田の後塵(こうじん)を拝し、5勝2敗で慶應と3位で並んだが、直接対決で敗れているため4位扱いとなった。

昨年の秋から冬にかけての明治は、いいときと悪いときの差があるチームに見えた。ただ大学選手権の出場権は確保していたため、田中監督に焦りはなかった。「自分たちは正しい努力をしていたという自負がありました。骨のある練習もしていましたし、ひ弱なチームではないという自信もありました。あとは、個がチームのために責任を果たせば、大きな力になると思ってました」

そして、ここで田中監督が動く。早明戦の敗戦を受け、いつもは寮のリーダーグループの部屋に飾ってある故北島忠治元監督の写真を持ってきて選手たちに見せ、「誰だか知ってるか?」「有名な言葉は?」と問いかけた。選手は当然、北島元監督と「前へ」という言葉を知っていたが、田中監督はそれがどういう意味を持つかについて考えさせた。監督自身は「前へ」という言葉は「プレースタイルよりも、逃げないで進んでいく、生き方、哲学だと思ってます」と表現する。

選手から「オヤジ」と呼ばれた北島元監督との「ツーショット」 (撮影・斉藤健仁)

中華料理とスーパー銭湯で結束

田中監督はリーダーグループの4年生たちが、いろんなところで自分の意見を口にしていたのを目にしていた。肝心な戦いを前に、4年生がまとまりを欠いていた。PR(プロップ)の祝原涼介(4年、桐蔭学園)は田中監督のところに相談に来たという。福田キャプテンが「頼む、力を貸してくれ」と言えば終わる話だと感じていた田中監督は、4年生全員で話し合うことを提案した。

大学選手権の初戦となる3回戦の2日前、12月14日の夜、4年生21人が寮の近くの中華料理店でテーブルを囲み、スーパー銭湯に流れて、腹を割って話し合った。そこから4年生全員にリーダーシップを取る意識が強くなり、チームの雰囲気がガラッと変わったという。
「キャプテンも痛いことを言われて成長につながった。課題も一つずつクリアしてきた。この6週間でキャプテンもグッと魅力的になってきた。4年生同士が最後、大事な場面でまとまってきた」(田中監督)

昨シーズンの決勝ではメンバー入りしていたLOの土井暉仁(4年、常翔学園)は、大学選手権で対戦する相手のラインアウトを分析。練習では立命館、早稲田、天理を想定した仮想敵となり、メンバーのサポートに徹した。

また3軍、4軍にあたる「ルビコン」と呼ばれるチームの4年生たちも、決勝の前日まで朝練をしていた。もちろん彼らの目の前に試合はない。それでも4年生たちが中心となって練習をリードし、朝7時にもかかわらずLOの舟橋諒将(4年、札幌山の手)が、「バチーン」と激しいタックルを決めた。それを見た田中監督が振り返る。「学生スポーツには、効率ではどうにもならないエネルギーがある。これで決勝では勝つな、と思った」

そして迎えた天理との決勝。アナリストの喜多川俵多(ひょうた、4年、六甲学院)が作成したモチベーションビデオを試合前の控室で見て、福田キャプテンら4年生は感極まった。その映像には「日本一のBチームと練習してるんだから、必ず日本一になってほしい」というメンバー外の4年生の言葉があった。メンバーたちは彼らに見送られ、戦いの舞台へ出ていった。

こうして明治は今シーズン一番、田中監督が指導をしてきた2シーズンの中でも、最も素晴らしいパフォーマンスを発揮した。明治は22シーズンぶりの大学王者に返り咲いた。

ただ、田中監督は感情を露わにはしなかった。胴上げも「恥ずかしかった」と苦笑いする。「喜んでいる人がたくさんいたし、選手が喜んでいる姿を見てうれしいことはうれしいですけど、日本一になるために逆算して練習してきましたので、間違ってなかったという安心感の方が強かったですね」と、しみじみ語った。

大学日本一となり、小さな体が宙を舞った (撮影・谷本結利)

愛される集団に

今シーズンの明治のテーマは「史上最強ではなく最高、ベストなチームを作ろう」だった。ひとつの目標はもちろん日本一、優勝することだった。今シーズンから外国人枠が2人から3人になった中で勝つことは価値がある、と考えていたという。そしてもうひとつの目標が「チャンピオンチームにふさわしい、ファンやOBやOGといった人から愛される、誇りを持てる集団になろう」だった。

決勝の最後10分間ほどでディフェンスが乱れて2トライを奪われたシーンを振り返り、田中監督は「まだまだ宿題があります」と語った。そして「勝った部分では最高ですが、集団としてはまだ最高とは言えない。まだやることがいっぱいあります」と、先を見すえた。

田中監督はプロのコーチではなく、サントリーからの出向という形であり、いつか戻らなければいけない時期が来るだろう。ただOBでもある田中監督は、母校が強くなり、後輩たちの成長していく姿を目にすることが何よりの喜びであり、「明治ラグビー部が常に日本一を狙うチームとなり、誰が監督になってもチームが強くなる文化をつくるのが仕事」と言いきる。その信念を胸に、田中監督は次のシーズンへと向かう。

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