「がんばろう神戸」連覇から25年 田口、平井コーチの特別な思い
朝日新聞社
2021/10/28
(最終更新:)
2019年4月29日、オリックス平成最後の試合は故・仰木彬さんにちなんだ「THE MAGIC AKIRA OHGI DAY」。ブルーウェーブ時代のユニホームを着て始球式をしたのはOBの田口壮コーチ(中央)と平井正史コーチ(右)、小川博文さん(左)=京セラドーム大阪
「『がんばろうKOBE』これからも、ずっと」などと書かれた横断幕を持ち、黙禱(もくとう)するオリックスの選手たち=2020年、大阪市此花区
神戸の方向を向いて黙禱(もくとう)するオリックスの田口壮コーチ(左から2人目)や選手たち=2020年、大阪市此花区
阪神・淡路大震災から25年が経った2020年1月17日、神戸の方向を向いて黙禱(もくとう)するオリックスの田口壮コーチ(中央)、福良淳一GM(左)ら
田口壮コーチ=2020年、大阪市此花区
現役時代の中嶋聡監督(左)と平井正史コーチ=1995年
オリックスのパ・リーグ優勝は25年ぶりだ。前回頂点に立ったのは大阪近鉄バファローズと統合する前のオリックス・ブルーウェーブ時代。故・仰木彬監督のもとで1995、96年と連覇した。当時の優勝は今年とは違った特別な思いも背負っていた。
「『絶対に優勝しないといけない』という思いがあった」。そう語るのは当時、堅実な打撃と守備で連覇に貢献したオリックスの田口壮・外野守備走塁コーチ(52)だ。
1995年1月17日未明、阪神・淡路大震災が起きた。約25万棟の住宅が全半壊し、6434人が死亡。当時チームの本拠地だった神戸市が甚大な被害を受けた。
街の復興もままならなかったが、イチローらを擁したオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉に、7月には優勝へのマジックナンバーを点灯させるなど、怒濤(どとう)の快進撃で被災のどん底から頂点に立った。
最初はがらがらだったスタンドも、勝利を積み重ねるにつれて徐々に埋め尽くされていった。当時、救援投手として活躍した平井正史育成コーチ(46)は、「周りの反応から『勝つことで元気になれるんだ』とだんだん分かってきた。21年間の現役生活で一番記憶に残るというか、一番大変なシーズンだった」と振り返る。
96年には連覇に加え、前年に届かなかった日本一を地元神戸で実現させた。巨人との日本シリーズで、試合を締めくくる左飛を捕った田口コーチは「神戸で決められて良かった。ようやく神戸の人たちに日本一の姿を見せられる」という喜びや安堵(あんど)でいっぱいだったという。
あれから25年。2014年にはあと一歩まで迫ったが、長い低迷で優勝から遠ざかっていたチームが再び頂点に立った。だが、前回とは重ならない。田口コーチは「ああいう特殊なことは二度とないと思う。言ってみれば、しなくていいような経験」。
震災のあった1月17日には毎年、大阪市内の球団施設から神戸の方角を向いて1分間の黙禱(もくとう)を捧げている。今年の1月、平井コーチは言っていた。「当時の衝撃と被害、その後、街が復興してくる過程は忘れられない。あの年、優勝できて神戸の街が盛り上がった。ファンのみなさんが喜んでくれて、野球をやっていてよかった」
決して神戸を、震災を忘れてはいない。今回の優勝もどこかの誰かを勇気づけられているだろうか。
(佐藤祐生)
=朝日新聞デジタル2021年10月28日掲載