ラグビー

静岡ブルーレヴズ・山谷拓志新社長、「ラグビーの価値を届けたい」バスケから転身

チームのロゴとエンブレムを発表する山谷拓志社長(静岡ブルーレヴズ提供)

ヤマハ発動機は、2022年1月に開幕するラグビーの新リーグ参入に向けチーム運営会社を設立した。チーム名を「ヤマハ発動機ジュビロ」から「静岡ブルーレヴズ」に変更。ヤマハ発動機が100%出資する運営会社の社長にはプロバスケットボール界で実績のある山谷拓志(やまや・たかし)氏(51)が就任する。アメリカンフットボールの選手として日本一の経験もある山谷新社長にスポーツビジネスとどう関わってきたかを聞き、学生へのアドバイスをもらった。

アメフトで日本一

ラグビーとは不思議な縁がある。東京都出身の山谷社長は高校受験を控えていた1986年1月、ラグビーの日本選手権をみた。慶應義塾大学がトヨタ自動車を破り最初で最後の日本一となった試合だった。「慶應でラグビーを」。慶應義塾高に入りさっそくラグビー部をのぞいたが、中学からの経験者も結構いた。「横にアメフト部の部室があった。アメフトは高校から始めるスポーツで、スタートラインは一緒。そっちで勝負しよう。ヘルメットなどもかっこいい、もてるかなと」。違う楕円球の道へ進んだ。

慶大時代の山谷社長。東京ドームで日大と対戦した(本人提供)

大柄な体格を生かしてオフェンスライン(OL)などで活躍、慶大では学生日本代表に選ばれ副将も務めた。1993年にリクルートに入社。当初は社会人でアメフトを続ける気はなかったが、学生時代に一度も日本一になれず、会社がリクルートシーガルズの強化に力を入れており「そういうところに関わるのも面白いと思った」

ただ、仕事は一切妥協しなかった。月~金曜日まで普通に営業し、シーズン中のノルマもこなしながら競技を続けた。入社4年目、チームはXリーグ初代王者となり1997年1月、ライスボウルで京都大学を破って悲願の日本一を達成した。当時のスポーツ界はサッカーブームだった。入社した93年にJリーグが始まり、シーガルズが初めて日本一になった年には、サッカー日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた。「サッカーに差をつけられるような危機感があった」。現役選手ながら、ファンとの交流やチームグッズ製作などに動いた。これがスポーツビジネスに興味を持つきかっけにもなった。

企業スポーツの悲哀

99年、2度目の日本一になった喜びもつかの間、チームがクラブ化されることになり企業スポーツの悲哀を肌で感じた。「入社する時、30歳でやめると宣言していた。何をやるかは決めてなかったが」。けがもあり現役を引退、リクルートを退社し、クラブチームのアシスタントゼネラルマネージャー(GM)となった。チームを強くするためコーチも務めた。

リクルートで最後に所属していたのが、組織人事コンサルタント部門だった。2005年、そこから独立した「リンクアンドモチベーション」がスポーツマネジメント事業を立ち上げることになり部長となった。ここでラグビーのヤマハ発動機と結びつく。選手の研修やチーム紹介を手がけた。ラグビー界では、神戸製鋼、サントリー、リコーなども担当したという。

その後、取引先の関係で、縁もゆかりもなかった栃木のバスケットボールチームの代表に。リンク栃木ブレックス(現・宇都宮)では、絶対無理と言われたスターの田臥勇太を獲得し、創部3年で日本一を達成した。リーグの専務理事などを歴任し、14年からは経営危機から立ち直り、今季初のB1昇格を決めた茨城ロボッツの社長を務めてきた。

リンク栃木ブレックスでは田臥(右)を獲得した(撮影・朝日新聞社)

「形ないものを売る」

プロチームを立ち上げ、立て直して感じてきたことがある。「スポーツビジネスは形あるものを売る商売ではない。チケット1枚を売る、スポンサーの看板を売るが、紙切れや看板そのものを売っているのではない。観戦の価値や広告の価値を売る。しっかり提案してお勧めする。人が価値を感じていないものを、価値があると説得しなければいけない。企画提案が必要になる」

チーム構想などを熱く語る山谷社長(静岡ブルーレヴズ提供)

バスケットボールとラグビーではチームの選手規模や興業できる試合数が大きく異なる。これまでのやり方がそのまま通じるわけでもない。「自分の『商品』を本当にいいと思っている。買わない理由がないだろう、というぐらい強気で。自信を持っている『商品』が、これからはラグビーになる。ラグビーに広告を出しスポンサーになってもらうことで、その会社には本当にプラスになると思う。そうなるために、自分たちも頑張らないといけない。いくら自分がいいと言ってもしょうがない。それをわかってもらう工夫をしなければ」と次を見据えている。

五郎丸氏への期待

現役を引退した元日本代表フルバックの五郎丸歩氏が営業活動などの業務に携わる予定だ。山谷社長は「(五郎丸氏は)指導者に興味があるのかといえば、そうでもない。スポーツビジネスをきちんと勉強して、社長とかやると面白いのでは」と話したそうだ。後日、五郎丸氏は実際にチケットの企画書を作ってきたという。「場慣れもしている。話もうまい。素養はある。アンバサダー的にいるのではなく、試合会場でチケットの枚数を数えるところから仕事をして、経験積んで、本当に能力があれば社長を任せられる」と期待を寄せる。

ヤマハ発動機の五郎丸歩、観客席で現役生活に幕 負傷しても最後までチームを鼓舞

茨城ロボッツでは、人材育成などで茨城大学と連携協定を結んでいた。スポーツビジネスを志す学生も多い。「試合会場の演出を放送研究会の学生とやっていた。一緒に関わり、この学生はこんなに機材の扱いがうまい、台本を書くのがうまいとわかった。実際に新卒で採用もした。インターンなどで自分が得意とする能力を証明できれば、採用される可能性はある」と言う。

大事な営業力

営業力でスポンサーを獲得するなど、プロチームの新しい道を切り開いてきた。「営業に対する学生のイメージは『ノルマがきつい』『だまして売る』など敬遠される職種と感じている。企画やマーケティングをやりたいという人が多い。営業はいろんな能力が培われる仕事だと思う。不確実な未来と向き合う仕事。例えば、必ず1000万円のノルマが達成できると誰も約束されていない。それを1カ月、1年でやりなさいと課される。その不確実な状況に対してどうしていくか。その可能性はどこにあるのか。どうやって説明したら理解してもらえるのか。どういうタイミングで言えばいいのか。全部、逆算して考えるようになる。そういうものが学べる」。山谷社長から就職を目指す大学生へのメッセージだ。

堀川GM兼監督、山谷社長、星野・県協会代表理事、大石・県スポーツ政策課長(左から、静岡ブルーレヴズ提供)

堀川隆延・静岡ブルーレヴズGM兼監督
「静岡は不可能を可能にするチャンスがある地だと思っている。2年前(のラグビーW杯)にエコパで日本代表がアイルランドを下した。あのスタジアムの瞬間、みなさんの熱狂と感動、最後に一つになる。そういった空気を我々は味わうことができた。静岡の代表のチームとして新しく始まる新リーグで日本一を目指し、静岡の皆さんと熱い思いを共有したい。突き抜けて成長する」

星野明宏・静岡県ラグビー協会代表理事
「静岡ブルーレヴズを応援した翌日にまた一生懸命頑張ろうと思えるようなチームになることにサポートというより当事者として一緒に参画していきたい」

大石哲也・静岡県スポーツ政策課長
「静岡県はラグビーに関してまだまだ後進ですが、このような強いブルーレヴズがあるぞ、そういうところを誇りに静岡県のスポーツ、ラグビーの牽引役としていろいろと進めていきたい」

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