陸上

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

元陸上選手・為末大「パラリンピックは人間の意識を変えられる」

「人間の意識に興味がある」と語ってくれた為末大さん(撮影・齋藤大輔)

かつて陸上選手だった為末大さん(41)は陸上男子400mハードルの日本記録保持者であり、オリンピックに3度出場しました。2012年に引退してからは、義足開発ベンチャー「Xiborg」に参画したり、誰もが分け隔てなくスポーツを楽しめる環境づくりを目指してできた「新豊洲ブリリアランニングスタジアム」の館長に就任するなど、パラアスリートに寄り添う活動をされています。トップアスリートだった為末さんがパラリンピックまで1年となったいま、考えることとは?

パラリンピックの「盛り上がり」とは

――為末さんがパラリンピックを意識したのは、いつごろなのでしょうか。

為末: 僕が現役のときは、今のように「オリ・パラ」と並列ではなくて、パラリンピックはまだあまり注目されていないイベントでした。26歳のときに山本篤(日本初の義足のパラリンピック陸上メダリスト)と出会ったぐらいからでしょうか。30歳ぐらいから、僕はアメリカ・サンディエゴのオリンピックセンターでトレーニングをしてたんですが、そのときにパラの選手にたくさん出会って、走りを見て「こんなにスピードが出るんだ!」と驚いたのは覚えてます。

――パラリンピックはオリンピックに比べると盛り上がりに欠ける気がします。どうしたらもっと注目されるでしょうか。

為末: そもそも「盛り上がった」状態とは何かということがあります。いまのパラリンピックの弱点として、とくに陸上は種目が多すぎて、どれに注目したらいいのか分からないということ、そして種目が多いがゆえに、それぞれの頂点が低くなるということが挙げられます。すべての人に開かれている、ユニバーサルという視点ではそれは正しいのですが、一方でエンタメの要素を取り入れたいといった雰囲気も見られて、パラリンピックを開催する意義がどちらなのか定まっていないように思えます。

パラリンピックが目指すのはユニバーサルか、エンタメか

いまって、パラアスリートひとりに対して複数の競技がかぶってしまってるんです。車椅子で生活していて身体能力の高い選手には、バスケ、ラグビー、テニスなどさまざまな競技から勧誘がかかる。もし大会を本当にオリンピックのようにしていきたいのであれば、例えば陸上は100mと走り幅跳びだけ、車椅子はバスケだけなどというふうに絞って、そこに全選手を集約させていくという考え方もあります。

そうすればクラブチームが増えてもっとレベルが高くなり、競技として成熟していくと思います。野球やサッカーのように、競技人口が多いスポーツはそんな感じですよね。オリンピック種目が入れ替わっていくように、パラリンピックも大会で行う競技を決めて、重みづけをしていく、そんな取り組みをしていってもいいのではないかと思っています。

義足は道具、あくまで主役は選手

――以前のインタビューで「義足の選手がいずれ100mの世界記録を破るだろう」とおっしゃっていましたね。

為末: そうですね。僕は近い将来それが起こると思ってます。でも、誤解してほしくないのは、義足が発達したからといって好記録が出るようになるわけではないということ。あくまで主役は選手です。道具を使いこなせるかどうかは、その人の能力次第ということです。

――それは、例えばマラソンを走っている人がナイキのヴェイパーフライを履いたから全員が速くなるわけではない、というようなことでしょうか。

為末: いい例えですね(笑)。そのとおりです。あくまで選手自身の競技力向上があっての記録です。あと僕が感じるのは「パラリンピアンをオリンピアンの形に収めようとしている」ということです。

――どういうことでしょうか。

為末: 例えば義足にしても、膝下の長さは健常者のと同じぐらいまでと規定されています。しかしアメリカでは、膝下が義足の選手が、パラリンピックの規定より長い義足をつけて健常者と走り、全米選手権で上位に入るという現象が起こってます。こうなってくると「そもそも人間らしい形って何なんだ?」という議論が起こってくる。究極的に言えば、もっと長い例えばダチョウのような義足をつけてきた人がいたら、それは人間として競技の土俵に乗っていいのか、なんてことにもなってきますよね。

でも、パラリンピアンがオリンピアンに勝ったら、社会全体の見方が変わると思います。僕はそこに興味があります。

「普通」を壊す力が、パラリンピックにはある

――社会の見方が変わる、というのはどういう意味なんでしょうか。

為末: 例えば、1989年にベルリンの壁が崩壊しましたよね。あの意義って、あの映像が全世界に流れたことにより、すべての人が「冷戦が終わった」と感じたことにあると思うんです。ある出来事を境に、以前・以後になる。パラリンピックにもそういう力があるんじゃないかと思ってます。

2001年の世界陸上で、日本人初の短距離選手としてのメダルを獲得した(撮影・朝日新聞社)

僕も陸上に取り組んできて「なんとなくこれぐらいかな」と思いながらやってきました。でも1992年のバルセロナオリンピックで、高野進さん(現・東海大陸上部監督)が日本の短距離選手として初めて、オリンピックで決勝に残った。それまで無意識的にですが、自分の中での最高点が「世界の舞台に立つ」だったのが、「世界で決勝に残る」という意識に変わりました。オリンピックでは結果を残せなかったですけど、世界陸上で日本人で初めて、短距離種目のメダルを取れた。「普通」が壊れると、その先に行けるんです。男子100mで9秒台が続けて出ているのも、桐生(祥秀、日本生命)選手が9秒98で走って「あいつができたから、俺もできるのでは」という気持ちがほかの選手にも生まれたからだと思いますね。

もちろんオリンピックは最高峰の大会だし、それに、それぞれ真剣に取り組んでいる人がいるのもわかります。でもオリンピックで意識の転換を起こせるかと言ったら、ちょっとイメージがなかったんです。パラリンピックなら、その「普通」を壊せるんじゃないかって考えてます。

――お話を伺っていると、すごく深く人間について考えていらっしゃる感じを受けます。

為末: 小学校のころは読書部だったんです。シャーロック・ホームズのシリーズと出会って、人の心の動きで物事が変わることに興味を持った。あと、僕が広島で生まれ育ったということも影響しているかもしれません。戦争のことを深く考える機会が多くて、人類は正義と悪に分かれるわけではなく、「正義」には多面性があると感じるようになりました。

自分自身、思い込みや偏見が外れる経験をしていて、それが人生を広げてくれたと感じてます。だからスポーツを通じて、社会問題の解決になることがあればこれからも前向きに取り組んでいきたいですね。

陸上選手でなかったら研究者になっていた?との問いには「でも勉強ができなかったですからね(笑)」

――オリンピック、パラリンピック観戦の予定はありますか。

為末: いまのところ全然考えてないんですよ。たぶんテレビで見るんじゃないですかね(笑)。不思議に思われる方も多いですが、競技を見に行ったりすることは、いまほとんどありません。もともと本を読んだり、考えたりすることが好きな子がたまたま足が速かったから、ここまで来ちゃったっていう感じもあるんです。

いまは違うもの同士をつなぐことにとても興味があります。アジアの選手のサポートをしているのも、アジア各国間の交流を進めたいという思いからだったりします。社会、人間の認識といったことは、これからも探求していきたいですね。

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