ラグビー

連載:監督として生きる

日本経済大・淵上宗志監督(上) 大学で女子選手たちに伝えたい2人の「恩師」の教え

日本代表歴も5キャップある「天才SO」。現在は女子選手の育成に取り組んでいる(撮影・西田哲)

今回の連載「監督として生きる」は、日本経済大学女子ラグビー部の淵上宗志監督(47)です。関東学院大学では全国大学ラグビー選手権の連覇に貢献しました。引退後は西南学院大学のラグビー部などで指導者のキャリアを積み、2020年からは、日本経済大の女子ラグビー部創設に伴い監督に就任しました。前編では、現役時代に出会った恩師2人の教えと、その教えが女子の指導にどう役に立っているかについてうかがいました。前後編2回の予定です(以下、敬称略)。

チームの成長と、誤算、挫折

「チームは順調すぎるくらい順調に育っています」

福岡県太宰府市にある日本経済大学福岡キャンパス。同大学女子ラグビー部「AMATERUS」の本拠地だ。2020年に女子ラグビー部が誕生。淵上は発足と同時に監督に就任した。発足4年目となる昨年度に、国内の7人制女子ラグビーの最高峰大会である「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ」に昇格し、15人制の全国女子ラグビー選手権でも準決勝に進出した。

ラインアウトの空中戦。太陽生命ウィメンズセブンズ花園大会(C)JRFU

ところが、表情が曇った。「今年は本当に悔やまれる結果でした」。すでに閉幕した今年度の太陽生命大会で最下位となり、来季降格となってしまったことに触れたときだ。

大きな誤算は、「代替わり」だった。大学スポーツでは毎年当たり前の「恒例行事」だが、20年に発足したAMATERUSにとっては、5年目の今季が初めての代替わりだった。柱である4年生が抜けてしまったうえ、新チーム発足直後で連携の熟成も進んでいない4~5月の開催。様々な初めての経験が重なってしまった。

「とはいえ、学生たちにとって挫折とは、すごく大きな学びだと思っています。人の成長という点では、すごくいい経験です。彼女たちがここから何を学んでどう取り組んでいくか、っていうことに、すごく意味があるはずです」

降格という一大事だが、淵上はそこに意味を見いだしている。淵上がこう考えるのは、このチームの最終目標を「人づくり」に置いているからに他ならない。

太陽生命ウィメンズセブンズシリーズで。腕組みして戦況を見つめる(日本経済大女子ラグビー部提供)

負けなしの中学生と小城監督の出会い

淵上の現役時代はなかなか華々しい。当時大学ラグビー界では新興勢力だった関東学院大学で2年時に初の日本一(翌年も優勝し連覇)を経験したほか、日本代表経験もある。判断力に優れた「天才スタンドオフ」と呼ばれた。

原点を振り返ると、福岡の草ヶ江ヤングラガーズで中学時代に九州大会を3連覇。負けなしの中学生が様々な強豪高校を見学に行く中で、佐賀工業高校の小城博監督(74)と出会った。

イングランドW杯当時、教え子の五郎丸選手がプリントされたシートを持つ佐賀工業高・小城総監督(撮影・濱田祥太郎)

「練習を見に行ったらいきなりスパイクを出されて、『ちょっとスパイク履いて出てみろよ。試合出てみろよ』とそんな感じで。すごくラグビーが好きなんだなということがわかる話し方でした。『あー、ここに入ればラグビー死ぬほどできるな』と感じて」

佐賀工業に入学すると、1年生から花園で試合に出たいと思っていた淵上は猛練習。「甘さを出せないというか、常に緊張感を持っていなきゃできない、気を抜けない練習だった」と振り返る。

「パスは勇気」 その言葉の意味を追い求めて

小城監督の教えで、心に残っている言葉があるという。

「パスをすることが、勇気なんだよ」

自分でボールを持っていれば奪われることはないが、パスをすれば失うリスクがある。ただ、小城監督の言葉は、そんな単純なものではなかった。その言葉を聞いた淵上がたどり着いた境地は、ずっと深かった。

「パスをするときは無防備なので、どこまで相手に接近してからパスを出すか。逆に、パスのタイミングとか場所とか、すごく危ないところに投げないとランナーが生きないこともある。場合によっては、相手をけがさせたり、味方をけがさせるかもしれないパスをしなきゃいけないかもしれない、とか。いろんな考えるきっかけをいただきました」

淵上は、指導者としてこの言葉を学生に伝えるときは、少しわかりやすく表現を変えている。「味方がプレーしやすいパスをしてほしい。ワンテンポ我慢すれば他の選手が生きることもある。味方に対する優しさを持ちなさい、と表現しています」

太陽生命ウィメンズセブンズ花園大会(C)JRFU

そしてさらに突き詰めて、「臨機応変な状況判断の大切さ」というところにまでたどり着いた。

「ラグビーって瞬間のスポーツなので、あるとき正解だったことが、次のときに正解かどうかはわかりません」。相対する相手のサイズやスピード、相手だけでなく隣にいる味方が誰なのか、気象条件も含め、いろんな条件によって、そのときの正解は変わってくる。完全に同じ状況が再び起こることはあり得ない。

「だから、『こういう状況ではこうする』といった断定的な話ではなく、『そのときに何をするのが正解なのかを、常に考えなさい』という指導をしています」

「パスは勇気」という言葉の深さを淵上に考えさせた小城氏は、現在も佐賀工業ラグビー部の総監督として、高校生の指導にあたっている。

春口監督 運命の握手と、自由なスタイル

佐賀工業の1年生のとき、淵上は運命的な出会いをしている。

「関東学院大学から春口(広、75)監督が部を見に来て、『おー、お前はうちに来るんだよな』と言って握手をしてくれたんですよ。『運命的だった』とずっと思っています。僕がまだ必死にもがいていたときに僕のことを見てくれて、初めて大学に誘ってくれた先生でした」

「70歳超え新たな挑戦」関東学院大の春口元監督が女子ラグビー指導
1998年1月、初の大学日本一となった関東学院大の当時の春口監督(撮影・朝日新聞社)

とはいえ、淵上は大の早稲田ファンで、高校3年時も早稲田大学に進学する目前までいったという。ところが、練習体験で違和感を感じた。「あくまでも僕の印象なので」と断った上で、その違和感について「自由な判断よりも、『早稲田ラグビーならこうすべきだ』という選択を優先する印象を受けた」と説明する。「伝統の重み」というものかもしれない。

そんなときに思い出したのが、運命的な出会いをした春口監督だった。「関東学院は本当に自由なスタイルで。しかもまだ大学選手権で優勝したことがなかったっていうのも大きい(魅力でした)。『新しく優勝する関東学院』というのがおもしろいと思って」。急転直下、関東学院大への進学を選んだ。

「ラグビーの楽しさの神髄」は、基礎・基本から

「春口監督からは、ラグビーを楽しむということの神髄を教わりました。自分たちが究極に求めるものをみんなで探求して、それができたときの楽しさ、というものを教わりました」

「自由」「楽しい」という評価をされる当時の関東学院大のラグビースタイルだが、その根底にあったのは、徹底した基礎練習・基本練習だったという。

「(自由なプレーの)発想はそこ(基礎・基本)から始まるんです。(基本練習の徹底で)何でもできるスキルをみんなが身につけているから、やりたいと思ったプレーが実現できる。練習は基礎ばかりだったけれども、そのスキルをどう使うかに対して、春口先生は制限をしなかった」

円陣で選手たちと気合を入れる(日本経済大女子ラグビー部提供)

基本の大切さと、選手たちが生み出す自由な発想のプレー。その両者が深く結びついているということを、今の教え子たちにも知ってほしいと感じている。

「同じ基本練習をするにしても、『0.1秒早く投げてみよう』とか『別の足を使おう』とか『体の向きを変えてみよう』とか。自分の中でいつも違う課題を持って取り組めば、それは応用力につながっていく。だから楽しいラグビーが生まれていくのです」

ラグビーの楽しさを教えてくれた春口氏は現在、関東学院大学の名誉教授となり、昨年から「YOKOHAMA TKM」の監督として、淵上と同じ女子ラグビーの指導者の道を歩んでいる。

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監督として生きる

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