早大4年生が「箱根報告会」で感じたこと
1月3日、箱根が終わりを告げた後、大手町のゴール周辺のあちこちで各大学の「箱根報告会」が開かれる。ビルの前などで監督や選手が拡声器を持ち、集まってくれたOB・OG、応援団などの大学関係者、そしてファンに向かってあいさつをする。大手町もこの日ばかりは学生の晴れやかな表情と涙であふれ、ゴール後も人垣が消えない。現地観戦のファンにとっては「報告会」を見終えるまでが箱根駅伝なのだろう。牧歌的な印象のある「報告会」だが、早稲田大のそれは少し雰囲気が違う。
今回、早大は総合12位で13年ぶりにシード権を逃した。
「報告会」に漂う緊張感
サンケイビルの3階。ふかふかのじゅうたんが敷かれた廊下を進み、早大競走部のOB・OG会である「早稲田アスレチック倶楽部」の受付を通った先に会場がある。競走部のOB・OGや選手のご家族、そして報道関係者で超満員。一般のファンはほとんどいない印象だった。初めに体育会会長らのあいさつがあり、相楽豊駅伝監督と主将の清水歓太(4年、中央中教)のOB・OG会への感謝の言葉、そして報告が、緊張感の漂う中で続いていく。最後は「都の西北」を斉唱して会はお開きとなり、報道陣による囲み取材に移った。
会の終了後、10区を走った小澤直人(4年、草津東)が会場の隅でひっそりと着替えをしているのが目に入った。ゴールしたのもつかの間、急いで会場に向かったのだろう。この一年間支援をしてくれた方々への感謝の意を伝える早稲田の「報告会」――その重要性と緊張感を垣間見た瞬間だった。
「まだまだ、自分たちの出せる力はあったと思いますか? 」。残酷な質問だと思った。主将の清水は少しだけ質問の終わりに割り込む感じで返した。「ベストのメンバーがこの2日間でできることを100%の力を出し切って挑んだ結果です。ただ単純にこのチームの力がなかったということです」と。 「自分たちが弱い」と先手を打つことで、仲間たちを守っているように聞こえた。主将は、レースが終わっても主将なのだ。
確かに、主力に故障、アクシデントが多かったことが区間配置に影響を及ぼしてしまったことは確かだろう。それでも「たられば」を論じるのは、勝負の世界において意味を持たない。負けは負け、勝ちは勝ち、だ。そしてそのことは、当事者の選手たちが一番よく分かっている。それだけに清水への質問は、残酷な響きを持ってしまう。
仲間と分かち合える経験に
もちろん収穫もあった。1区の中谷雄飛(なかや、1年、佐久長聖)はトラック中心の練習からついに「箱根ディスタンス」とされる20km越えのレースを経験するに至った。本人は来シーズンもトラックを中心に活躍の場を広げたいと考えているが、駅伝でもこれまで以上に重要な役割を担っていくだろう。
そして特筆すべきなのは、新迫志希(3年、世羅)がついに箱根出走を果たしたこと。広島の世羅高校では主将として全国高校駅伝優勝に貢献し、大学入学後は1年生にして全日本インカレで入賞するなど力のある選手ではあったが、箱根だけは走ることすらできないでいた。そんな新迫の堂々たる走りは、区間9位以上の価値があったように思える。そう、反撃の布石はもう敷かれている。彼らは来年、相楽監督の下で、強くなって帰ってくる。
今年で創設105年を迎える早稲田大学競走部は、常に陸上界をけん引してきた伝統あるクラブチームだ。結果を出すことで初めてチームに寄与できる、シビアで自分たちに厳しい集団。そしてそれを支える強固なOB会の存在がある。この箱根の経験が、ただただ苦いだけのものではなく、どんなときも頑張り抜いてきた仲間と分かち合えるものになりますように。私は報告会の会場で、そう願うばかりだった。