「もっと強くならないといけない」 中央大・吉居大和が思い描く“青写真”
昨年、学生長距離界にまた一人、期待の星が現れた。男子5000mのU20日本記録保持者、吉居大和(2年、仙台育英)である。仙台育英から中央大学に進学すると、ホクレンでのU20日本新の衝撃デビュー、日本インカレ制覇、日本選手権では学生ながら3位と、その快進撃は枚挙にいとまがない。そんな学生長距離界のホープは、ルーキーイヤーをどう捉えたのか。そして、大学2年目で思い描く未来とは──。
日本新2回はうれしい“誤算”
衝撃的なデビューだった。13分55秒10と同世代でもトップクラスの記録を持ち中大に進学した吉居は、入寮時に1年目の目標のひとつとして「13分40秒切り」を挙げた。そして、そのわずか数カ月後に脅威の走りを見せることになる。
吉居は、大学初レースとしてホクレン・ディスタンスチャレンジの深川大会(7月8日)と千歳大会(同18日)にエントリーした。深川大会では13分38秒79をマークし、いきなり目標の“13分40秒切り”を達成すると、千歳大会では積極的にレースを進め13分28秒31でフィニッシュ。佐藤悠基(当時東海大1年、現SGホールディングス)が持っていた5000mのU20日本記録(13分31秒72)を15年ぶりに更新し、12月に行われる日本選手権への切符もつかんだ。この鮮烈なデビューは、吉居の走りをさらに勢いづけることになる。
9月の日本インカレでは「圧巻です!」と実況も唸(うな)る走りで初制覇した吉居は、その後12月に行われた日本選手権の舞台でも実力を発揮した。
オリンピック選考も兼ねた大会らしく、坂東悠汰(富士通)や松枝博輝(富士通)らトップ選手との争いとなった大会。吉居は中盤で一時、日本人トップに躍り出るなど「前に前に」を意識した走りを貫いた。結果は13分25秒87で3位入賞。U20日本記録である自己記録を更新した。「正直5000mで日本選手権3位であったり、U20の記録を2回も更新することができるとは思っていなくて、良くて1回更新できたらすごくいいと思っていました」
自身では“予想外"だったという3位入賞を果たした吉居。日本選手権男子5000mで3位入賞した学生選手は、近年では第98回(2014年)2位の村山紘太(当時城西大4年、現・GMO)、第95回(2011年)3位の鎧坂哲哉(当時明大4年、現・旭化成)、第92回(2008年)2位の竹澤健介氏(当時早大4年、現・大阪経大陸上競技部長距離ブロックヘッドコーチ)と、オリンピック出場や学生記録などのそうそうたる成績を残してきたレジェンドたちである。しかも、いずれも4年時に残した成績に吉居は1年生ながら肩を並べた。
「自分のレベルが上がったことで目指すものも上がったので、それに向けてもっとやっていかないといけないことがたくさんあると思った1年でした」。「5000mで結果を残すことができてうれしい」という一方で、自分の目指すものがより高くなった1年だったという。それは箱根駅伝の経験からも感じたのかもしれない。
苦しめられた初めての箱根路
「箱根駅伝でもっと活躍したかったなという思いがあったので、5000mが思った以上にうまくいった分、20km近くの距離に関してはまだ対応しきれなかったかなと思います」。5000mの目覚ましい活躍の一方で、より長い距離への対応が課題となった。
10月の予選会では初めてのハーフを61分台にまとめ、自信につながる走りをした吉居だったが、コロナ禍の影響で変則的な日程を余儀なくされた日本選手権は、箱根駅伝にも影響した。日本選手権を終え、1週間ほど経ったタイミングで3区への起用を告げられ、ロードで約20kmの距離を1カ月もない期間での調整となった。
年が明け、迎えた本番。吉居は2区の森凪也(現・4年、福大大濠)から総合18位で襷を受けると「自分ができるだけ順位を上げよう」と意識した。しかし、前半からなかなか思うように突っ込むことができない。終盤にかけて足が言うことを聞かなくなってしまった。
平塚で待つ4区の三須健乃介(4年、現・JR東日本)は吉居を見るや「良くやった。オッケー、オッケー。大丈夫、大丈夫」と声を掛け、手を振った。吉居は何とか真紅の襷(たすき)を三須に繋(つな)げると、その場に倒れこみ、人目もはばからず涙を流した。「本当に悔しいです。来年しっかりとリベンジできるように、個人としてもチームとしてももっと強くなれるように頑張ります」。初めての箱根路は吉居にその苦しさ、難しさを教えた。
米国遠征で気付かされたトップレベルとの“差”
箱根駅伝を終え、2月に入ると、吉居は森とともにアメリカのプロクラブの練習に参加した。過去には舟津彰馬(現・九電工)らが参加した、毎年中大が行っているプログラムである。吉居にとっては初めての海外遠征となったが「質の高いトレーニングがたくさんありました」というように、さすがはプロクラブといった設備や練習環境で3カ月弱の経験を積んだ。
遠藤日向(住友電工)や海外のトップレベルの選手と練習をともにした吉居は「まだまだ自分のレベルでは、世界の大会に出場することだったり、結果を残すにはたくさんやることがあるんだと感じました」と、世界と戦う選手から刺激を受けると同時に、その差に気付かされた。
「誰にも負けたくない」 “黄金世代”のひとりとして
吉居と同じ2001年度生まれの選手たちは、まさに“黄金世代"である。今年度20歳を迎える彼らは、様々な種目で日本トップレベルの成績を残している。
今月に入り、駒澤大学の鈴木芽吹(佐久長聖)が日本選手権10000mで3位に入賞すると、箱根駅伝の予選会で競り合った順天堂大学の三浦龍司(洛南)は東京オリンピックテスト大会であるREADY STEADY TOKYOで3000mSCの日本記録を打ち立てた。箱根駅伝で同じ3区を走り区間賞に輝いた東海大学の石原翔太郎(倉敷)は、日体大記録会で吉居が持つ5000mのU20日本記録に次ぐ13分30秒98をマークした。
「同世代の選手には誰にも負けたくないというのはもちろんありますし、これからオリンピックなどを狙っていくとなると、今の自分の世代よりも上の世代の人たちと戦っていくことになるので、今は大学内でしっかりトップを取れるようにしたいと思っています」
吉居にとってコロナ禍はマイナス面ばかりではない。日本選手権で3位に入ったこともあり「少しチャンスとして見えてきた部分があるので、狙える位置までは来たんじゃないかなと思う」と語る。「結果出られなかったとしてもしっかり狙っていきたい」と話す吉居は、今季のトラックの目標を「東京オリンピック出場」に置いた。「(マイナス面を)プラスに変えていければと思っています」。コロナ禍をポジティブに捉え、まずは来月の日本選手権に照準を合わせていく。
「もっと強くならないといけない」 大学2年目の現在地
今季国内レース初戦となった5月9日のREADY STEADY TOKYOでは14分20秒53で最下位に沈んだ。帰国直前のレースでも「自分の思っていたような走りができなかった」と、今季は昨季と対照的に難しいスタートとなった。しかし、吉居は「(アメリカ遠征では)質の高いトレーニングをしていた分、疲労のコントロールが難しかったかなと思います」というように自身の課題を明確にしている。ここから徐々に復調の兆しを見せてくれるだろう。
取材の最後に自分の現在地をどう捉えているかを聞いた。
「将来の目標からすると、まだまだ低いレベルなのかなと思っています。まずは13分13秒50というオリンピックの参加標準記録がありますし、世界にはそのタイムを切っている選手が何人もいて、もっと強くならないといけないと思うので、まだまだこれから成長していきたいなという風に思います」
現状に満足はない。「もっと強く」なった吉居は学生長距離界、そして日本長距離界を引っ張っていく存在になるだろう。