名古屋学院大・大島健吾、パラ陸上短距離界の新星はさらに先へ駆け抜ける
パラ陸上の短距離界(義足T64)で急成長している大学生がいる。ラガーマンで花園(全国高校大会)を目指していた大島健吾(21)が陸上に本格的に取り組みだしたのは名古屋学院大学に進んでから。4年生になった今春、アジア新の11秒37で駆け抜け、パラリンピック東京大会の日本代表もつかんだ。花形種目、男子100mの世界の壁は厚いが、「最終的な目標はパラの中で速いのではなく、一般でもちゃんと通用すること」とさらに先を見据えた挑戦が続く。
ラグビーで花園目指す
大島は生まれつき左足首から先がないが、小さいころから外遊びやスポーツが大好きだった。中学では卓球部に所属し、愛知県立瀬戸西高へ進学。全国大会出場経験もあるラグビー部の先輩たちの強引な勧誘もあり、「激しいスポーツ、走るスポーツをやりたいと思っていたので、『これにするか』と勢い」で入部した。
ラグビー部の正道範男監督(47)は「多分、(先輩たちは)義足ということがわからなかったのでしょう。全く気付きませんから」と言い、「最初は義足のこともあり、なるべくコンタクト回数が少ないウィングをやった。体をぶつけるのがだんだん得意になり、最後はタックルやコンタクトが多いフランカーになった」
大島は生活用の義足のままラグビーをやった。「競技用義足をはいていたらもっと動きの幅が広がって面白かったと今は思います。でも、そんなに差をつけられることなく、みんなと普通にできたなと思える。ラグビーは練習の時もガチでやるので、悔しいとかやられたとか、勝ったり負けたりというのが楽しかった」
陸上競技へのきっかけを与えてくれたのも正道監督だ。高校2年の時、静岡で開かれたパラ陸上の発掘事業へ車でわざわざ連れて行ってくれた。大島は振り返る。「僕は競技用義足をはけないと思っていた。残った足が長かったので。でも、はけると教えてもらい、大学からやりますから、その時は(義足を)作ってください、という感じでした」
最後の高校ラグビー全国大会の愛知県予選は代表校になる中部大春日丘に完敗し、ベスト16で終わった。
警察官目指すが、運命の出会い
大学から陸上に挑戦しようと思っていたが、そのために名古屋学院大学を選んだわけではない。「当時は警察官になろうと思っていた。法学部のほうが有利と言われ、いろいろ調べて最終的に選んだ」。ここでも運命的な出会いが待っていた。陸上競技部の部長は、順天堂大学などで活躍した元十種競技の日本記録保持者、松田克彦さん(56)だった。「行ってみたら松田先生がいらして。何も調べてないのですが、僕、運がよかった」
十種をやってきた松田部長からは自分の体を知らないと、幅が広がらず記録にもつながらないと言われている。大島に限らず走る際にはスピードを妨げる様々な癖が出る。それが義足によるものなのか、体幹の弱さからくるものなのか。その原因に選手自ら気付いて改善できるように、松田部長は多くのヒントをくれる。練習メニューも一方的に与えられるものではないため、大島は陸上競技を自分で考えられるのが楽しいという。名古屋学院大の陸上部全体がそんな活動をしている。部でパラ選手は大島一人だが、他の部員と同じように練習を積んでいる。
だから、時間もかかった。1年生の時は陸上のどこから手をつけていいのかわからない状態で、ただ、がむしゃらに走った。2年になると、松田部長の指摘が理解できるようにはなったが、それをどう改善につなげるかまではわからなかった。2年生の終わり頃、理学療法士や管理栄養士らからも学ぶようになった。
コロナ禍もプラスにとらえる。「陸上競技場が使えなくなり、一人で今の自分の立ち位置を確認しようという時間にした。自分の走る動画を見て、『ちょっと腰が入っている』、『ここの体幹が弱い』などみつめ直せた。そういうのも大きかった」。1年延期にならなかったら出場できなかった東京大会への道がつながった。
子供たちに届くか吉報
上級生になって大学の授業が少なくなったこともあり、昨年から学童保育のアルバイトをしている。練習後など多い時は週5日、児童たちとサッカーや缶けりで遊ぶという。「この年になって全力で遊ぶことはなかなかないので、一緒に楽しんでいます」。疲れを知らない子供たちとの時間は、自然とトレーニングにもつながる。
いつも遊んでいるお兄さんが実はパラリンピックの代表選手。「多分、あまりよくわかっていないと思いますが、子供たちにもいい結果が報告できるように」。久しぶりに再会する時、ちびっ子たちの驚く顔をみてみたい。