大阪学院大・中村良二監督(下)野球を通じ、思いやりを教える「付加価値をつけたい」
今回の連載「監督として生きる」は今季から大阪学院大学で指揮を執っている中村良二監督(56)です。天理大学監督、天理高校監督を経て、今年2月10日から大阪学院大の監督に就任しました。2回連載の後編は、大学で大切にしている指導法について深掘りします。
コロナ禍の影響を受けた世代との接し方
監督就任当初の2月は環境整備に時間をかけ、3月になるとオープン戦が始まった。慌ただしかったため、選手個々の能力をじっくり見極める時間がなく、春のリーグ戦は新2、3、4年生選手でベンチ入りメンバーを固めることになった。
「1年生は高校の時の実力を見ていない上、現状の力も把握できていない。すでに在学している選手たちの能力を見極めることを優先するので、『申し訳ない、新人戦から頑張ってくれ』と。春は野球部や学校に慣れて、力を蓄えてくれとお願いしました。2年生以上の約80人には『君たちの実力を知りたいので、競争して頑張っていってほしい』と言いました」
今の大学生は高校時代に新型コロナウイルス感染拡大の影響をもろに受けた世代だ。特に4年生は、高校3年時に春夏ともに甲子園大会が中止になり、チームで練習することすら許されない時期があった。
「4年生だけではなく、3年生、2年生も中学時代を含めて何かしらの影響があって、野球をやりたくてもやれなかった。今はもう、ほぼ元に戻ったけれど、そういう若い時に受けたことが普通になってしまっていることもあるんですよ」
たとえば街を歩いていて、困っている人を助けようとしたとき。手を差し伸べる感覚は根付いているものだが「コロナの頃って人に何かをやってはいけなかった。荷物を持ってあげること自体、感染を避けるためにできなかった」と中村監督。「でも、本来はそうじゃない。それはコロナの頃だけの話で、『人としての接し方はこうなんだよ』というのを教えてあげないといけない」。野球を教えつつ、今の選手たちには「付加価値をつけてあげたい」と願っている。
「人って思いやれるんです。その思いやりをなくしたらダメ。これからどんな災難が降りかかってくるのかは分からないけれど、人生を少しでも豊かにしようと思うのなら、人を思いやれること。そういうことを野球を通して伝えることができたらと」
野球を離れたとき、問われるのは人間性
今、白球を追っている学生たちの中には、大学卒業後に野球から離れてしまう者もいる。社会人で野球を続けられたとしても、多くは30、40代で現役を退き、その後、指導者として野球に携われるのは、ほんの一握りだ。
「野球から離れた時に、問われるのは人間性。その先の人生を豊かにしていこうと思うと、自分自身がどうであるかによって大きく変わってきます。勝つためのこと、優勝するためのことだけで学生たちと接するのではなく、少しでもそういうことを感じられる学生や社会人になってほしいんです。今、彼らにこういう話をしてもピンと来ないと思いますけどね」
そもそも、なぜ中村監督は大阪学院大の指揮を執ることになったのか。天理高校の監督として脂が乗り始めた頃、どうして違う世界に飛び込んだのか。実は前々から、自身の進退について熟考してきたのだという。
「僕は天理で16年ほど嘱託職員としてやってきたんです。達(孝太、現・北海道日本ハムファイターズ)がエースで選抜ベスト4に進んだ年、夏の奈良大会で負けた後から、『そろそろ今後のことについて考えていこう』と思っていました。そうしたら翌年の戸井(零士、現・阪神タイガース)らの年に春夏連続で甲子園に出られて、『もうひと踏ん張りかな』と思った後、正規雇用に切り替えて65歳の定年まで天理のスポーツのサポートをやってほしいというお話をいただきました」
当初はその話を引き受けるつもりだった。ただ、天理高校の監督を離れることが正式に決まった後、「すでにいくつかの高校や大学から指導者のオファーがありました。企業から人材育成に関するポストでの依頼もあったんです」。それまではすべて断っていたが、再度、誘いを受けていた大学から話を聞いてみることにした。
決め手となった辻盛英一監督からの熱心な誘い
その中で決めたのが大阪学院大だった。辻盛英一・元監督(現・大阪学院大高監督)からの熱心な誘いが大きかったのだと言う。
「僕が天理大の監督時代、辻盛さんが監督をしていた大阪市立大(現・大阪公立大)とオープン戦をよくやっていて、付き合いもあったんです。辻盛さんからは、『高校と大学できちんと話ができる関係性を持つ中村さんに来てほしい』と何度も連絡をいただきました。(低迷しているチームを)立て直す、というところも含めて、大阪学院大さんが自分に合っているのかなと思いました。本来は昨年末ぐらいからグラウンドに行けたら良かったんですけれど、野球部の監督を引き受けさせてもらう返事をした後に、色んな手続きや関係各所と話をするのに時間がかかってしまって、(正式就任が)2月になってしまったんです」
大阪学院大高は今春の大阪府大会で履正社と大阪桐蔭を破って初優勝を果たすなど、勢いに乗っている。「近くで頑張っている姿を見ていたのでうれしかったですね。高校もレベルが上がって、大学でも続けようと思う子が1人でも増えてくれたらいいですね。この春も(大阪学院大高から)5人、選手が上がってきてくれたので、今後もそういう流れが続いていけば」と期待している。
「僕は天理高校で育って、社会に出て、天理大、天理高校で監督をさせてもらいました。その経験があったから大阪学院大でやれていると思っています。でも、過去にこうだったから、とかにこだわっているようでは務まらない。後ろを見ないようにしています」
これまでも選手目線で進めてきたチーム作り
天理高校の監督になった直後も、同じような立ち振る舞いを見せていた。元プロ野球選手という肩書がある以上、実力至上主義に偏りがちになるのではと思われてしまっていた。しかし、中村監督は選手間でベンチ入りメンバーを決め、新型コロナウイルス感染拡大の影響で春の甲子園が中止になった際は選手の前で涙を流し、常に選手目線でチーム作りをしてきた。
何より物腰が柔らかく、人間味のある言動が目につく。自身の経歴よりも、選手らとの向き合い方を大事にし、今では指導者としての存在感を強く示している。
新天地での戦いは、これからが本番だ。
「まだ選手間の厳しさが足りないですね。周りに悪い意味で気を使っているようなところが見えるんです。たとえば選手間でメンバーを決める時に、下級生で力のある子が上級生に遠慮して、力がなくても上の子を選ぶようではダメ。下級生でも『こいつの方が力はあるから、こいつが試合に出てほしい』と言えるようにならないと。そうなった時に試合に出られなかった上級生が、現実を受け止めて努力する。そこからいい競争ができてチーム内が活性化できる。そういうチームをめざしていきます」
夏は関東圏の大学とオープン戦を組み、さらに活性化させていく。6月で56歳になった中村監督が、大阪学院大をどんな集団に変えていくのか。秋の関西六大学リーグ戦は、ピンストライプのユニホームから目が離せない。