陸上・駅伝

東海大・市村朋樹が大学初の10000mで学内歴代3位 実力を示すラストイヤーに

市村は大学に入って初めての10000mで、自分でも予想外の好タイムで走れた(c)IUAUJ

日本学連10000m記録会

4月10日@日本体育大学横浜・健志台キャンパス陸上競技場
6着(学生3着) 市村朋樹(東海大学) 28分03秒37

4月10日に日体大横浜健志台キャンパスで日本学連10000m記録会があり、東海大学の市村朋樹(4年、埼玉栄)が28分03秒37で全体6着、学生では早稲田大の井川龍人(3年、九州学院)、駒澤大の鈴木芽吹(2年、佐久長聖)に次ぐ3着に入った。大学ラストイヤーを迎えた市村に、レースの振り返りと今後の目標について聞いた。

4年目にして10000m初レース

市村が10000mのレースを走るのは、大学4年目にして初めてだった。前回10000mを走ったのは埼玉栄高3年時の6月で、30分28秒03。「でもその時も大学生のペースについていって出た記録で、『レース感覚』という感じはなかったです。今回が実質的には初めての10000mのレースという感じです」と話す。これまでも何回か10000mのレースに出ようとしていたが、そのタイミングでけがをしたりと、なぜか縁がなかった。

市村自身は経験がないこともあり、スタート前には「出せて28分30秒程度だろう」と思っていた。タイムを狙うというよりは、5000mまで理想は13分台、最低でも14分10秒を切るように走ろうと決めてスタートした。ペースメーカーがつき、1000m2分48秒ペースで引いた。

5000mの通過は14分04秒。思ったより余裕を持って走れている自分に気づいた。そのあと3000mで苦しくなるかと思ったら、変わらずに走れた。最後の2000mも大きく落ち込まずにいけた。ラスト1周になって、鈴木よりも早く前に出てスパートしたが、持たなくて最後に離された。

最後一周はスパートを早くかけてしまい、鈴木(15番)に置いていかれた(c)IUAUJ

「あとから考えたら、焦らないで耐えて得意な(残り)300m、200mぐらいで(スパートを)かければもっといい結果になったと思うんですが、判断ミスだったと思います」と振り返る。ラストの直線ではじめてゴール横のタイマーを見て、予想外の良い記録だと気づいた。28分03秒37は村澤明伸、佐藤悠基(ともに現・SGホールディングス)に次ぐ東海大学歴代3位のタイムだった。

「記録を狙っていたわけじゃなかったので、ちゃんと課題を見つけられたレースだったと思います」。市村は練習でもロードレースでも10km以上の距離は走っているが、トラックレースの10000mのスピード、駆け引きは5000mとはまた違うなと感じたという。

大学の集大成として、5000mで結果を残す

もともと今年は、5000mでしっかり勝負したいという思いがあり、それを両角速監督にも伝えていた。高校時代の5000mの自己ベストは14分24秒台。大学に入ってから大きく記録が伸び始め、スピード力、スプリント力もついた。今の5000mの自己ベストは13分48秒35だが、申込資格記録(13分40秒)を突破し、日本選手権に出る実力がついてきたという手応えがある。

「大学での集大成として、5000mで目に見えた結果を残していきたいと思いました」と意気込みを語る。そのため今回は日本選手権10000mの資格記録(28分16秒)を突破したが、5月3日のレースには出ず、翌日のゴールデンゲームズinのべおかの5000mに出場してタイムを狙うつもりだ。

焦りから苦しんだ駅伝シーズン、「申し訳なさ」も

昨年9月の取材で「トラックでも駅伝でもしっかり活躍したい」と話していた市村だが、駅伝シーズンは苦しい結果に終わった。全日本大学駅伝では実力あるスピードタイプのランナーが数多く配置された2区にエントリー。上位での襷(たすき)渡しを期待されていたが、5kmを過ぎたところで遅れはじめて区間19位に沈み、全体の順位も7位から17位へと落としてしまった。

体調が悪かったのですか?と聞くと、「まったくそんなことはなくて、自信を持って区間賞を取るぞという気持ちでした」という。だが、あとから考えると、いつもはレース前に考える「このままで大丈夫か」「もっとできることがあるんじゃないか」という気持ちが一切なかったと思い返す。「根拠のない自信を抱えていたというか、いつもの自分じゃない考え方をずっとしていました。今思うと焦っていたのかなと。それが走りにも出てしまったのかなと思います」。昨年は特に出られるレースが少なかった。数少ないチャンスで結果を出そうと焦っていたのだろうと自分自身を分析する。

箱根駅伝で3区石原(左)は区間賞の活躍だったが、4区の佐伯が苦しい走りになった(撮影・北川直樹)

トラックシーズンでは1500mで日本インカレにも出場していたため、走り込みが足りなかったことを監督、コーチからも指摘された。全日本大学駅伝が終わってからは、箱根駅伝こそはと思いとにかく走り込んだ。その思いが空回りしてしまい、走り込みすぎて12月の中旬に右足の大腿骨を疲労骨折してしまったことがわかった。16人のエントリーメンバーには入っていたが、走れないことを隠しながらレースまで過ごした。箱根駅伝当日は4区10km地点で佐伯陽生(当時1年、伊賀白鳳)、9区14km地点で長田駿佑(当時3年、東海大札幌)の給水を務めた。チームに対して感じたのは「申し訳なさ」だった。

「4区の佐伯が大ブレーキ(区間19位)してしまって。あとから両角先生の取材の話を読んだりしたら、僕がもしかしたら1区というつもりで考えていたのかなと思いました。僕が1区を走れていたら、4区に塩澤さん(稀夕、現・富士通)を持ってきて安定した走りができて、佐伯が復路にまわってもっといい走りができたんじゃないかなとも考えました。もっと自己管理しっかりしなきゃ、できるようにならなきゃなと思いました」

地道な取り組みが結果としてあらわれ始めた

1月中旬ごろからは足も治り、まずは練習に耐えられる足づくりを意識してジョグを中心に練習を再開した。3月は学生ハーフマラソンに出場し、その後トラックを意識した練習に切り替えている。学生ハーフでは故障明けで練習が積めていないながらも1時間04分22秒で全体の25位だった。強風というより暴風が吹き付け、追い風では1km2分47秒にもなったりする状況に「インターバルなのかな? と思うぐらい特殊だった」と笑いながら振り返る。「速さだけじゃなく強さも求められる状況で、まあまあの結果を残せたので。あれはあれでいい機会だったかなと思います」

ハーフマラソン、今回の10000mと、スピードももちろんですが距離に対する強さも身についてきているのでは? とたずねてみると、「両角先生が今年は新しく変えていくと言っていて、その結果が僕も含めて出てきているのかなと思います。長い目で見たら長い距離に対応できる走りができてきているのかなと思います」と取り組みの成果を口にする。

地に足をつけた目標で、自分たちらしく

昨年度は塩澤、名取燎太(現・コニカミノルタ)、西田壮志(現・トヨタ自動車)の「3本柱」がチームをけん引していた。自分たちの代が4年生になり、どんなチームにしていきたいという思いはあるだろうか。「今年のチームの目標は、3大駅伝3位以内です。例年に比べると見劣りするのかもしれませんが、良く言えば『背伸びをしない』目標だと思います。地に足をつけて、自分たちのペースで3大駅伝に向かっていければと思います」。いまは就職活動で4年生の大半が寮を離れているが、チームの雰囲気は明るく元気だと教えてくれた。

3月の学生ハーフでは故障明け、厳しい気象条件でまずまずの結果。「強さ」も手に入れつつある(撮影・藤井みさ)

自分たちの代は他の代に比べて「静か」だという市村。後輩たちがパワフルなので、その勢いに押されがちだと苦笑する。「発言力という点では僕は役に立たないので、今回みたいな結果で後輩たちに道を示してあげればいいかなと思っています。これからも後輩たちに恥ずかしい結果を見せないような走りをしていきたいです」と上級生らしい覚悟もにじませる。

昨年度、チーム内ではルーキーの石原翔太郎(倉敷)の活躍が目覚ましかった。市村も石原のことを、レースでも練習でも思い切りのある選手だと評価する。「ただ、去年の活躍で『東海のエースは石原だ』って注目が集まりすぎて、ちょっとプレッシャーを背負わせてしまっているところもあるなと思っていて。先輩としてその負担を肩代わりしてあげたいなと思います」

市村の個人としての目標は、5000mで関東インカレ、日本インカレ入賞。そして日本選手権出場だ。駅伝では箱根のような長い距離にはまだ少し不安があるといいつつ、「出雲、全日本は区間賞を狙います。箱根はどの区間でもいいので、最後ぐらいは一矢報いるような走りができたらいいと思います」とラストイヤーへの思いを語ってくれた。

東海大学の中心選手としての活躍が期待される市村。トラックでも駅伝でも結果を残し、集大成の1年とすることができるか。

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