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特集:ジャパンラグビートップリーグ

ヤマハ発動機の五郎丸歩、トップリーグを引っ張ってきたFBの最後の雄姿を見逃すな

2015年度のトップリーグには五郎丸ポーズを見ようと多くの観客が詰めかけた(撮影・全て朝日新聞社)

ラグビーのトップリーグが最後の戦いを迎えます。全国規模のリーグとして2003年に生まれ、18シーズン目となりました。来季からは発展的に新リーグへ移行します。コロナ禍を乗り越えてシーズンに挑もうとするリーグの主役を紹介します。

開幕延期にも前向きに

2月20日に開幕予定のトップリーグは当初、1月16日に始まるはずだった。新型コロナウイルスの感染拡大で仕切り直しとなり、ヤマハ発動機ジュビロのFB(フルバック)五郎丸歩(34)は「自分自身でコントロールできること、できないことあるけど、できないことより出来ることにフォーカスするほうが人生は楽しい。」とツイートした。今季限りの引退を発表したのは2020年12月9日。コロナ禍で先行き不透明なだけに、日本ラグビー界を引っ張ってきた五郎丸が前もって引退を宣言したのはよかったのではないか。ファンや関係者は最後の雄姿をスタジアムやテレビ越しに目に焼き付ける心構えができた。

12月の会見では今季限りで引退することになった経緯などを語った

15年W杯、社会現象になったポーズ

15年のワールドカップ(W杯)イングランド大会で、日本代表は強豪の南アフリカを破り「スポーツ史上最大の番狂わせ」と言われた。五郎丸はFBで南ア戦を含めて4試合に出場し計58得点を挙げた。ゴールキック前の独特なポーズは社会現象になり、「五郎丸(ポーズ)」はその年の新語・流行語のトップ10に入った。出身の福岡県には西鉄甘木線に五郎丸駅(久留米市)がある。ローカル線の小さな駅には駅名と記念撮影する訪問者がにわかに増え、駅名キーホルダーが爆発的に売れた。16年のさっぽろ雪まつりにはポーズをとる五郎丸の市民雪像も登場した。

16年のさっぽろ雪まつりに登場した五郎丸像

20年12月16日に行われた記者会見で五郎丸は「ラグビーはヒーローが出るわけでなく、チームみんなが仕事をして勝利がみえる。私1人にフォーカスが当たることに関しては、非常に違和感はあった。ラグビーの魅力を広げることが自分に与えられた使命と感じてやってきた」と振り返った。

黄金世代、スコットランド破る

1986年生まれの五郎丸は黄金世代の一員だった。佐賀工で全国高校大会ベスト8になるなど活躍し、2004年春のU19ジュニア選手権(南アフリカ)では日本代表のメンバーとしてスコットランドを28-22で破り7位の成績を残した。五郎丸をはじめ、SH田中史朗主将(パナソニック、当時・京都産業大1年→2年)やNO.8堀江翔太(パナソニック、島本高→帝京大1年)、WTB山田章仁(NTTコミュニケーションズ、小倉高→慶應義塾大1年)ら15年W杯でともに戦うことになる選手が参加していた。

ウィルキンソンからキックの指導

早稲田大学に進み、1年生の時には03年W杯オーストラリア大会でイングランドを優勝に導いたSOジョニー・ウィルキンソンが来日し、直接、ゴールキックなどの指導を受けた。「ラグビー人生で大きな素晴らしい機会を持たせて頂いた。ウィルキンソンさんの(キック)ポーズが似ていると言われるが、そんなことより、『世界トップの選手がここまでキックにこだわってプレーするんだ』といったことが見られ、キックに対する姿勢も大きく変わった」。早大では3度の大学日本一を経験し、2年生の時には日本選手権でトヨタ自動車を28-24破る快挙にも貢献した。

大学1年の時、ウィルキンソンから指導を受けた(早大ラグビー部OBクラブ提供)

ヤマハに入る際、「第一線でパフォーマンスを出し続けるのは35歳まで」と決めていたという。本社の業績不振によるチーム強化縮小もあったが、チームに残った。入れ替え戦も経験した。苦難を乗り越え、15年の日本選手権でチームに初めて全国タイトルをもたらした。この経験が同年のW杯の活躍につながった。W杯後にオーストラリアとフランスのチームに移籍し、17年にヤマハへ戻った。18年にトップリーグ通算得点が歴代1位となり、計11シーズンで1254点を積み重ねた。現役の2位は小野晃征(宗像サニックス)の589点なので不滅の記録として残る。よりよいものを求めて蹴り方は進化を続ける。今は五郎丸ポーズではなくなったが、精度は変わらない。リーグ最多タイ記録の1試合11Gを決めたのは20年2月の試合だ。

20年のNTTドコモ戦ではリーグタイの11本のゴールキックを決めた

05年春、大学2年生の19歳でウルグアイ戦に途中出場し初めて日本代表のキャップを獲得した。15年までに57キャップを重ねたが、順調だったわけではない。4年に一度のW杯には07年、11年大会と出場できなかった。豪快な攻撃力の一方で防御に不安を抱えていたこともある。29歳になった15年W杯では全4試合にフル出場。この時の日本代表でフル出場したのはリーチマイケル主将(東芝)と二人だけだった。快挙となった南アフリカ戦のトライやキックより、敗れたスコットランド戦の前半終了間際、WTBトミー・シーモアをトライ直前でなぎ倒したタックルが個人としての評価をさらに高めた。

「アスリートは気力が大事」

ヤマハの堀川隆延監督(47)が昨シーズン(20年コロナ禍で不成立)の五郎丸のちょっとしたエピソードを明かした。第3戦(1月25日)のリコー戦で五郎丸はメンバーを外れた。Bチームに落ちたため、試合前日の練習はすべてこなした。京都での試合前、選手のウォーミングアップの手伝いをしていたら、バックスの先発メンバーが試合開始5分前にけがをして出場できなくなった。急きょFBで出場することになった五郎丸はフル出場し、38-0の勝利に貢献した。準備が足りず自慢のゴールキックは蹴らなかったという。

3月1日に35歳になるが、五郎丸の技術があればあと数年は第一線で続けられるだろう。本人は「アスリートは体力だけでなくて気力が大事。そういった気力の部分が自分の中で衰えていることを感じる」と話した。100%の準備をして備える。言うのは簡単だが、毎回、神経をすり減らすようにして試合に向かってきた。

ヤマハは日本選手権の優勝経験はあるが、トップリーグでは準優勝が3回。ロックの大戸裕矢主将(30)は「常に五郎丸さんはエナジーがあって、変わらないようにみえる。五郎丸さんの最後のシーズンは日本一になっていい形で送り出したい」と宣言した。チームは2月21日の日野レッドドルフィンズ戦(花園)から戦いが始まる。

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