アメフト

京都大学の泉岳斗 本場仕込みのオールラウンダー「早く日本で一番のQBに」

京都大学のQB泉岳斗。今出川ボウルで70ydのロングゲインをみせた(撮影・全て篠原大輔)

今出川ボウル

4月24日@京都・宝が池球技場
京都大 28-10 同志社大

開催できた今出川ボウル

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で京阪神に緊急事態宣言が出て、4月25日から予定されていた関西学生アメリカンフットボールリーグの春のオープン戦は中止または延期となった。その前のギリギリのタイミングで、1部校同士の対戦が1試合だけ実現した。ともに京都の今出川通り沿いにキャンパスがあることから「今出川ボウル」と名付けられた京都大学と同志社大学の一戦。京大が勝ったこのゲームで、ギャングスターズ期待のQB泉岳斗(がくと、2年、都立西)が輝いた。

今出川ボウルに勝ち、「京同釜」を手にした京大主将のDL渡部大智(右)

京大は昨シーズンからOL(オフェンスライン)のスターターが5人中4人抜けた。コロナ禍で練習時間が限定されることや、今年の1月から水野彌一元監督(京都両洋高ヘッドコーチ)が指導に訪れるようになったこともあり、原点回帰してIフォーメーションからのオプションプレーに取り組んでいる。この日もOL同士の間隔を大きく開き、シンプルなブロッキングで中央のダイブプレーから入っていった。

途中出場、70ydのビッグラン

経験豊富な先発QBの中畑尚大(しょうた、4年、高槻)が最初のシリーズから3連続タッチダウン(TD)につなげる。21-0となった第2クオーター(Q)の途中から、17番の泉がフィールドへ入ってきた。まずRBを走らせ、次に短いパスを決める。自陣21ydからの第3ダウン3yd。右へのオプションプレーだった。「ほぼ、僕が持って走る展開になるプレーで、DL(ディフェンスライン)の付き方を見て『おいしいな』と思いました」と泉。

プレーが始まると、泉は自分のすぐ後ろから走り込んできたRBにボールを手渡す動きから、抜く。タックルに来たLB(ラインバッカー)に対し、外へ走るフェイクをして反応させ、内寄りのコースを駆け上がる。味方のナイスブロックもあり、DB(ディフェンスバック)を内にかわすと前が開けた。チーム一の40yd走4秒75の俊足で、右サイドライン際を駆け上がる。追いすがるDBのタックルをふりほどき、さらに前へ。ゴール前9ydでタックルされると、泉は「あーーっ」と叫んだ。タックラーの肩を「ナイスタックル」とばかりにポンとたたいたあと、空を仰いでまた悔しがった。

泉はTDまで走りきれず、相手タックラーの肩をたたいた

70ydのビッグランで波に乗っていくかと思われたが、甘くない。OLの真ん中にいるC(センター)からのスナップが合わず、ファンブルして後退。ラン、パスと繰り出したがエンドゾーンは遠く、FG(フィールドゴール)も失敗に終わった。21-3で迎えた後半最初のシリーズは素早いリリースから鋭いパスを通して攻め込み、RB阪本平(4年、桐光学園)のこの日二つ目のTDにつなげた。次のシリーズは得点できず、あとは再び出てきた中畑がオフェンスを率いた。

冷静な中畑とのスターター争い

泉はこの日、4回のランで81yd、パスは9回投げて4回成功で36yd進めた。中畑は13回投げて9回のパスを通し、39ydのTDパスも決めた。京大の三輪誠司ヘッドコーチはQBのスターター争いについて「中畑は落ち着いてできてましたし、泉の走りは迫力が違う。まだまだ決めきれないです」と話す。泉はこう振り返った。「練習と試合はぜんぜん違う。息を合わせていつも通りできるようになるには時間がかかります。だからたくさん試合がしたい。試合で見せないと。勝つことプラス、ほかのチームに『京大にはこういう選手がいる』と見せつけたかった。もっと上げていかないと」

6度の学生日本一に4度のライスボウル制覇の実績がある京大だが、1996年のシーズンを最後に関西学生リーグの優勝からも遠ざかり、すっかり「古豪」と呼ばれる存在になってしまった。そこへ昨春、京大生としては異質のフットボールキャリアを持つ泉が加わった。

1983年12月、初めて大学日本一になって喜ぶ京大の選手たち(撮影・朝日新聞社)

小3で渡米、テニスやスノボも

東京都大田区で生まれ、父の仕事の関係で小学校3年生のときに海を渡る。アメリカ北東部ペンシルベニア州南部のヨークで暮らし始めた。この州にはNFLのチームがスティーラーズとイーグルスの二つあり、泉は「近所の人たちはみんなアメフト愛が強かった」と話す。ラグビー好きの父の影響で日本では大きめの楕円球に親しんでいた泉も、放課後や休日に仲間たちと公園でアメフト遊びをやるうち、このアメリカの国技ともいえるスポーツをやってみたくなった。父に頼んで小5のときにチームに入ると、遊びの段階で投げるのが得意になっていたこともありQBになった。「2年間は苦労しました。いきなりQBだったので言葉の壁もあって」と泉。そのころから、投げるだけでなく自分で走るのも好きだった。

中学校のチームでもQBで、WRの仲間たちとはとくに仲がよかった。だから中2の途中で帰国することになったときは嫌だった。「あのままみんなとアメフトを続けたかった。でもどこかのタイミングで日本に帰るのは分かってたし、ずっと楽しくやってきたアメフトを生かして日本で活躍できるんじゃないかと思いました」。アメリカ時代はアメフト以外にもテニスやスノーボードにも取り組んだ。下半身が強く、切り返しの動きが得意なのは他競技の経験も大きいのかもしれない。

工学部建築学科に現役合格

都内の中学校に通いながら、クラブチームの「世田谷ブルーサンダース」に入った。アメリカに比べるとプレーのスピードが遅く、選手の体格も小さい。少し余裕を持ってプレーできた。このチームでまた、アメフトが大好きになった。進学先に都立西高を選ぶ際のキーワードは「自由」だった。この時点で、大学は校風が似ている京大へ進むことも頭の中にあった。西高のアメフト部でQBとして投げて走ってチームを引っ張り、京大や東大のアメフト部から勧誘を受けるようになった。「東大もありかな」と思った時期もあったが、京大には西高の先輩が多い。「また一緒にやってみたい」と第一志望に決めた。二次試験の出願に際して京大工学部は第2希望まで学科名を選べる。泉は情報学科、建築学科の順に書き、1点足りずに情報学科には入れなかったものの、見事に建築学科に現役合格した。

小学5年からQBとしてのキャリアを積んできた

「秋にはQBの一本目を取ろう」と意欲満々で京都へやってきたが、コロナ禍に見舞われる。いくら能力が高いQBでも、新たなチームのオフェンスを理解しないと戦えない。思うように練習ができず、トーナメント形式で戦うことになった秋のシーズンを任せてもらえるほどの信頼は勝ち取れなかった。「思い描いていたのとは違う1年間になりました」

一方で、ただ者ではないところもしっかり示した。QBデビューとなった昨秋の交流戦の桃山学院大戦。第3Qに出てきて、最初のプレーで51ydのTDランを決めた。タテへグンと加速し、最後のタックルに対して足を上げて外す。速くてなめらかな一連の動きは、ほとんどがアメフト未経験である従来の京大の1回生像とはかけ離れたものだった。54ydのTDパスも決めた。

もっと速く、もっと強く

この秋に向けて、心に決めている。「完全にリーグのトップレベルで通用する状態をつくりたい。京大のQBとして、京大の代表として、自信を持って戦いたいです。京大のQBは泉だ、と言われるようになります。早く日本で一番と言われるQBになりたい。ここまでアメフトをやってきたので、日本一をとらないといけないと思ってます。4回生の時点で日本一、とは思いません。今日、明日にでもなりたい。今年の秋には日本一うまいQBになっていたい」。まっすぐな思いが言葉になって、どんどん出てくる。

「自由」をキーワードに都立西高から京大へ。「古豪」脱却を誓う

いま身長178cm、体重87kg。このガッチリ体形で40ydを前述のように4秒75で走る。「4秒6は出したいと思ってます。今日も独走になったのに追いつかれてしまったんで」と泉。まだまだ足が速くなるような筋力トレーニングのメニューを組んでもらい、日々取り組んでいるところだという。

泉にとって理想のQBはどんな選手か尋ねた。「走ることも、パスも、もれてきた相手をかわして時間を稼ぐこともできるQBでありたいです。オールラウンドを目指してます」。京大復活の夢を背負う男は、コロナ禍でも一歩一歩前へ進んでいく。

勝った京大に贈られた「京同釜」とは 1947年、京大の創部時、40年創部の同志社大から防具などの貸与や「協力」があり、同じ釜の飯を食った仲という意味で釜が贈られたことに由来。両大学の頭文字を取り「京同釜」と名付けられた。現在のものは2005年に復元され、毎年、両校の友情の証として、今出川ボウルなどの対戦でセレモニーがあり、勝利校が釜を持ち帰る。昨年は今出川ボウルは中止、秋の対戦で勝った京大が保持していた。

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