大学陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

実業団で廃部を経験、2度目のオリンピックはなかった 竹澤健介・3

竹澤さん(左端)はけがに悩まされながらも、2010年の日本選手権10000mで優勝を飾った(撮影・諫山卓弥)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。学生時代に名をはせた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ10人目は、早稲田大学時代に北京オリンピックに出場し、箱根駅伝で3年連続区間賞、実業団を経て今年4月に大阪経済大学陸上部の長距離ヘッドコーチに就任した竹澤健介さん(32)です。3回目は実業団時代と引退後の会社員生活についてです。

1年生からずっと早稲田のエース、自分の考えを大事に前進 竹澤健介・2

足の痛さで、目標を思い描けなかった

竹澤さんは早稲田に進んだ際、幼いころからあこがれていたエンジのユニフォームで箱根駅伝を走るという夢があった。そして4度とも箱根駅伝に出場し、3年連続で区間賞。現役の箱根ランナーとしては44年ぶりにオリンピックにも出場した。そして実業団の名門エスビー食品へ。このタイミングで、竹澤さんはどこに目標を定めていたのだろうか。
そう尋ねると、竹澤さんは一瞬、眉をひそめた。

「それが難しかったんです。足が痛かったというのが一番なんですけど、その次を目指すというときに、本当はいまの大迫(傑、ナイキ)のように『オリンピックを目指す』『オリンピックで戦う』という目標を掲げるべきだったんですけど、そこがうまくいかなかった。日常生活にも支障が生じるような痛みの中で、それどころじゃなかったというのはありました」

足の痛みと向き合いながらも、社会人1年目の日本選手権は5000mに出て、エスビー食品の1年先輩にあたる上野裕一郎さん(現・立教大駅伝監督)に続き、13分43秒77で2位。翌2010年の日本選手権では10000mに出場し、28分43秒08で優勝している。

竹澤さんは早稲田で睡眠科学を専攻し、エスビー食品で走りながら大学院にも通った(撮影・松永早弥香)

11年からは社内留学制度を利用して、早大大学院にも通った。ひとつは学生時代に専攻していた睡眠科学の研究を深めるためだ。寝不足だとパフォーマンスは安定しないんじゃないか。そう考えていた竹澤さんは大学2年生のとき、睡眠科学に興味を持つようになった。「僕は人よりもものすごくたくさん睡眠をとるタイプで、休みがあればずっと寝てました。学生のときは1日10~11時間ぐらい、夏休みはもっと寝てたと思います」。いまはそこまでではないが、それでもたいていの人よりは長いという。もうひとつは、渡辺康幸さん(現・住友電工陸上部監督)が監督をしていた早大競走部での練習の方が、自分に合っていると感じたからだ。

エスビー廃部、言い訳しない自分の道を

そうするうち、エスビー食品は13年3月末で陸上部を廃部にすることを決めた。所属していた選手やスタッフは受け入れを表明したDeNAに移籍したが、竹澤さんは移籍せず、姫路市陸協の登録で競技を続ける道を選んだ。確かに足の痛みはあったが、「何かを決めるときは自分で決めないと責任が持てない」と考えてのことだった。

「僕の性格を考えると、言い訳する人生って嫌だなって。言い訳しない道って何かなって思ったら、自分で決断して動くことが大切だと思ったんです。ここでこうするって決めることが、いまの自分には重要だと思いました」

同年7月には住友電工へ入社。練習を渡辺さんに見てもらいながら、翌14年にはチームをニューイヤー駅伝に導いた。さらに15年には、渡辺さんが住友電工陸上部の監督に就任。その当時の竹澤さんには「何とかまたオリンピックに出たい」との思いしかなかった。地響きのような大歓声に包まれる夢の舞台。それが競技人生で最高の舞台だということは分かっていた。だからもう一度、勝負ができるようにと考えた。
しかし左足は限界に達した。16年シーズン限りをもって、引退を決断した。

会社員として、人に伝える難しさを知る

17年からはスーツに身を包み、住友電工の人材採用部での勤務が始まった。大学や企業に出向いては、学生を前にして会社説明をしたり、パワーポイントを使って企業向けのプレゼンをしたりと、忙しい毎日を送っていた。

「人前で話すということについて、とても考えさせられました。こうやった方が人に伝わるのかな、こういう質問がきたらこうやって答えよう、人がどういうところに興味を持ってるのか、何を求めてるのか……。そんな一つひとつの準備が勉強でした」

また陸上に携わりたいという思いはあったが、選手時代にはなかった学びがあった。「そういう期間は必要だった」と、竹澤さんは振り返る。

2年数カ月の会社員時代は外回りも多かったという(撮影・松永早弥香)

会社員として新たなスタートを切ってから1年あまりの18年1月、報徳学園時代の恩師である鶴谷(つるたに)邦弘監督の訃報が届いた。全国高校駅伝で報徳に史上初の3連覇を含む5度の優勝をもたらした名将は、10年に報徳学園を定年退職したあと、大経大陸上部の監督に就任。全日本大学駅伝に4回の出場を果たした。その恩師が亡くなってから数カ月後、竹澤さんのところに大経大陸上部から長距離ブロックヘッドコーチ就任の打診があった。

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