野球

「がんばろう神戸」連覇から25年 田口、平井コーチの特別な思い

優勝して喜ぶオリックスの選手たち(撮影・白井伸洋)

 オリックスのパ・リーグ優勝は25年ぶりだ。前回頂点に立ったのは大阪近鉄バファローズと統合する前のオリックス・ブルーウェーブ時代。故・仰木彬監督のもとで1995、96年と連覇した。当時の優勝は今年とは違った特別な思いも背負っていた。

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 「『絶対に優勝しないといけない』という思いがあった」。そう語るのは当時、堅実な打撃と守備で連覇に貢献したオリックスの田口壮・外野守備走塁コーチ(52)だ。

 1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が起きた。約25万棟の住宅が全半壊し、6434人が死亡。当時チームの本拠地だった神戸市が甚大な被害を受けた。

 街の復興もままならなかったが、イチローらを擁したオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉に、7月には優勝へのマジックナンバーを点灯させるなど、怒濤(どとう)の快進撃で被災のどん底から頂点に立った。

 最初はがらがらだったスタンドも、勝利を積み重ねるにつれて徐々に埋め尽くされていった。当時、救援投手として活躍した平井正史育成コーチ(46)は、「周りの反応から『勝つことで元気になれるんだ』とだんだん分かってきた。21年間の現役生活で一番記憶に残るというか、一番大変なシーズンだった」と振り返る。

 96年には連覇に加え、前年に届かなかった日本一を地元神戸で実現させた。巨人との日本シリーズで、試合を締めくくる左飛を捕った田口コーチは「神戸で決められて良かった。ようやく神戸の人たちに日本一の姿を見せられる」という喜びや安堵(あんど)でいっぱいだったという。

 あれから25年。2014年にはあと一歩まで迫ったが、長い低迷で優勝から遠ざかっていたチームが再び頂点に立った。だが、前回とは重ならない。田口コーチは「ああいう特殊なことは二度とないと思う。言ってみれば、しなくていいような経験」。

 震災のあった1月17日には毎年、大阪市内の球団施設から神戸の方角を向いて1分間の黙(もくとう)を捧げている。今年の1月、平井コーチは言っていた。「当時の衝撃と被害、その後、街が復興してくる過程は忘れられない。あの年、優勝できて神戸の街が盛り上がった。ファンのみなさんが喜んでくれて、野球をやっていてよかった」

 決して神戸を、震災を忘れてはいない。今回の優勝もどこかの誰かを勇気づけられているだろうか。

(佐藤祐生)

=朝日新聞デジタル2021年10月28日掲載

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