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野球とアメフト「二刀流」のメリットは? 東大・阿久津怜生×早大院・吉村優(上)

東大の阿久津(左)と早大アメフトでQBだった吉村(本人提供)

野球→アメリカンフットボール→野球という道をたどりながら進化してきた学生アスリートがいます。東京大学野球部の阿久津怜生(れお、3年、宇都宮)と、早稲田大学大学院に通う吉村優(1年、早稲田実)の2人。アメリカなどでは複数競技に取り組むのは珍しくありませんが、フットボールの経験がどのように野球に生かされているのか?体の使い方などメリットも多く、オンラインでの対談を2回に分けてお届けします。

アメフトの経験がもたらしてくれたもの

まず2人の横顔をお伝えしたい。
東大のアメリカンフットボール部から転部し、今春の東京六大学野球でリーグ最多タイの6盗塁を記録したのが阿久津だ。小学チームで野球を始めたが、右ひじを故障したため、清原中(栃木)では陸上競技部に所属。先天的な快足を生かし(50m6秒1)、3年生の時は400mで全国優勝を果たした。宇都宮高では野球に復帰し、中堅手として活躍。1、2番を任された。3年夏に栃木大会2回戦で敗退すると午前5時から午後10時まで勉強する生活に移り、東大に現役合格。入学後、2年夏まではアメフト部のランニングバック(RB)などでプレーした。

アメフトではRBだった阿久津(本人提供)

一方、早大大学院生の吉村優は、早稲田実高2年夏に第97回全国高等学校野球選手権(2015年)に控え投手として出場。登板機会はなかったが、当時1年のスラッガー清宮幸太郎(日本ハム)が注目された中、ベスト4進出を経験する。3年夏にはエースの座をつかんだが、西東京大会準々決勝で敗退したのを区切りに、早大ではアメリカンフットボール部へ。3年生の時にはクオーターバック(QB)として出場した「甲子園ボウル」でタッチダウンを決め、4年では副主将を担った。アメフト引退後、再び野球の世界へ。現在、社会人クラブ「REVENGE99」に所属しながらプロ入りを目指している。

吉村はクラブチーム「REVENGE99」に所属しプロ入りを見据える(本人提供)

――2人はなぜ、アメフトから野球に復帰したのですか?

吉村 野球からアメフトに転向した時、高校野球でしてきた努力を超えるのは無理だと思ってました。でも、限界はもっと先にあり、大学3年、4年の時に超えることができました。新しいスポーツにチャレンジして、そこで成功できたプロセスを持って、野球に戻ったら新しい発見があるのでは……そう思って復帰したんです。

阿久津 東大に入学してすぐに野球部に入らなかったのは、(当時は身長170㎝に対して体重60㎏と)体が細く、これでは通用しないと思ったからです。それがアメフト部に入ったら、トレーニングと食事で体が大きく変わりまして。1年半で15㎏増え、これならと自信がついたんです。野球が好きな気持ちが変わっていなかったのもあります。決め手になったのが、昨年8月に見に行った春のリーグ戦です。敗れはしましたが、東大は慶應義塾大学と大接戦(5対4)を演じまして……もう1回、大きくなった体でチャレンジして、神宮でプレーしたいと。

阿久津(左)と吉村のオンライン対談は互いの疑問をぶつけるなど盛り上がった

――アメフトの経験が野球に生きたところはありますか?

阿久津 体重が増え、筋肉もついたので、打撃では明らかに打球が飛ぶようになりました。走塁では高校時代よりも体のキレが良くなったと感じています。これはアメフトがほとんど真っすぐに走らない、切り返しの動作が中心の競技だからだと思います。一塁けん制でリードから帰塁する時の体の切り返しもスムーズになった気がします。あとRBというポジション柄、短い距離を走る練習が多かったのですが、その中で1本、1本最大限に出力するので、野球でも加速に対する意識が強くなりましたね。それと常に回りを見ながら走っていたので、走塁での視野が広がった気がします。

吉村 僕も体が変わったことで、以前と同じように投げてもボールが速くなりました。野球のために何かをしたわけではないのですが、アメフトをやっていただけで動きもよくなりました。野球では右投げであれば右腕と、どちらか片方を使うことがほとんどです。ダイヤモンドも常に右から回りますが、アメフトはいろいろなところからプレーが始まり、どの方向にも動かなければなりません。複雑です。そのための筋肉の動かし方を学んでいたので、野球に応用しやすかったところはあります。

コンタクトスポーツが気持ちを強くした

――メンタル面での変化は?

阿久津 コンタクトスポーツのアメフトでは、絶対に気持ちで負けてはいけないというところがあります。そういうところが、若いカウントで走るといった積極性につながったと思います。

吉村 僕も変わりました。タックルされるのが怖いという本能に反して強くぶつかりにいく。その経験が自分を変えたんです。2死満塁でフルカウントになった時、四球を出したらどうしようとか、スライダーでかわそうではなく、インコースの真っすぐでのけぞらせて三振を取ってやろう、と思うようになりました。

吉村は早実高3年でエースに。最後の夏は西東京大会準々決勝で八王子に敗れた(本人提供)

――吉村さんは野球復帰後、ストレートの最速が11㎞アップしたと聞きました?

吉村 高校の時はいかにバッターを抑えるかを重視していて、スピードに対するアプローチはほとんどしてませんでした。自分の持っている力の6割くらいしか出せていなかったのでは。アメフトでは6割程度で走ったらすぐにタックルされてしまうので、10割出し切って走る練習をしていました。それによって自分の限界が10割に上がり、野球でも10割を出そうと思った時に出せるようになったんです。

阿久津は全日本中学陸上選手権男子400mで優勝した(本人提供)

――阿久津さんは中学時代、陸上競技部。陸上の経験は野球に生きていますか?

阿久津 中学の時は顧問の先生がそれほど専門的ではなく、根性で走っていたので(笑)。ただ、アメフト部の時にトレーナーの指導の下でやっていたスプリントのトレーニングは今も継続してやっています。

吉村 僕もアメフトをしていた時に、陸上のスプリントに興味を持ちまして。野球に戻ってからもスプリントの練習をしてます。

【続きはこちら】野球とアメフト両方やったから学べたこと

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