アメフト

新城利一郎が「首里城ボウル」の先に見すえる沖縄の未来、どこにもない価値を作り出す

琉球ガーディアンライオンズは昨春に誕生。新城さん(0番)は代表として選手として、チームを盛り上げている(写真は全て琉球ガーディアンライオンズ提供)

8月23日記入:「首里城ボウル」は新型コロナウイルス感染症拡大を受け、中止が決まりました。

沖縄にアメリカンフットボールを根付かせたい。それは夢でも目標でもなく、「やらなければならないこと」なのだという。そんな思いへの一歩として、クラウドファンディングも活用しつつ、8月28日、基地外で行われる沖縄初のアメフト試合「首里城ボウル」(残波岬ボールパークにて10時30分にキックオフ)を開催予定だ。大学で出会ったアメフトへの熱い思いを胸に、本人は至って穏やかだ。アメフトチーム「琉球ガーディアンライオンズ」の代表で選手でもある新城(しんじょう)利一郎さん(36)は、独特のリズムで我が道を歩んでいる。

スポーツは好きだけど「部活」はしない

「『やり切った感』はありませんでしたね。最後の試合が終わった後、記念写真も撮らなかったくらいですから」。新城さんは沖縄の人らしい、やわらかいイントネーションで、中京大学でのラストシーンを振り返る。

沖縄にアメフトを! その思いで「首里城ボウル」を開催する

沖縄で生まれ育った新城さんは、子どもの頃からスポーツが好きだった。中学生の頃から草野球やバスケットボールのチームをつくって、大学生や大人など境界線なく触れ合いながらスポーツを楽しんでいた。

部活をしていた友達に、入部を誘われたこともある。それでも、部活そのものに抵抗があった。「色々なスポーツをやりたかったので。それに、上下関係といったしがらみみたいなものが、あまり面白いとは思えなくて。ボールを触る楽しさを知っているので、球技なのにボールも持たずに基礎トレーニングとかをするのも嫌でした。楽しくやれたらいいなと思って、部活には入らなかったんです」

友達の引退試合を見て決意

高校を卒業すると、沖縄を離れて中京大に進んだ。アメフトと言えば、学生スポーツの花形競技の1つだ。中京大アメフト部は現在、東海学生リーグで優勝を争う強豪チーム。当時はまだ学内の他クラブのような戦力強化の推薦入学枠もなく、「経験者は2学年に1人くらい」という時代ではあった。それでも、体育会への入部には相応の覚悟が必要だと想像されるが、新城さんは強い憧れや決意を胸に、アメフト部の門をたたいたわけではない。

「アメフトの試合を見たこともありませんでした。もちろん、ルールも分かりません」。名古屋にある中京大を選んだのも、「沖縄から(進学で)本土の大きな街に行くなら、大阪や東京というイメージが湧くじゃないですか。でも、だったら真ん中で名古屋がいいかなって」。やはりソフトな語り口で、そう振り返る。

新城さんは中京大で初めて部活をし、アメフトに情熱を注いだ

そんな新城さんの気持ちを、大学での部活に向けたきっかけがある。「高校時代、部活動をしている友達は多かったので、彼らの最後の試合を見に行ったんですよ。その引退試合の、『やり切った感』というか、そういう空気がよくて。大学に進んだら、そういう学生生活を味わいたいなと思って、部活に入ろうと思ったんです」。憧れは、確かにあったのだ。

他にも選択肢はある中で、アメフトを選んだ理由も独特だ。「大学から始めるスポーツじゃないと、高校でしっかりその競技をやっていた子と、大学4年間で競い合えるという自信がなかったんです。横一線のスタートだったら、ということで、アメフトにしました」。全国レベルの選手が集まる他の競技では、1軍のベンチも遠いままに4年間を終える選手がいると聞いた。スポーツの楽しさを知る新城さんが、そんな選択をするはずもなかった。

幹部の代になり、完全燃焼を目指すも……

アメフトでは、体の強さは重要な要素だ。入学当時の新城さんのサイズは、身長172cm/体重60kgと、かなりの細身。火曜日だけがオフとなる週6日の練習そのものも、新城さんにはかなりハードだったに違いない。

だが、高校時代に帰宅部だった経験が役立った。「アメフト部のきつさがどの程度のものなのか、分からないんですよ。部活動の経験がなかったので。こんなに体でぶつかったこともないし、暑い中をヘルメットをかぶって走ったこともない。全部が初めてだったので、ある意味、きつさに反応する抗体がないというか」。アレルギー反応が起こることはなかった。

体を強くする必要性を認識してトレーニングに励み、2年生になると戦術的なオプションとして試合に出られるようになった。ワイドレシーバーとして、野球やバスケで培ったバネやスピードを生かした。

忘れられないのが、秋季リーグ戦での南山大戦だ。勝てば南山大学に順位で並び、プレーオフに持ち込めるという重要な一戦。ロングパスを見事にキャッチして、勝利に大きく貢献した。

プレーオフでの南山大との再戦も、記憶から消えようがない。リーグ戦での対戦と同じような状況で、同じようなパスがきた。ただ、キャッチだけが再現できなかった。「指に当たったのに捕れなかったんです。自分のせいで負けた、もっと頑張らないと、と思いましたね」。チームを引っ張る立場になる3年生に進級する前に、そう誓った。

だが振り返ると、2年生で挑んだその試合が、新城さんの大学4年間のハイライトになった。

3年生になって、出番が減ったわけではない。3年生の春には、卒業後もアメフトを続ける気持ちが湧いていた。満足できなくなったのは、4年生になってからだ。けがで試合に出られず、出場したとしても両足にテーピングを巻いた状態では、自分の全てを出すことはできなかった。だから、秋季リーグ戦を終えて思った。「目が覚めたら、夏だったらいいのに」。記念撮影をする気になれるはずもなかった。

再び学生をしながらXリーグでプレー、そして沖縄へ

憧れの引退試合にはできなかったが、アメフトへの情熱は冷めなかった。情報科学系の学部で学んだが、「コンピューターより人と接する方が好きだな、と思ったんですよ。それに、けがと隣り合わせのアメフトで、実際にけがで試合に出られなかった自分が、誰かがまた試合に出られたり、痛みを取り除いて普段の生活を送れるようになる手伝いをしたいなと思って」と、鍼灸師の資格を取得するために専門学校に入学。学生生活を延長する一方で、Xリーグの名古屋サイクロンズでアメフトを続けた。

新城さん(左)は専門学校に学びながら、名古屋サイクロンズでアメフトを続けた

大企業の全面的なバックアップがあるチームのようなレベルにあるはずもなく、毎年1部リーグの生き残りを争ったが、新城さんはXリーグで国内最高峰の勝負を楽しんだ。「自分としてはできることをやっていたので、大学時代より『やり切った感』はあったんですけど、泣けるほどうれしかったとかは、相変わらずありませんでした」。6年間プレーした後、家業を継ぐために沖縄に戻った。

知人から話をもらい、2014年には琉球大学のコーチに就任した。一方で自身も、沖縄にある在日米軍の基地内にて、米兵のチームでプレーを続けた。「琉球大にアメフト部があることも知りませんでしたが、手助けできるんだったら、とコーチになりましたが、僕自身、『まだ勝ちたい』っていう気持ちもありました。選手として『やり切った感』がなかったので、米軍リーグに所属してやっていました」。そう簡単に、スポーツの熱は冷めるものではない。

アメフト選手として戻った沖縄で、気付いたことがある。沖縄にはアメフトがない。

県内唯一の大学チームである琉球大は、県内でプレーしない。適するグラウンドがないため、試合はすべて九州で行われるからだ。米兵によるリーグ戦はあるが、基地は「国外」。沖縄の人の目に、生のアメフトが触れることはないのだ。

アメフトは新城さんにとって、けがで試合に出られない時間を含めて、多くを教えてくれたスポーツだ。ガリガリの体でアメフトを始めた新城さんは語る。「全部のスキルではなく、何か1つの力があれば、ヒーローになれるかもしれない。他のスポーツでくすぶっている子がアメフトをやったら、スポットライトを浴びられるかもしれない。そういうところが、魅力的だと思っています」。大学2年生の時の、あのタッチダウンの感触は消えない。

台湾参戦も、日米混合チームも、僕らならできる

昨年6月、新城さんは琉球ガーディアンライオンズを立ち上げた。現在、沖縄では唯一となるアメフトチームに、30人ほどが集まった。「最初は社会人チームと言っていたんですけど、今は沖縄のアメフトクラブチームだと案内しています」。クラブには大学生から39歳の元Xリーグプレーヤー、さらには米軍基地で生活するアメリカ人も所属している。

当初は3年でXリーグ参戦を目指していた。まずは米軍基地内のリーグ戦に加入する予定だったが、コロナでリーグが見送られたため、来シーズンからの加入を視野に入れている。ただ、クラブの代表であり実質的監督、そして選手である新城さんの視線は違うところに向かっている。

「僕らは年齢も経歴も制限を設けません。今は特定のリーグに所属していませんが、九州のプライベートリーグ、あるいは沖縄から近い台湾のリーグに参戦してもいいと思うんです。今やっている子ども向けのフラッグフットボール教室を、沖縄の基地内でもやったりして。そうしたら文化交流になる。アメフトも練習から日米ごちゃまぜの混合チームでもいいじゃないですか。本土に遠征するには地理的デメリットがありますが、沖縄にいることがメリットになる。そうしたら沖縄の僕らだからこその、日本のどこにもない価値を作り出せる」

アメフトを沖縄の人々の「日常」にしたい。その一歩として「首里城ボウル」を開催する。X2に所属するTRIAXを招いて、まずはアメフトの試合をその目で見てもらうためだ。沖縄は今、緊急事態宣言下であり、その期限も8月末まで延長された。関係各所との調整が続いているが、今のところ予定通り8月28日開催できる見通しだ。当日はアメフト仲間のサポートを受け、LIVE配信も予定している。

新城さんは沖縄だからこそできることに意識を向け、これからもアメフトとともに生きていく

新城さんは、何を求めてアメフトとともに生き続けるのだろうか。

「チームとして目指す究極は、日本一じゃないですか。でも、そういう何かを達成したことはありません。その過程で、ずっとチャレンジし続けるのが好きなんでしょうね、たぶん」

勝てなくたって、なんくるないさ。泣けるような引退は、まだまだ先でいい。

in Additionあわせて読みたい