陸上

連載:4years.のつづき

亡き恩師の思い受け継ぎ、大経大で学生のために努力 竹澤健介・4完

大経大のヘッドコーチになるにあたり、エスビー食品時代の先輩であり、現在、立教大で指導している上野裕一郎さんにも報告した(撮影はすべて松永早弥香)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ10人目は、早稲田大時代に北京オリンピックを経験し、箱根駅伝で3年連続区間賞、実業団を経て今年4月には大阪経済大陸上部・長距離ブロックヘッドコーチに就任した竹澤健介さん(32)です。最終回は指導者としての新たな挑戦についてです。

実業団で迷い自分の道を求めるも、絶たれた競技人生 竹澤健介・3

指導者としての第一歩は恩師がいた場所で

2018年1月、竹澤さんの報徳学園高(兵庫)時代の恩師である鶴谷(つるたに)邦弘監督が亡くなった。10年に報徳を定年退職したあと、大阪経済大陸上部の監督を務めていた。その数カ月後、竹澤さんのもとに大経大から長距離ブロックヘッドコーチ就任の打診があった。当時、竹澤さんは現役を退いて住友電工の人材採用部で働いていた。その打診に「1度考えさせてください」と答えた。

「人生、辛抱する時期は必要だよ」。それもまた、鶴谷監督の言葉だった。

陸上界への復帰は、竹澤さんの願いではあった。それでもすぐに動くのではなく、自分で納得してから動きたいと考えた。大経大で指導するのであれば、どのような形がより望ましいのか。悩んだ末、最終的には「恩師が指導されていたところで第一歩を踏み出すのが、一番自分らしいんじゃないか」と心が決まった。

大経大陸上部には現在、75人の部員がおり、長距離ブロックはマネージャーを含めて35人。18年1月に鶴谷監督が亡くなってから、長距離ブロックは指導者不在のままだった。学生は自分たちで練習を考え、6月の全日本大学駅伝関西地区選考会には胸に喪章をつけて挑み、3位で2大会ぶりの本大会出場を決めた。それでも学生たちには「本当にこれで大丈夫なんか?」という不安が強かったという。そんなチームに今シーズンから、竹澤さんがヘッドコーチとして就任した。

恩師も選手自身が考えることを求めていた

竹澤さんは日々の練習メニューを考えるはするが、目標は明示しない。普段の練習でも竹澤さんから選手に声をかけることはなく、選手自身が考えて動くことを求めている。それはかつて鶴谷監督が竹澤さんに求めたことだった。

「大学スポーツではまず、チームの目標を自分たちで立てるべきだと僕は思ってます。チームの目標が定まってから、個人の目標を考える。その自分が立てた目標や課題をクリアすることの繰り返しがすごく大切なんじゃないかなって。僕が選手の目標を立てるんじゃなくて、君たちがどうしたいのかということが最も重要だと思うんですよね。そのプロセスを踏んでいくことが、結果的にスポーツだけじゃなくて大学生活、ひいてはその後に続く社会人生活の中で生きていくんじゃないですかね」

「目標を立てるのは選手自身」と竹澤さん(右)

鶴谷監督は大経大で学生たちに「朗唱」を課していた。それぞれがいい言葉だと思ったものを、練習前に一人ずつ仲間の前で発表する。竹澤さんが報徳にいたころにはやっていなかったそうだが、頭の体操にもなると考え、恩師から引き継いだ。

長距離ブロックは「全日本大学駅伝出場」「関西学生駅伝優勝」を目標に掲げている。今年6月の全日本大学駅伝関西地区選考会に向け、選手たちの気持ちがひとつになっているのを竹澤さんも肌で感じていた。しかし上位3校までが本大会出場となる選考会で、大経大は3位の京都産業大に3分31秒差をつけられての4位となり、伊勢路を逃した。

竹澤さんは「彼らなりに一生懸命やってきた。ダメだったのは僕の経験不足ですかね。もうちょっと走らせてあげたかったな、指導力不足だったな、と痛感しています」と振り返る。しばらくチームには気落ちした雰囲気があったが、7月20日に副将の内山優弥(4年、西脇工業)が1500mで3分51秒80をマークして、36年ぶりに大経大記録を更新。全日本インカレの参加B標準記録を突破したことで、チームに活気が戻ってきた。

何かひとつでも自信を育んで社会へ

竹澤さんは学生たちに接するにあたり、自分の競技生活を振り返りながら、その中で感じてきたことを大事にしている。

「僕の競技生活は、実業団にいくことを見すえてやれていたかというと、やれてなかった。いま一生懸命やってれば未来につながると思ってたけど、現実はそうじゃなかった。ことあるごとに、自分が本当に目標としているところはどこなのかを明確にして、それに向けて積み上げて努力していく。学生たちにはそのプロセスが大事だということを教えてますね。努力は報われると思うんですけど、いつどのタイミングで報われるかは分からない。神のみぞ知るじゃないですけど、努力することで奇跡が起こる確率は上がるものだと思います。競技生活を通じてそういうことを学んでほしいな。教育機関なんで、何かひとつでも自信や自己肯定感を育んでから社会に出てほしい、と思いながらやってます。僕の思いが響いているかどうかは分かりませんけど(笑)」

竹澤さんは教師だった親をいまも尊敬しており、親が自分にかけてくれた教育は自分の軸になっていると言う

30人規模のチームを指導するいま、竹澤さんはヘッドコーチとして組織全体の底上げに心を砕いている。その一方で、いつかはオリンピックで戦える選手を指導してみたいという気持ちもある。自分自身が早大時代に出場こそしたが、勝負はできなかったオリンピックの舞台に選手を送り出したい。自分の夢は、教え子に託す。

「大迫(傑、ナイキ)のコーチ(ピート・ジュリアン氏)もそうだと思うんですけど、去年と同じことはやってないと思うんですよ。毎年新しいこと、こういうことをやりたいな、こんなことをしたら選手はよくなるんじゃないかなとか、いろんな知恵をつけて指導していきたいんです。勉強し続けたいですね。スポーツ科学は進化してると思うんで、そのとき、そのときに自分がもってるベストなものを選手に提供できるように、努力したいです」

箱根駅伝で3年連続区間賞、学生時代に北京オリンピック出場と華々しい道を歩んできただけに、けがで閉ざされた競技人生はつらく、受け入れがたいものだったに違いない。もう陸上に関わりたくないと思っても不思議ではない。それでも指導者として、陸上人生という時計の針を動かした。竹澤健介の挑戦心は、尽きない。

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