サッカー

連載:4years.のつづき

高3の11月に引退、そこから猛勉強で東大合格 おこしやす京都AC社長・添田隆司1

「史上2人目の東大卒Jリーガー」の添田さんは2018年より、おこしやす京都ACの代表取締役社長を務めている(写真提供・おこしやす京都AC)

今回の連載「4years.のつづき」は、東京大学卒業後にJ3だった藤枝MYFCに進み、史上2人目の東大卒Jリーガーとなった添田隆司さん(27)です。2017年に現役を引退し、翌18年にスポーツXの取締役と、関西リーグ1部に所属するおこしやす京都ACの代表取締役社長に就任しました。4回連載の初回は東大ア式蹴球部に入部するまでのお話です。

塾もいかず現役で東大へ、入学式で東大初のJリーガーになると決意した 久木田紳吾1

U-18への最後の出場枠をかけたPK戦

東京出身の添田さんがサッカーに出会ったのは幼稚園の時。通っていた幼稚園にサッカークラブがあり、習い事のひとつとして週数回、友だちと一緒にサッカーを楽しんでいた。

小学校は全国屈指の進学校である筑波大学附属小学校(東京)へ。小学生になってからは同じサッカークラブの選抜チーム・横浜バディーFC(現・バディーFC)に移り、サッカーを継続。横浜市で3連覇を果たした。小6の時に強豪チームのあざみ野F.C.に勝ったことは今でもよく覚えている。同学年には高木善朗(現・アルビレックス新潟)がいたチームだった。当時を振り返り、「子供心に『夢はサッカー選手』と言っていました。サッカーは楽しかったですし、高いレベルでやりたいなという感じだったと思います」と添田さんは言う。

附属中学校に上がってからはBANFF横浜ベイ(現・BANFF横浜FC戸塚)で、附属高校では横河武蔵野FCユース(現・東京武蔵野FC)でプレーし、高2の時にはクラブユース選手権(U-18)へ13年ぶり2回目の出場を果たしている。その最後の関東代表枠をかけた浦和レッズユース戦に添田さんは残り5分でピッチに送られ、試合はPK戦にまでもつれた。添田さんは8人目のキッカー。自分は蹴らないだろうと思っていたら、なんと順番がめぐってきた。先攻が決め、後攻の自分が外したら負ける。ボールを蹴る瞬間に脚が滑ってしまった状態でシュート。「人生終わった!」と覚悟したが、なんとかシュートは決まり、次のキッカーで勝負がついた。Jリーグのユースチームを相手にしての下克上。「その試合はどこかで達成できないのではと思っていた目標が達成できた瞬間で、印象に残っています」

高2の時に経験した浦和レッズユース戦は、添田さんにとって記憶に残る一戦になった(写真は本人提供)

8番手には8番手の戦い方・鍛え方がある

高校時代、チームのひとつ上にはプロを目指す選手がいたが、同学年には明確にプロを目指している選手はおらず、添田さんもそうだった。中2の時になんとなく現実が見えてしまったという。

「小6になるまでずっと公式戦に出られていませんでした。中学校はすごく強いチームではなかったんですけど、学年で3~5番手くらいのうまさだったと思います。当時は自分なりに試行錯誤して一生懸命練習していたんですけど……。高校はレベルの高いチームに入ったので、2年生でかろうじて試合に出してもらえるかどうか、3年生になっても技術的なうまさは変わらず、8番手くらいで試合に出ている感じでした」

だからこそどうすれば試合に出られるのか、より成長するためにどうしたらいいのか、添田さんは試行錯誤を繰り返してきた。その中でたどり着いたのは「8番手には8番手なりの戦い方がある」ということだった。「サッカーのようなチームスポーツでは、うまさ的に1番手でなく8番手でも、チームで一番重要な存在になりえるものだと思うので、そんな経験ができたことはすごく貴重でした。むしろうまい方ではなかったから学べたことだったのかなと思っています」

引退してから1日14~15時間勉強、センターで9割以上を獲得

小中高と全国屈指の進学校で学び、サッカーに情熱を注ぐ日々。勉強とサッカーを両立する難しさがあったのではとたずねると、「小さい頃からサッカーと勉強が自然に身の回りにあったので、そんなもんだと思って生きてきました」と添田さんは答える。東大を目指すようになったのは高2の冬、センター試験同日模試がきっかけだった。いい点がとれたからではなく、あまりよくなかったことが刺激になった。

「1番を目指していたら、万一駄目でもいい感じのところにいけるんじゃないかな、目線を高く上げた方がいいんじゃないかな、と思ったのが東大を目指した理由です。ただ今振り返ると、日本の大学しか選択肢になかったのが当時の自分の残念なところだとも思います」

まずは現代文だけ塾に通い、得意の暗記系は移動の電車の中でこなした。高3になってもサッカー中心の生活を続け、時間に余裕があった夏休みは勉強に比重を置いた。最後の試合は11月、Jユースカップ関東予選での三菱養和戦だった。添田さんはこの試合でゴールを決めたが、最後はPK戦で敗れた。「もし全国大会に出ていたら12月や1月にも試合がありましたから、東大には落ちていたかもしれません」と添田さんは笑いながら明かした。

センター試験の直前になっても、模試で8割に届いていなかった。東大を目指すのであれば、もっと早いタイミングで引退してもよかっただろう。しかし添田さんには、受験に備えてサッカーをやめるという気持ちはなかったという。

サッカーを引退してからは受験勉強に本腰を入れ、1日14~15時間、机に向かった。最後の追い込みでセンター試験本番では9割以上を獲得。東大文科二類に現役合格を果たした。

添田さんはサッカー人生最後のステージと思いながら、東大ア式蹴球部に入部した(写真は本人提供)

東大ア式蹴球部に入ることは先に決めていた。横河武蔵野FCユースの3つ上の先輩に東大ア式蹴球部へ進んだ人がおり、その人の話を聞いて「ここだったら思い切ってサッカーができるんじゃないか」と思ってのことだった。プロサッカー選手になる夢は中2の時に砕かれた。これまで8番手の選手としてプレーしてきた自分だが、東大なら1番手になれるんじゃないか。最後は自分がやりたいようにサッカーをしたい。

「これが最後だ」。そう思い、東大ア式蹴球部の門をたたいた。

4years.のつづき

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