野球

日本一へ導いた慶大の堀井哲也監督 「大胆かつ細心」な采配生む驚きの記憶力

慶大を34年ぶりに日本一に導いた堀井哲也監督。ウィニングボールを手に記念撮影に収まる(撮影・全て朝日新聞社)

70回の記念大会を迎えた全日本大学野球選手権で、慶應義塾大学が34年ぶり4度目の日本一を決めた。社会人野球から大学の世界へ飛び込んで2シーズン目の堀井哲也監督(59)は「普段のリーグ戦とは違って、負けたら終わりの世界。選手たちはよくやってくれた。感無量です」と福井章吾主将(4年、大阪桐蔭)からもらったウィニングボールを握り締めた。

「エンジョイベースボール」の精神で 慶應義塾大野球部・堀井哲也新監督(上)
「4年生力」を引き出し秋春連覇を 慶應義塾大野球部・堀井哲也新監督(下)

1年生の抜てきや打順変更

「大胆かつ細心」。これが戦いに挑む上での堀井監督のモットーである。それは選手起用にも表れる。この大会の初戦。和歌山大との2回戦で、いきなりトップバッターにリーグ経験のない1年生の本間颯太朗(慶應義塾)を抜擢した。「フレッシュリーグ(新人戦)でいい活躍をしていましたから」

決勝の福井工業大戦では、調子が上がってきたと見るや、準決勝で8番だった指名打者の北村謙介(3年、東筑)を5番に上げ、北村は3安打と期待に応えた。

指名打者の北村は決勝で5番に座り3安打した

その時々で一番状態のいい選手を使う。これは三菱自動車岡崎でのコーチ、監督、JR東日本での監督経験から学んだことである。そのためには、日ごろから選手を観察し続ける。気がついたことは、その場ですぐにメモをとる。社会人時代からの手帳は59冊目、慶大に来てからの大学ノートは7冊目になった。「併用して使っているんですが、いつもバッグに入れています」

鋭い観察力と練習の虫

堀井監督の観察力はすさまじい。朝練のある日は6時にグラウンドへやってきて、午前の練習を終え、昼食中でも選手たちを見続けている。「妻の作ったおにぎりなんかを立ったまま食べています。とにかく選手を見たい、ということです」。グラウンドを引き揚げるのは、だいたい選手がいなくなってからだ。

決勝の一回、先制本塁打の正木(中央)が戻りベンチが盛り上がる中、堀井監督はグラウンドをみつめていた

現役時代から、グラウンドが「大好き」だった。誰よりも居残ってティー打撃などの個人練習に打ち込んでいた。チームメートからの評は「練習の虫」、「努力の人」、「大胆、それでいて意外と繊細」。当時、同期で中軸を任されていた芝田俊之さんは言う。「ぼくがちょっとグリップの位置が下がっているんじゃないかと指摘したら、すぐさまグラウンドへ行ってバットを振り込んでいました。夜中の2時ぐらいまでやっていたんじゃないかな」

2年生の秋の明治大戦で神宮デビューを代打で果たすが、三振。3年春の明大戦でも代打で出場するが、キャッチャーフライ。開眼したのは、4年春のシーズン前に行われたアメリカ遠征の時だった。「ノースリッジ大との試合前の打撃練習で外野深くまで打球を飛ばし、DH(指名打者)で使ってもらえるようになりました」。そして春のリーグ戦、早慶3回戦で「6番左翼」で初のスタメンに起用される。一回1死満塁で打席が回り、走者一掃の右越え二塁打を放つ。この活躍で秋からレギュラーの座を獲得していく。そんな遅咲きの苦労人であるがゆえ、控え選手の気持ちも手に取るようにわかるのだろう。

約200校の校歌そらんじる

記憶力がいい。小学校時代からテレビで見た甲子園の常連校の校歌はすぐに覚え、今でも口ずさむ。「日大三とか桐蔭学園、広島商、津久見……。今なら200校ぐらい歌えます」。こんなことがあった。マネージャーの関根徳也(2年、明秀日立)に「自分の高校の校歌を歌ってみろ」と言ったところ関根は1番の歌詞しか歌えなかった。そこで堀井監督は「オレは知っているぞ」と2番、3番の歌詞まで歌い上げたという。

表彰式後、観客席へあいさつする堀井監督

自身の現役時代の成績もすべて覚えている。しかも配球までもというから驚きだ。「初スタメンの春の早慶3回戦と秋の早慶2回戦。いずれも走者一掃の二塁打を打ちましたが、1球目は外のシュート気味の球。2球目の打った球はインハイのスライダー。投手はともに岩下(雅人)君でした」。一番うれしかったというのは、立教大2回戦の3点本塁打だ。「あれは、七回。窪田(雅也)君の初球。真ん中高めのボール球でした」とスラスラと答えが返ってくる。

これが自分のことだけではなく、今の選手たちにも反映されているから、もはや監督の頭脳がデータブックの役割を果たしているのかもしれない。

データといえば、選手の成績ばかりか、その選手がどんな環境で野球と向き合ってきたかも頭にいれている。「出身校を見れば、どういうグラウンドでどういう指導者のもとで育ってきたのか、その選手のバックグラウンドが大体わかります」。ただ、それだけでは先入観もあるだろうから、伸び代を楽しみながら、今の姿も徹底的に観察するのである。

福井主将がみせた本気

昨秋のリーグ戦。あとアウト一つを取れば優勝という場面で早稲田大に逆転負けを喫した。翌日から行われた新人戦を観戦したあと、神宮近くの喫茶店で福井主将と2人きりで話し合った。福井は心の内を堀井監督にぶつけた。「もう少し、練習をしたほうがいいかと……」。実は堀井監督はその言葉を待っていた。「彼は大阪桐蔭という厳しい世界での野球を経験している。彼の口から言ったということは、すべての取り組みに対して『本気度』というものが全然違ってくる」。その後慶大は、春のリーグ優勝、そして「大学日本一」と突き進んでいったのである。

大阪桐蔭高でも主将を務め高いリーダーシップがある福井

「選手が成長していく姿を見るのが、楽しくもあり、うれしいんです。植木に水をやるように日々観察して、大きく育てていくといった感じでしょうか」

優勝を決めた翌日の6月14日、東京・五反田にある桐ヶ谷斎場で、堀井監督が現役時代、助監督として指導を受けた綿田博人さんの告別式があった。春のリーグ戦優勝後、天皇杯を持ってお見舞いに行ったばかりだった。遺影に手を合わせ、「日本一」を報告。「大胆かつ細心」の信念を胸に、これからもグラウンドに立ち続ける。

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