サッカー

連載:監督として生きる

慶應義塾大・中町公祐監督 オファーを快諾する決め手となった「拾っていただいた恩」

今季から慶應義塾大ソッカー部を率いる中町公祐監督(すべて撮影・杉園昌之)

今回の連載「監督として生きる」は、今季から慶應義塾大学ソッカー部の監督を務める中町公祐さん(38歳)です。2023年限りで18年間のプロ生活に終止符を打ち、想定していなかった新たな人生を歩んでいます。監督として母校に戻った理由、そしていまどのような指導をしているのか。本人に話を聞きました。

慶大・塩貝健人 マリノスで初先発・初ゴールの点取り屋「二足のわらじ」で活躍の背景

OB会長たちがザンビアまで来てくれた

梅雨入り前のからっとした暑さが続いたある日、慶應義塾大ソッカー部の下田グラウンドは朝から熱を帯びていた。日吉の閑静な住宅街に選手たちの活気ある声が響く。今年1月に就任したOBの中町公祐監督はピッチの中で腕組みし、練習をじっと眺めながら要所で指示を送っていた。全体練習を終えると、居残りの個別トレーニングにも目を向ける。昼前にグラウンドから引き揚げてくると、充実した表情を浮かべていた。

「ソッカー部は変わらないところは変わらない。これが伝統なのかな。すごく青春している感じがあって、いいもんだと思います。自分が想像していた以上ですね」

取材の日、練習中は腕を組んで練習をじっと眺めていた

プロ選手時代は湘南ベルマーレ、アビスパ福岡、横浜F・マリノス、アフリカのザンビアでプレーし、2023年限りで18年間のキャリアに幕を下ろした。すでに第二の人生をスタートさせ、2年前に非公式で監督の打診を受けたときは現役続行の道を選んだが、昨年6月のオファーには首を縦に振ったという。

「当時はまだザンビアにいたのですが、OB会長らがわざわざ来てくれたんです。2027年の創部100周年に向けて、ソッカー部を強化したいので監督をお願いしたいと。当初、指導者の道に進むつもりはなかったのですが、慶應大のソッカー部だけは別でした。拾っていただいた恩がありますから。以前からこの組織に貢献したいという思いは強く持っていたので」

湘南を退団後、慶應でプレーし、再びJリーグへ

中町さんにとって、学生時代にソッカー部で過ごした時間はかけがえのないものになっている。群馬県立高崎高校を卒業後、湘南に4年間在籍し、契約満了で退団すると、08年から09年までは在学していた慶應義塾大の選手としてプレーしたのだ。そこから再びJリーグに返り咲いた。

中町さんは心置きなくスパイクを脱いだ後、ソッカー部の監督となり、学生たちとピッチで過ごす日々を想像してみた。

「僕がサッカーを始めたのは4歳のとき。ボールを蹴っているときが一番自分を表現でき、自身を誇れる瞬間でした。なんか、選手時代以上のイメージが湧いたんですよ。学生が本気で取り組むサッカーをサポートしていきたいなって。あくまで選手たちが主役なのは分かっています。そこは勘違いしてはいけない。大学での4年間は、人生の大事な時間ですから。僕の場合、ソッカー部の在籍は2年間でしたが、1日1日が本当に濃かったので」

自身がソッカー部に在籍していたときは「1日1日が本当に濃かった」

ふと昔を懐かしむ。16年前の冬、プロから大学サッカーに活躍の場を移し、黄色のユニホームを着てピッチに立つと、スタンドには全力で声を出すチームメートたちの姿があった。今年は8月25日に国立競技場で開催される早慶サッカー定期戦の光景も、よく覚えている。

「普段はグラウンドで一緒にしのぎを削っている仲間たちがメガホンを持って、応援してくれるんですよ。この感覚はいいな、と思いました。プロの場合、チームメートはライバルでもあるので、蹴落としていかないといけない存在。実際、そのような状況で100%の応援って、なかなか受けられません。僕はソッカー部に入り、仲間の思いを背負ってプレーし、結果を出す幸せを再確認できたんです」

プロでも大学でも「人間社会の本質は変わらない」

長らく生き馬の目を抜く世界で生きていた。だからこそ、学生スポーツに打ち込む意味をより感じているのだろう。中町監督は指導する上で重視するポイントを明確にしている。

「人間教育、人格形成を大事にしています。これは僕自身、慶應で学んだことです。もしも結果だけを求めるのであれば、ソッカー部にいる必要はない。学生には考える力を養ってもらいたい。僕は常々、『いい男になってほしい』と男子選手たちには話しています。外見ではなく、自らの行動に責任を負うこと、周りを見ること、物事の判断を早くすること、いろいろなアウトプットがあると思います」

チーム作りをしていく上で、選手たちが何を考え、選手間で何が起きているのかを把握することに力を注ぐ。重要なのは観察力と洞察力だという。ソッカー部の部員は120人。すべてをカバーできない部分もあるが、中町監督を含めて、計4人のコーチングスタッフが目を光らせる。

「環境がプロであれ、大学であれ、人間社会の本質は変わらない。トップに立つ者はどのような人材配置をするのか、どのタイミングで声をかけるのかに気を使わないといけません。要は人と人なので」

観察力と洞察力をフル活用し、選手間で何が起きているのかを把握する

指導を始めて約半年。今季は、4年ぶりの関東大学1部リーグ復帰を目指し、2部リーグを戦っている。9試合を終えた時点で首位を走り、開幕から好調を維持。サッカーを通じた人間教育を前提に置きつつ、ピッチ内では辣腕(らつわん)を振るう。選手たちに自信を植え付けることから始め、臨機応変に対応するサッカーで勝ち点を積み上げてきた。チームの指針は、はっきりしている。

「根本にあるのは、想定外のエラーが起きたときに、ピッチ内で瞬時に判断すること。サッカーに正解はありません。選手たちにはいつも『頭を働かせよう』と言っています。自分がそういうプレーヤーだったこともありますが、そこはソッカー部の強みにしないといけない。たとえ試合に負けても『球際で戦えていなかった』、『シュートが入らなかった』とそんな簡単なものではなく、その結果に至るまでには必ず理由があります。そこを突き詰めていけるかどうかです」

選手たちには常々「頭を働かせよう」と声をかける

将来、サッカーの指導者になる可能性はゼロに近い

3部リーグから昇格して1年目。快進撃を支える手腕に耳目が集まるものの、本人は監督の評価など気にも留めていない。ソッカー部で指導を始める前、選手たちには、ありのままの気持ちを話した。

「ここに来たのは現場経験を積むためでもなければ、プロの指導者になるためでもない。俺はソッカー部の監督として命を懸けるし、本気でやる」

目の前の仕事への熱量があり、自然と言葉にも力がこもる。ただ、指導者としての将来の話になると、苦笑交じりに本音を漏らす。

「5年以内にS級ライセンスを取得し、10年以内にJリーグの監督になるとか、そんな考えはまるでないんです。僕はそのときに見える景色、縁を大事にしたいので。1年、1年ですね。いまのところ、将来、サッカーの指導者になる可能性はゼロに近いです」

打算的な考えは一切ない。自分にウソのない生き方を貫き続けている。いまを生きる38歳は、新しいチャレンジを心から楽しんでいるようだ。

監督として生きる

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