大阪経済大、3年ぶりの全国へ 竹澤健介HCと副将片山蓮「チームはとても上向き」
大阪経済大学が3年ぶりに全国の舞台に戻ってきた。竹澤健介ヘッドコーチ(HC)の指導体制になってからは初めてだ。出雲駅伝、全日本大学駅伝に臨むにあたり、ここまでの歩みと今のチーム状況について、竹澤HCと副将の片山蓮(3年、東海大附属大阪仰星)に話を聞いた。
昨年は「競技に向き合えていなかった」
6月13日の全日本大学駅伝関西地区選考会。出雲駅伝の出場についても合わせて選考となるこの大会で、大阪経済大は3枠中の3番目で選考会通過を果たした。4位の京都産業大との差は、10000mの8人の合計タイム差でわずか6秒。通過が決まり、選手たちは歓声を上げて喜んだ。
大阪経済大はいまの4年生が1年生時の18年に出雲駅伝と全日本大学駅伝に出場を果たしている。報徳学園高(兵庫)を駅伝の強豪に育てた実績があった鶴谷邦弘元監督が18年の1月に闘病の末亡くなり、鶴谷さんの報徳学園時代の教え子であった竹澤HCが、あとを継ぐ形で19年から指導に入った。鶴谷さんが闘病のためチームを離れていたことも多く、3年ほど学生主体でチーム運営が行われていたところへの就任。「1年目は本当に手探りでした」と振り返る。「最初はどこまで学生に任せていいのか、もうちょっとこちらで決めたほうがいいのか、そういうバランスにも試行錯誤しながらやりました」。1年間指導してようやくつかめてきたと思った矢先に、新型コロナウイルスの影響が襲った。
大阪経済大の陸上部は寮を持たず、基本的に生活は選手それぞれに任せられている。2カ月半ほど集まれず、一緒に練習する機会もなく「チームが崩れてしまった」と竹澤HC。「学生が悪いということではなく、競技に向き合う時間が作れていなかったんです」。当然、「チーム」として形を戻していくのに時間がかかった。昨年は全日本大学駅伝の関西地区枠は4枠あり、上位3枠が書類選考、残り1枠のみタイムレースで争われるという変則的な方法。堅実に全員が走りきったびわこ学院大学に敗れ、全国への道は絶たれた。「選手の多くは自己ベストを更新もできず、去年は大惨敗でした」
大エースが抜け、変わったチームの意識
昨年までは富田遼太郎(現スズキアスリートクラブ)という大エースがおり、「引っ張っていってくれていたので、正直、富田さんに頼っているところがありました」と片山。「最後には富田さんがなんとかしてくれるだろう」という気持ちが選手たちのどこかにあったが、びわこ学院大に敗戦し、チーム全員が考え直したという。「去年は、正直(全国に)いけると思ってたんです。負けてだいぶショックでした。でも、甘いところを考え直したらいろいろあるなと」。各自練習が続いたことで、弱さが全面に現れてしまった。このあと富田がいないと考えたら、全員でその穴を埋めないといけない。「責任感をもって、練習、行動、自分がやるぞ、という雰囲気になりました」。実際に代が変わり、須田真生(4年、大阪桐蔭)が主将になると、チームの雰囲気がガラッと変わった、と竹澤HCも認める。
「選手同士が『本当にしっかりやらないと、いよいよ(選考会は)通らないぞ』と強く言い合うようになったんです。普段は仲がいいですが、競技に関しては厳しくやれるというのは、今年に入ってから生まれた部分なのかなと。学生の成長につながっているかな、と思います」
特に4月に入ってから、チームが上昇していく雰囲気を感じた。「今までとは違うチームを見ているような雰囲気でしたね。そこがうれしいし、もしかしたら行けるんじゃないかなと思いました」。それは竹澤HCが早稲田大在学時、だんだんチームが強くなっていく雰囲気と似ていた。そして6月の選考会を迎えた。
疲労骨折でも選考会に出走、精神的支柱の大きさ
しかし、それまでチームをけん引していた須田は、骨盤に故障を抱え出走できなかった。片山も、左右のすねに疲労骨折を抱えた状態だった。この状態で走らせていいのか。「須田を外したぶん、すごく悩みました」と竹澤HC。日頃から嫌われ役を買って出て、部員に対して厳しいことも言えている片山は、チームの精神的な支柱でもあった。最終的には本人の「いきたい」という意思もあり4組にエントリーした。
片山は「自分が一番練習していたという自信もありましたし、走ることによってチームメートに安心感を与えたかった」という。普段からチームの士気を保つような発言をし、練習を引っ張ってきた。「逆の立場で考えたら、そういう選手が出ないのってすごく不安じゃないかなと思いました」。実際に大阪経済大の選手たちは、1組目から藤村晴夫(1年、大阪)が組トップ、3組でも坂本智基(2年、智辯学園奈良カレッジ)が組トップで走り切るなど、いい流れを保ち続けた。「なんとも言えない確信というか、行けそうだなという感覚がありました」
だが片山はとにかく両足が痛く、走っている最中もずっと痛いと思いながらの10000mになった。「でも僕が走っていることによって、走れない選手が出てくる。その選手の気持ちを考えたら、意地でも走りきろう!と思いました」。4組の30人中26位、32分05秒04というタイムだったが、完走。「正直、京産と関大とのタイム差も近かったので、発表までは『僕のせいで行けなかったんじゃないかな』と思っていました。(全国が)決まった瞬間は、他のメンバーに本当にありがとう、という気持ちでした」と振り返る。竹澤HCも「チームとしては、彼がいてくれたから通ったんだと思います」と片山の存在の大きさを語る。
前向きな選手の数を増やして、少しずつ強く
夏は大学として合宿は禁止されていたが、大学の周辺施設を利用してお盆期間にも休みを取らずに走り込むなど、充実した練習をこなした。チームの雰囲気はとてもいい、と2人は口をそろえる。チームのみんなで決めた目標は、出雲駅伝14位以内、全日本大学駅伝17位以内だ。
竹澤HCという、世界を見てきた指導者がいるというのはチームにどう影響しているのだろうか。片山は「毎日練習に来ていただいて当たり前な状態になってますが、世界のトップを見た方から毎日指導をいただけるのは、本当に特別なことなんだなと日数が経つごとに思います」と改めて話す。片山自身は竹澤HCと接し、「物事の考え方がすごく変わった」。「マイナスな発言をする選手同士で固まると、正解がそっちに流れていってしまうんですが、前向き、ポジティブな発言をすることでそういう層を増やしていくと、自然といい方向に誘導していけるんだな、と気づきました」
だからこそ自分がけがをしてしまった時も、「なんで俺だけ」という気持ちになりそうになったが、思いとどまることができた。「走れていないというだけで他の選手よりマイナスなのに、その中で雑に過ごしてしまっては意味がないなと。どれだけ走っている選手との差を小さくできるか、できるだけ練習に参加できるか、と自然とポジティブな考え方をするようになりました」
竹澤HCにも「なるべく向上心をもった人間を増やしたい」という気持ちがある。「どうしても結果が出ないと落ち込んでしまう学生が多いので、そこをケアするようにしています。向上心を持った人間といると、自然と他の人も向上心を持つようになる気がしています」。競技力が高い人といると刺激になったり、竹澤HCが現役の時そうだったように、世界を目指している人といれば、自然と会話もそのレベルになってくる。「いま、そういう大きい存在がいないんだったら、前向きな人間の数を増やすしかない。大きな志じゃなくてもいいから、みんなで一つひとつ進んでいけたらと思っています」。関東の強豪校と違い、全員が必ずしも大きな目標を抱いて入部してくるわけではない。だがそこの意識を少しずつ変えて、少しでも関西のレベルが上がっていったらいいな、と話す。
「本当は、関東、関西とあまり分けたくないんです。分けちゃうとそこを突破できない気がしています。実力差はもちろんあるけど、心理的障壁を取りたいですね」。正直なところ、今回は戦うというよりも「出場する」という形になるとは思うが、それでも大きな意味があると竹澤HC。「そこに行けば変わる、感じる部分ってあると思うんです。学生たちが何を学んで、感じて、どう変化していくのか、楽しみですね」と笑顔で話す。
「ちょっとずつ、ちょっとずつ強くなってきているのは体感できているので。あまり急がずにやっていければと思います」。大阪経済大の新たなステージへの第一歩は、もうすぐ始まろうとしている。